今月のことばNo.24

2016年5月9日

水俣病と福島原発事故

池内 了

 今年は水俣病公式確認60周年で、連休の間、その記念講演会が東大安田講堂であった。ここでいう「公式確認」とは、1956年5月1日に、新日本窒素水俣工場附属病院の細川院長から水俣保健所に口頭で届けられた時点であって、カルテの記載によれば、少なくともそれ以前の1941年から水俣病とおぼしき病気が発生していたことがわかっている。さらに遡れば、同社は戦前では朝鮮で操業しており、そこでもメチル水銀を垂れ流していたようだから、きっと被害が生じていただろうけれど、植民地支配の渦中でありウヤムヤになってしまったのだろう。
 その悲惨な病状が目の前にありながら、その原因物質が何かについて厚生省(当時)がなかなか断を下さないまま、いたずらに時間だけが経過して1965年5月31日に同様の症状を呈する新潟水俣病の発生が報告される事態になってしまった。そして結局、それぞれ新日窒(1965年からチッソ)水俣工場と昭和電工鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの製造工程で副成されたメチル水銀をそのまま海や川に垂れ流し、魚介類を通じて摂食した結果引き起こされた公害病であると政府・厚生省が認定したのは1968年9月のことであった。そもそも、魚介類を摂食したことによる中毒だから、原因物質が何であれ、保健所に届けがあった段階で食中毒事件としてその売買・摂食を禁止していれば、これほど被害が拡大することにはならなかったはずである。
 しかし、そうしないまま国家が主導する経済成長政策が背景にあって、一切責任を認めない加害企業、原因物質を曖昧にしてしまう科学者、良心的な医師たちへの圧力などが問題の解明を遅らせた。また、原因物質が明らかになっても、公害病としての実に厳しい認定基準を課して患者を切り捨て、現在においても申請者に対し認定患者数は10分の1以下に過ぎない。にもかかわらず、政府と企業は問題を打ち切ろうとしており、未認定患者から次々と訴訟が起こされている。科学者として、この間に企業を守ることに尽してきた化学者や医学者の倫理責任を問い続けねばならないと思う。
 そこでふと、福島原発事故のことを思う。こちらは事故が発生してからまだ5年少ししか経っていないのだけれど、早くも政府は問題を終息させようと動いている。帰還困難地域以外のすべての地域の避難指示を早急に解除する予定で、何ごともなかったかのように装ってオリンピックを迎えようとの魂胆がありありと見える。また、明らかに健康診断における甲状腺ガンの患者数が増えているにもかかわらず、政府と福島県はそれは放射線被曝によるとは考えられないとする見解を変えようとしない。この過程において、国や東電を免罪するかのような原子力の専門家や放射線科学者の倫理を疑う行動が目につく。やはり、ここでも科学者の倫理責任を問わねばならないことは確かである。
 水俣病の60年を思いつつ、さて、55年先の福島はどのような状況で迎えるのだろうか。