世界平和アピール七人委員会は、11月19日(土)東京・市ヶ谷の法政大学で、「2016年講演会」を開いた。テーマは「沖縄は日本なのか-〈平和〉を軸として考える-」。同大学の沖縄文化研究所との共催で、300人を超す聴衆が集まった。
講演会では、大石芳野委員が自身の撮影した写真をもとに話したほか、小沼通二委員・事務局長、武者小路公秀委員、高村薫委員、それに法政大学の杉田敦教授が講演、後半はシンポジウムで議論を深めた。
小沼委員・事務局長は、「世界平和アピール七人委員会は1955年11月11日発足した。ビキニの水爆実験の翌年であり、国連10周年、ラッセル・アインシュタイン宣言の年でもあった」と話し、発足以来の活動を紹介した。
最初の講演は大石委員。東村高江地区のヘリパッド建設問題に触れた後、かつての戦争の遺物や証人たちの写真をもとに、「沖縄戦の傷は今も残っている。戦争は終わっていない」と訴えた。
▼求められる「植民地・沖縄」「見捨てた沖縄」への謝罪
続いて武者小路委員は、「沖縄をイメージすることの難しさ」と題して、「沖縄は歴史的にも、国際的な位置としても、また文化の面からも、ヤマトとは違うカオがある」として、「琉球王国時代は中国からは礼楽の属国として、欧米からは琉米条約、琉仏条約に見るように、対等な国として、また日本からは鎖国日本と欧米の緩衝国としてのカオだったし、今の沖縄でいえば、日本から見れば占領地から日本に復帰した地方自治体、国連から見れば先住民族としての自治権を認められるべき被差別主体であり、米国からは『米日衛星協力体制』の中で、日本による実質支配が優先する、琉米条約の対象国だ」と説明。「いまヤマトから見れば、日中和解を作ることができる『守礼の国』だし、生命多様性を保証する先住民族島嶼国だ。しかし、ヤマトは沖縄を植民地とし、沖縄とヤマトとの間には歴史の事実を認めた和解がない。ヤマトは沖縄を植民地とした反省から始めなければならない」述べた。 そして最後に、「この日琉の和解はきっと世界の南北対立の和解に押し広げることの大前提になる。植民地侵略の被害を受けた沖縄と、植民地侵略を懺悔するヤマトとが和解し一致団結することで、日本国は初めて『日米永世中立』の中で国際社会の和解を導くクニになれる。日本の国際的な南北和解を進めるうえで、ヤマトに併合された琉球王国を継承する沖縄が、日本国家の反植民地主義を代表してくれることを、ヤマトが沖縄に依頼する姿勢をとるべきだ」と強調した。
「異化する沖縄」と題して話したのは高村委員。「沖縄は日本なのか、という問い自体おかしい。しかし、改めてそう問われると、本土の人間は困ってしまう」と切り出した。
「行政の行動に反対する運動はほかにもあるだろうが、高江の闘争はほかでは見られない。その背景には『負の住民感情』がある。米軍による犯罪も含め、この『負の住民感情』の対象は実は日本だ。もともと沖縄の人たちは争いを好まない人たちだが、沖縄を見捨てて沖縄戦をたたかい、基地の集中を丸呑みした日本に対し、憎しみが残った。満蒙開拓団の人たちは日本軍に逃げられて見捨てられたが、憎い日本とは思わない。しかし、沖縄は日本になろうとして裏切られた。日本でいるしかないから、異化し続ける。沖縄の人たちは自らを異化することで、本土に、永田町に、理解を求めている」と強調。「本土の人間として、その憎い日本を思い起こした上で、沖縄のことを知る。沖縄は日本なのか、と聞かれて日本だと答えられるようにしなければいけないと思う」と結んだ。
▼メディアが書かないことも問題
杉田教授は、「沖縄のことは関係がない、と思うこと自体が一番問題なのだと思う」と前置きして、①沖縄は日本の捨て石として地上戦が戦われた ②日本は沖縄を差し出すことで、独立を達成した ③返還時にも欺瞞があった。「本土並み」はウソだったし、「核抜き」も疑わしい ④返還後、本土の基地が沖縄に移転した ⑤基地負担は民意を無視して行われており、減らすどころか新基地を造ろうとしている ⑥本土のメディアは取り上げることが少なく関心が薄くされている―などと問題点を指摘した。
そして、関心が薄い理由について、①本土には迷惑施設を他の地域に押しつけるのと同じ「利己主義」がある ②地方蔑視がある。基地経済の意味はもう小さいのに、基地がなければ成り立たないという勝手なイメージで扱われている ③これまでの歴史も差別の構造も考えない差別意識が根強い―と述べ、「沖縄は地政学上の位置から基地は仕方がない。騒ぐのは沖縄のエゴだ、という人がいるが、これはおかしい」と指摘した。
この後、会場の質問に答えながら、全員がシンポジウムで発言。問題の深刻さをかみしめた集会だった。