「言うべきときに 言うべきことを
―私たちのアピール」を発刊

13年分のアピールを収録
>詳しくはこちら

今月のことば

2017/01/01

核兵器廃絶への軌跡とこれから

土山秀夫

 核不拡散条約(NPT)体制下でいかにして核兵器廃絶を達成させられるか―。
 最も早い応答は1986年1月、当時のソ連共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフの演説で、2000年までに核兵器を完全撤廃するというものであった。5年毎に種類別(例えば戦略核、戦術核など)の核兵器を撤去して行き、3段階の15カ年ですべての核兵器の撤去を図る提案だった。その時、彼は本気だった。
 次いでインドのラジブ・ガンジー首相は、2010年を目標にした核廃絶のための各5年、3段階の「行動計画」を提唱した。以後、ウイリアム・エプスタイン元国連事務局員による2020年完了の4段階案(1994年)、米シンクタンク「ヘンリー・スチムソン・センター」による4段階案(1995年)、科学者団体「パグウオッシュ会議」による多角的提案(1995年)、オーストラリア政府による「核兵器廃絶のためのキャンベラ委員会」の3段階案(1996年)、日本政府の委嘱による「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」の3段階案(1996年)、さらに非同盟諸国やNGOを中心とした「核兵器禁止条約」案等々が競い合うように出されている。
 上記の諸提案を見て恐らく気付かれたのではなかろうか。エプスタインまでの早い時代のものには、核廃絶の完了時期や各段階の目標期限が明示されてある。しかし、それ以後の提案にはほとんどその点が設定されていない。
 このことに関して、核保有国の拒否反応が強かったためではないか、と捉えている人が多い。その件についてパグウオッシュ会議代表だった故ヨーゼフ・ロートブラット博士に直接尋ねてみたことがあった。博士は「核軍備撤去のような複雑な過程に、特別の期限を想定するのは賢明とは言えないだろう。重大な出来事が生じたりすれば、期限付きの行動はすぐ時代遅れになるからだ」と答えてくれた。
 曲折を経た核兵器廃絶への政策は、ようやくここに来て2つの流れに収束されてきたと言っていい。1つは非核保有国の大部分が推進しつつある「核兵器禁止条約の早期の交渉開始」。他の一つは核保有5カ国が主張する「段階的(ステップ・バイ・ステップ)かつ現実の安全保障に即した核廃絶への道」がそれである。
 前者の考えの源流は1996年6月の国際司法裁判所(ICJ)による勧告的意見に求められている。つまり核兵器は国際人道法の観点から見て非人道的兵器である。従ってこれを法律によって規制(非合法化)すべきであり、国際的には核兵器禁止条約として締結されるべきである。代表国のオーストリアやスイスはそう主張する。
 2つの政策は発想の着眼点に大きい開きがあるのみでなく、会議を重ねるにつれて非核保有国の忍耐心も限界に近付きつつあった。核保有5カ国は1995年のNPT再検討会議(創設25周年)において、これをその後、無条件、無期限に延長させるため、NPT第6条の核軍縮の義務を誠実に実行する旨を力説した。しかし5年後の2000年までに核軍縮の義務はほとんど履行されなかった。反発した非核保有国の7カ国(スウェーデン、アイルランド、南アフリカほか)は、「新アジェンダ連合(NAC)」を結成し、NGOの中心的な存在であった「中堅国家構想」(MPI)と緊密な連携の下で核保有国に迫った。そして遂に、「核保有国は保有する核兵器を完全に廃棄することを明確に約束する」との合意書にサインするに至った。ただ法的拘束力の無い悲しさで、その後の再検討会議や準備委員会においても核軍縮は遅々として進まなかった。
 しびれを切らした非核保有国側は、今回の国連総会で来年3月からの総会において核兵器禁止条約の交渉開始を求めることを正式に決定した。やむをえない”見切り発車”と言うべきであろう。
 では来年以降はどうなっていくことが予想できるだろうか。確率的に高そうなのは、非核保有国グループと核保有5カ国および大部分の“核の傘”グループの対立が、より深刻な度合いを増していく可能性がある。ただし何らかの転機によって事情が好転する場合も皆無ではないかもしれない。もしそうした場合があり得るとしたら、米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長の2人がキーパーソンとしての役割を演じるのではあるまいか。