慰霊と謝罪の狭間―オバマ氏被爆地訪問に思う
バラク・オバマ米大統領は今年の5月27日に広島を訪問することを正式に決定した。
かねてオバマ氏の被爆地訪問を望んでいた私たちは、その決定を歓迎すると同時に、米国内の批判を説得しての大統領の決断を支持したい。これまでの段階では、米国内向けの大統領側近の気配りが効を奏し、被爆地訪問が決して謝罪の旅ではないと思わせることに成功しているようだ。
ただこのような事情を勘案しても、私の率直な感想として、オバマ大統領の被爆地訪問は時期を逸したものと言わざるを得ない。思い返せば2009年1月に大統領に就任したオバマ氏は、その年の4月チェコのプラハにおける「核兵器のない世界を目指す」との演説によって、世界の人々に衝撃と新鮮な感動を与えた。核兵器を使用した唯一の国としての米国の「道義的責任」に触れたのも、国内の根強い原爆投下正当論を考えれば、大統領としてギリギリの表現であったに違いない。
このプラハ演説の具体化として、同年9月にはオバマ氏の要請によって国連安保理首脳会合が開かれ、全会一致で「核兵器のない世界」を共同して実現させることを決議した。また翌10年4月には米ロ首脳による「新戦略削減条約」(新START)の署名、さらに「新安保サミット」の招集によって、参加国が今後4年以内に核拡散防止のための管理徹底を図ることを決議するなど、着実な成果を示し始めた。これによって、長期にわたって核廃絶運動に取り組んできた人々に、大きな希望と期待を抱かせたのは明白だった。
被災地長崎の私たちは、2000年、03年、06年、10年の4回、「核兵器廃絶地球市民長崎集会」という国際NGO会議を開催し、毎回延べ数千人の参加者を得ていた。この集会の実行委員会の中から、近い将来ぜひオバマ大統領をお招きしよう、そして肌で被爆の実相に触れることによって、プラハで述べた自らの理念は決して間違いではなかったことを再確認してもらい、世界をリードする核廃絶への次のステップを発信してほしい、との要望が出された。その結果、4カ月という短期間だったが7万6千人の署名を集め、委員長の私が09年11月米大使館に持参して公使に手渡した。
11年になるとルース米国駐日大使が長崎に来訪したが、事前に被爆者とは会見しないこと、原爆資料館の見学後私と朝長万佐男長崎原爆病院長(当時)の2人に面談したいという意向が伝えられた。被爆者の中には、証言を聞いてほしいとの不満もあると耳にした。私たちとの面談は約30分、通訳は入れないとのことだった。私は少しでも被爆者の意を汲めればと考えて、被爆時に医学生として救護活動に従事した体験を語り、間接的に当時の惨状を浮き彫りにした。ルース大使からはいくつかの質問があったが、中心的な内容に対して私は何となく奇異な感じを抱いた。
「被爆地の人たちは、オバマ大統領のプラハ演説をどう受け止めていると思うか」、「被爆者たちは、オバマ大統領に対してどういう感情を抱いているように思うか」といった類の質問がほとんどだった。そして面談を終えようとしたとき大使の発した言葉「今日ここで交わした対話の中で、先生方がいわれたことはむろんメディアに公表されて構いませんが、私がお答えしたことやお尋ねしたことは、一切伏せておいて頂けませんか」は、やはりそうだったのかと、私を納得させるのに十分なものがあった。
私はルース大使がオバマ大統領の被爆地訪問の予備知識として、日本側の環境、つまり被爆地や被爆者が大統領の来訪を本当に歓迎しているのか否か、原爆投下への謝罪を求める声が強いのか否かを知りたがっており、それを公表されるのは今の段階では困る、と考えていることを知った。私たちは今回の広島訪問の正式発表まで、大使との約束を守ってこの件に触れたことはない。ルース大使に始まり、ケネディ大使に受け継がれた日本側の情報、そしてワシントンの大統領側近による国内の情報が集積され、最後に大統領の決断に至った道程はようやく終末を迎えようとしている。
ただこの時の流れが長すぎた結果、09年から10年にかけてのオバマ大統領による核兵器のない世界への貢献は、その後、急速に力を失い、今は見るべき成果もなく終焉を迎えざるを得ない状況に至っている。オバマ氏個人の意思は不変であったとしても、主として米議会の強い抵抗によって妥協を強いられた結果である面が大きい。その意味で、もしもオバマ氏の被爆地訪問がせめて任期の1期目に実現し、プラハ並みの声明がだされていたとしたら、核廃絶を目指す世界の潮流はもっと希望の持てる勢いとなっていたのではあるまいか。任期の残り約半年の大統領が、いかに核廃絶への決意を示しても、象徴的意味はあるにしても、他の核兵器保有国が政策として真剣に呼応するとは先ず考えにくい。
もう一つ気がかりな点がある。安倍晋三首相が大統領の広島行きに同行することだ。そのために日米両政府の擦り合わせの中からであろう、大統領の短い声明は「未来志向」的なものであり、被爆者に限らず戦争によって命を失った全ての犠牲者に対する「追悼」の意が盛り込まれるようだ、との報道がしきりである。偶然の一致かも知れないが、「未来志向」、「犠牲者への追悼」といった言葉は、安倍首相が好んで使う表現と同じだ。それも過去の歴史認識を問われての言い逃れや、(現在こそ慎んでいるが)靖国参拝の弁解に用いられるために国民の印象は悪い。
どうかオバマ大統領はそうではなく、今後の米大統領に対して、「核兵器のない世界」の実現に向けて米国が先頭に立ち、核兵器使用国の道義的責任を果たすようぜひ申し送ってほしいものである。