今月のことばNo.15

2015年8月17日

日本国憲法第9条拡大のための次の一歩

小沼通二

 今年は、核兵器と戦争の廃絶が人類の存続のために不可欠だと呼びかけた1955年のラッセル・アインシュタイン宣言(RE宣言)から60周年にあたる。湯川秀樹も含むノーベル賞受賞者たち11人の科学者によるこの宣言は、第五福竜丸などが被災したビキニ水爆実験の実態を直視したB.ラッセルが中心となって訴えたものだった。これを受けて1957年に始まったパグウォッシュ会議は、1995年のノーベル平和賞の受賞を経て、今年の11月初めに長崎で第61回大会を開催する。
 核兵器廃絶は未だ実現していないが、1959年の南極条約での軍事措置禁止から始まって、1967年からは各地域に非核兵器地帯が次々に設定され、2000年にはモンゴル1国を核兵器のない状態に保つことを国内法と国連が確認し、核兵器国がこれらを尊重することを約束するに至った。南極ではかねてから領有権の宣言もあり、領有権主張範囲の重なりもあったのだが、条約有効期間中凍結し、新たな主張は禁止されることになった。
 戦争否定の約束は、RE宣言以前からあった。第1次世界大戦終結の2年後の1920年に発足した国際連盟(以下連盟と略)では「締約国は戦争に訴えない義務を受諾」して、紛争の平和的解決、そのための手続などを定めた。1928年には、日本も参加してパリ不戦条約が成立し、翌年に発効した。
 残念なことにこれらは、自衛権の拡大解釈によって戦争を防ぐことに成功せず、第2次世界大戦後に発足した国連も、安全保障理事会が、常任理事国自体の紛争参加や拒否権によって数多くの国際武力紛争を未然に防止できず、期待される機能を果たしていない。しかし国連の前文と第2条を見れば、原則は武力を用いないことである。国連憲章の第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」には、13条に亘って定めがある。集団的自衛権は、この章の最後に安全保障理事会が必要な措置を取るまでの期間の権利として、出て来るに過ぎない。
 こう見てくれば、日本国憲法が国の交戦権を認めないのは、国連憲章などの原則に完全に沿うものであり、70年間世界に敵を作らずに来たことは、他国にも広げていくべきものである。これを捨てて一部の国に協力して、敵を作り、軍備を拡充して、武力行使を積極的に行おうというのは、時代の逆行なのである。非核兵器地帯はすでに実現し、広がってきたのだから、武力行使を否定する非戦争地帯を設定し、これを国連が認め、これらの国では軍隊を警察に改編していくことを目指すことは夢でなく、向かうべき現実である。そのための努力は国家だけに任せるのでなく、対人地雷やクラスター弾の禁止条約の成立にNGOと一部の国のイニシアティブが決定的役割を果たした前例に従って、世界のNGOと手を携えて一歩一歩進めていくことを考えていきたい。