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2017 125J 国会が死にかけている

2017年6月10日
アピール WP7 No.125J
2017年6月10日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫

 かつてここまで国民と国会が軽んじられた時代があっただろうか。
戦後の日本社会を一変させる「共謀罪」法案が上程されている国会では、法案をほとんど理解できていない法務大臣が答弁を二転三転させ、まともな審議にならない。安倍首相も、もっぱら質問をはぐらかすばかりで、真摯に審議に向き合う姿勢はない。聞くに耐えない軽口と強弁と脱線がくりかえされるなかで野党の追及は空回りし、それもこれもすべて審議時間にカウントされて、最後は数に勝る与党が採決を強行する。これは、特定秘密保護法や安全保障関連法でも繰り返された光景である。
 いまや首相も国会議員も官僚も、国会での自身の発言の一言一句が記録されて公の歴史史料になることを歯牙にもかけない。政府も官庁も、都合の悪い資料は公文書であっても平気で破棄し、公開しても多くは黒塗りで、黒を白と言い、有るものを無いと言い、批判や異論を封じ、問題を追及するメディアを恫喝する。

 こんな民主主義国家がどこにあるだろうか。これでは「共謀罪」法案について国内だけでなく、国連関係者や国際ペンクラブから深刻な懸念が表明されるのも無理はない。そして、それらに対しても政府はヒステリックな反応をするだけである。
 しかも、国際組織犯罪防止条約の批准に「共謀罪」法が不可欠とする政府の主張は正しくない上に、そもそも同条約はテロ対策とは関係がない。政府は国会で、あえて不正確な説明をして国民を欺いているのである。

 政府と政権与党のこの現状は、もはや一般国民が許容できる範囲を超えている。安倍政権によって私物化されたこの国の政治状況はファシズムそのものであり、こんな政権が現行憲法の改変をもくろむのは、国民にとって悪夢以外の何ものでもない。
 「共謀罪」法案についての政府の説明が、まさしく嘘と不正確さで固められている事実を通して、この政権が「共謀罪」法で何をしようとしているのかが見えてくる。この政権はまさしく国会を殺し、自由と多様性を殺し、メディアを殺し、民主主義を殺そうとしているのである。

PDFアピール文→ 125j.pdf

今月のことばNo.35

2017年6月8日

JASON機関

池内 了

 アメリカの軍事顧問団であるJASON機関をご存知だろうか?著名な科学者が何人も参加して軍事戦略や戦術について議論し、秘密報告という形で政府や軍(国防省)に提言してきた集団である。決して自らJASONのメンバーであることを名乗らないことになっていて、誰にも知られていないはずなのだが、本人が思う以上に知れ渡っているようである。
 JASONは1960年頃、米政府が設立したARPA(高等研究計画局、現在は国防省所属で国防高等研究計画局DARPAとなっている)がスポンサーとなり、マンハッタン計画に参加した「国を憂うる」物理学者たちが組織した集団である。政府や軍に自分たちの秘密報告を高く買わせるため、会員はノーベル賞受賞者、あるいはそれに匹敵するくらい著名な科学者でなければならず、会員推薦は自分たちのみで決定できるという特別の権利を保有してきた。「政府公認秘密会員制特権諮問機関」と言えるだろうか。
 JASONという呼び名は、この機関を作った物理学者マーフ・ゴールドバーガーの妻のミルドレッドが名付けたとされている。金の羊毛を求めてアルゴー船で地中海を遠征したイアソンのことで、首尾よく金の羊毛を手に入れるや、内妻であった王女メディアを捨ててコリントスの王女と結婚し、そのためメディアに復讐され、ついに命を落としたという有名なギリシャ悲劇の主人公の名前である。「アメリカを裏切るなんてことをしないでしょうね」という意味を込めて、ミルドレッドは印象に残る名前をつけたようだ。夏休みに入った7月(July)から集まり、8月(August)、9月(September)、10月(October)と議論を重ね、ようやく11月(November)になって報告書が出るためJASONさ、と煙にまく説もある。
 ベトナム戦争時にクラスター爆弾(蝶々爆弾とか親子爆弾とも呼ばれた)や電子バリア(ジャングルに通信装置をばら撒いてベトコンの通路を探る)を提案し、ケサンの戦いで小型戦術核を採用すべきとの提言を行なった(採用されなかった)。他にも(秘密報告が主なので真偽が確かめられないのだが)劣化ウラン弾の利用や農薬散布もJASONが言い出したのではないかと疑われている。
 彼らは自らを愛国者と位置づけ、おぞましい兵器や作戦を提案しながらも、「自分たちは犠牲者の数を減らした」と嘯き、「国家が困っているときに助け舟を出すのは科学者としての社会的責任」と居直る。他方、市民から非難された場合には「自分たちは単に提案しただけで、その責任は実施した軍にある」として責任逃れをする。私は、「彼らの言う社会的責任は全く的外れであり、科学に名を借りた自ら手を汚さない殺人集団」だと思っている。今もなおJASONが米軍の背後で活躍していることを時々耳にするのがおぞましい。
 軍学共同がどんどん進んでいけば、このような科学者が日本でも輩出するようになりかねない。今のうちに科学者の軍事研究の芽をつぶしておかねば、と思っている。

(注)JASONに関しての参考文献が以下にあります。ご参照ください。
    雑誌「素粒子論研究」48巻3号312〜317ページ 1973年11月20日発行
    http://ci.nii.ac.jp/els/contents110006468947.pdf?id=ART0008488615

今月のことばNo.34

2017年5月3日

朝鮮の核開発と日本の選択

武者小路公秀

 核・ミサイル開発を進める朝鮮の政策は、残念ながら間違った前提に立ったものです。
 そもそも核兵器開発は、米ソの「核競争時代」には、全面戦争以外では使えないが、より強化することで外交交渉を有利に進める「戦略兵器」として考えられてきました。その時代、核兵器は、いわば「戦略」的利用に限定され、その「戦術」的利用は抑えるという軍備管理の下で進められてきたといえます。「相互確実破壊」(Mutual Assured Destruction=MAD)と呼ばれるこの理論は、最初に核攻撃をしても、攻撃された側は、核反撃できる能力を持つため、攻撃側も破滅的な反撃を受けることになり、結局、核を使えない、という状態が出来てしまうと考えた「理論」でした。
 朝鮮が核兵器開発を始めた下敷きは、実はこの戦略でした。朝鮮は、「核を持たなければ、核大国に対抗できない。だから核開発を」と、米国との交渉を有利にしようと核開発をすすめたのです。国際政治の場で見ると、このことだけ捉えれば、朝鮮の核開発も、米国の核攻撃への反撃を準備しているわけで、すぐケシカランということにはなりません。
 しかしその後、大国間では、戦術核と戦略核との区別をしない傾向が強まり、戦略核だけでなく、戦場で使える小型の戦術核兵器の開発が進みました。いまでは、簡便で小型な核兵器が製造されてきています。オバマ大統領は退任直前「核の先行不使用」宣言をしましたが、核兵器を専ら戦場で使う戦術兵器とみなす傾向は、今日の米国を支配しています。
 ところが、朝鮮はその点を計算に入れず、米国の核と互角の能力を持つことを考えた核開発を進めています。つまり、朝鮮の政策は、全く今日の国際社会では通用しない、大変な誤算に基づいた政策です。大国の核のバランスで平和を保つとされた時代は終わり、核を持つ国も増えてきています。第一、米朝間には、相互確実破壊戦略の下で戦争を避けようという了解は存在しません。むしろ、小国であれ、大国であれ、核兵器が使用されれば、事態は関係国だけでなく、人類全体を巻き込むことになってしまいます。
 トランプ大統領は、核兵器を平和交渉の基盤にする知恵は持っていないようで、むしろ、核を「戦術兵器」のひとつと考えているようです。ですから、トランプと同じ立場に立つ、という安倍首相は、とんでもない物騒な考え方だと言えるでしょう。
 日本は今、4つの核武装国家に囲まれています。その中で、トランプの米国の「核の傘」の下にいることは、見当違いで危険な政策です。それは結局、危険な核戦争を朝鮮にけしかける、米国の危険な「賭け」を支持することにもなりかねないのです。
 日本はいま、中国とロシアとともに.近い将来、韓国も選ぶ対話・交流の太陽政策で、米国と朝鮮との対話の準備をすべきです。反テロ戦争や朝米軍事対決で私腹を肥やす軍・産・官グローバル勢力がたきつける「武装のもとでの積極平和」を否定しましょう。
 日本は、武力を前提にした「殺人国家」に代わり、武力を否定する「活人国家」になるほか、生き残ることが出来ません。それが日本の「世界的な使命」を全うする道です。
 世界終末時計の針が2分30秒前になっているいま、人類の希望を担う近代国家の非軍事化の先鞭をつけるのは、かつて植民地主義侵略国であった日本の反省を生かす「和解の道」でもあります。
 沖縄の同胞は、すでにこの道を選び、辺野古で闘っています。同じ道を歩みましょう。

2017 124J テロ等準備罪に反対する

2017年4月24日
アピール WP7 No.124J
2017年4月24日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫

今年、私たちは日本国憲法施行から70年を迎える。その憲法19条が保障している国民の精神的自由権を大きく損なう「共謀罪」新設法案が、国会で審議入りした。犯罪の実行行為ではなく、犯罪を合意したこと自体を処罰する共謀罪は、既遂処罰を大原則とする日本の法体系を根本から変えるものであり、2003年に国会に初めて上程されて以降、たびたびの修正と継続審議を経て3度廃案となった。それがこのたび、「テロ等準備罪」と名称を変えて4度目の上程となったものである。
2000年に国連で採択され、2003年に発効した「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国際組織犯罪防止条約)」を批准するに当たって、同条約の第5条に定められた「組織的犯罪集団の二人以上が犯罪行為への参加を合意したことを犯罪とするための立法措置」を満たす共謀罪の新設が必要、というのが政府の説明である。
安倍首相は、共謀罪を新設させなければ、テロ対策で各国が連携する国際組織犯罪防止条約を批准できず、2020年東京オリンピック・パラリンピックが開催できないと発言してきたが、これは大きな事実誤認、もしくは嘘である。
第1に、国際組織犯罪防止条約は、第34条で各国に国内法の基本原則に則った措置をとることを求めており、共謀罪の新設が強制されているわけではない。また過去には、日本は必要な立法措置をとらずに人種差別撤廃条約を批准していることを見ても、共謀罪を新設させなければ批准出来ないというのは、事実ではない。
第2に、国際組織犯罪防止条約の批准に新たな立法措置は不要となれば、同条約の批准をテロ等準備罪新設の根拠とすることは出来ない。
第3に、同条約も、テロ等準備罪も、どちらも本来はテロ対策を目的としたものではない。現に、テロ等準備罪がなければ対処できないようなテロの差し迫った危険性の存在を、政府は証明していない。同様に、すでに未遂罪や予備罪もある現行法で対処できない事例についての明示もない。
第4に、今回、世論の反発を受けて条文に「テロ」の文言が急遽追加されたが、277の対象犯罪の6割がテロとは関係なく、法案の提出理由にも「テロ」の文言はない。
以上のことから、テロ等準備罪が新設できなければオリンピックが開催できない等々は明らかな嘘であるが、このように国民を欺いてまで政府が成立を急ぐテロ等準備罪の真の狙いについて、私たちは大きな危機感を抱かざるをえない。
第1に、テロ対策と言いつつ対象犯罪をテロに限定しないのは、「4年以上の懲役・禁固の刑を定める重大犯罪」に幅広く網をかけるためであろう。
第2に、組織的犯罪集団ではない一般の市民団体であっても、犯罪団体へと性格が一変したときには捜査対象になるとされる以上、いつ性格が一変したかを判断するために、市民団体なども捜査当局の日常的な監視を受けるということである。
第3に、同罪の成立には何らかの準備行為が必要とされているが、何をもって準備行為とするかの詳細な規定はなく、さらに政府答弁では、その行為は犯罪の実行に直結する危険性の有無とも関係ないとされる。とすれば、捜査当局の判断一つで何でも準備行為になるということであり、構成要件としての意味をなさない。
第4に、政府答弁では、捜査当局が犯罪の嫌疑ありと判断すれば、準備行為が行われる前であっても任意捜査はできる、とされている。
これらが意味するのは、すべての国民に対する捜査当局の広範かつ日常的な監視の合法化であり、客観的な証拠に基づかない捜査の着手の合法化である。犯罪の行為ではなく、犯罪の合意や計画そのものが処罰対象である以上、合意があったと捜査当局が判断すれば、私たちはそのまま任意同行を求められるのである。
テロリストも犯罪集団も一般市民の顔をしている以上、犯罪の共謀を発見するためには、そもそも私たち一般市民のすべてを監視対象としなければ意味がない。そのために、盗聴やGPS捜査の適用範囲が際限なく拡大されるのも必至である。
政府の真の目的がテロ対策ではなく、国民生活のすみずみまで国家権力による監視網を広げることにあるのは明らかである。一般市民を例外なく監視し、憲法が保障している国民の内心の自由を決定的に侵害するテロ等準備罪の新設に、私たちは断固反対する。

PDFアピール文→ 124j.pdf

今月のことばNo.33

2017年3月15日

「事実」の危機

髙村薫

 私たち日本人は戦後の長きにわたって、事実と嘘の区別を自明のこととしてのどかに生きてきた。ときに政治信条の偏りはあっても、新聞やテレビはおおむね事実を報道し、仮に事実でなかった場合にはそのつど追及や謝罪、訂正が行われてきた。おかげで社会に関心のある人も無い人も、新聞を読む人も読まない人も、その気になればひとまず事実を知るすべはあるという仕合わせな幻想の上に安住してきたのだが、アメリカでは大きく事情が異なる。
 自身の政権を批判する報道をすべて「偽ニュース」として一蹴するトランプ大統領の不見識もさることながら、既存のメディア全般に対するアメリカ国民の不信感の広がりはすさまじい。2014年のギャロップ社の世論調査では、新聞・テレビ・ラジオなどのメディアについて、「とても信頼している」「それなりに信頼している」と回答したアメリカ人は40%に留まっている。支持政党別では共和党支持者が27%、民主党支持者が54%である。既存のメディアを信頼していない60%の人びとは、SNSなどで自分に必要な情報を、必要なときに入手しているという。
 このアメリカのメディア不信は、二つのことを教えている。一つは、アメリカ人はある事柄について、それが事実であるか否かに必ずしもこだわらなくなっていること。またもう一つは、とくに政治面でのアメリカ人一般の関心事が、既存のメディアのそれとずれていること、である。たとえば、メディアから納税記録の開示を求められたトランプ大統領が、そんなものに興味があるのはメディアだけだ、国民は関心がないと一蹴したのは、そのことをよく表している。しかも、そこには一片の真実が含まれている。新聞やテレビは長年、その特権的立場にものを言わせてさまざまな「事実」を伝えてきたが、それらは社会的エリートたちの基準で選別された「事実」であって、下層の労働者たちが必要とする「事実」ではなかったということである。
 かくして大衆が関心を払わなくなった「事実」は価値を失い、代わりに「もう一つの事実(オルタナティヴ・ファクト)」が公然と語られる社会が出現しているのだが、ここで注目すべきは既存のマスメディアの予想以上の劣勢である。何であれ「事実」を知りたいと思う大衆が消えた社会に、マスメディアの居場所はない。またそれ以上にこのネット社会では、マスメディアが伝える「事実」も、巷に溢れる有象無象の情報も、「偽ニュース」もオルタナティヴ・ファクトも、すべてが並列になる。そして、そのなかでより派手で目立つ主張がしばし時代を席巻する一方、良識や公共の精神を自負してきたエリートやマスメディアはますます後退を余儀なくされてゆき、市民がときどきに正確な情報を入手できる可能性はどんどん小さくなってゆくだろう。
 しかしながら、私たちの国もマスメディアをめぐる近年の状況は基本的にアメリカと同じである。しかもこの国には、アメリカでは見られない無関心という巨大なブラックボックスがあるため、実はアメリカ以上に「事実」は危機に瀕していると見てよい。