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2020 141J 核兵器と戦争の廃絶に向けて今こそ行動を ―広島・長崎被爆75周年―

2020年8月1日
アピール WP7 No.141J
2020年8月1日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫 島薗進

広島・長崎の被爆による惨禍から75年を経過した。多くの被爆者が後遺障害を抱えながら、屈することなく核兵器廃絶の声を挙げ続けている。B.ラッセル、A.アインシュタイン、湯川秀樹たちはそれぞれ、広島・長崎の惨禍を知ってすぐ、今後核戦争が起これば放射能の影響によって人類が滅亡する可能性があると警告した。また彼らは、ビキニ事件の翌年の1955年に11人の科学者の連名でラッセル・アインシュタイン宣言を発表し、核兵器廃絶・戦争廃絶のために世界の科学者が協力して努力することを求めた。
現在核兵器を保有する国は米国・ロシア・英国・フランス・中国・イスラエル・インド・パキスタン・北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の9か国あり、核弾頭数は13,400発を超え、このうちの9割以上を米国とロシアが保有している。米ロ英仏の4か国は、大陸間弾道ミサイル・潜水艦発射ミサイル・爆撃機搭載などにより、核弾頭を作戦配備状態においている。(他の国の配備状態は発表されていない。)
2017年には核兵器禁止条約が、国連加盟国の三分の二近くの賛成によって採択され、発効に向けて署名・批准が進んでいる。この条約は、核兵器を完全な非人道的兵器であると断じて、核兵器に関わるあらゆる活動を禁止し、核兵器廃棄の基本的道筋を示し、核兵器による被害者の支援と、実験と使用によって汚染された環境の回復を定めている。
しかるに核兵器国は、核兵器の近代化・小型化を進め、核兵器禁止条約交渉には参加せず、妨害すらおこなっている。日本を含む核兵器依存国も世界の潮流に乗り遅れている。しかも、米国は2018年2月の「核態勢見直し」において、またロシアは2020年6月の「核抑止の国家政策の基本」において、通常兵器による攻撃に対する核兵器による反撃の可能性を表明している。これらは核兵器の実戦使用を容易にしようとするきわめて危険な動きであって、決して認めることができない。
 すべての核兵器と戦争の速やかな廃絶を65年前の発足時から求めてきた私たち世界平和アピール七人委員会は、

  1. まず核兵器不拡散条約(NPT)に加盟する米ロ英仏中の5か国、特に最大の核兵器保有国である米ロ二か国が率先して、条約第6条に規定する核軍縮交渉を直ちに開始し、誠実に結論を導き、履行すること、
  2. 日本を含めて核兵器禁止に賛成できていない国の政府が、核兵器への依存政策から速やかに脱却すること、
  3. 核兵器禁止条約を一日でも早く発効させること

の実現を目指して、世界のすべての人たちが行動するよう呼びかける。

PDFアピール文→ 141j.pdf

今月のことばNo.54

2020年7月11日

差別について~新型コロナ禍の日々に思う

大石芳野(写真家)

 世界中が新型コロナウィルス(COVID-19)で混沌(カオス)としているなかで改めて考えさせられることがある。そのひとつが差別の問題だ。

 新型コロナウィルス(COVID-19)対策に従事する看護師の子どもが保育園側から「来ないでくれ」と登園を断られた。また、横浜のクルーズ船で感染して完治した乗客は友人から「治っても会いたくない。外にも出ないで」と言われたと報じられた。感染者への侮辱的な言葉に暗澹とさせられる。患者たちを治療する医療関係者に対してばかりか、その家族への暴言やいじめも後を絶たない。医師や看護師たちがいなかったら治療もままならないことは加害者当人も分かっているはずだが。
 ウィルスへの怯えが高じて排除の気持ちにさせるのはまさに利己的な自己防衛だ。ウィルスに怯える人間がウィルスよりも怖いとよく言われることを実証している感じがする。けれど実際は違う。カミユは『ペスト』の中でこう語っている。「誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ。」そして「りっぱな人間、つまりほとんど誰にも病毒を感染させない人間とは、できるだけ気をゆるめない人間のことだ。」(宮崎嶺雄訳)
 イタリアやフランスでは新型コロナで亡くなった人たちに敬意を表して新聞に一人ひとりの名前や簡単なメッセージを書いて掲載したそうだ。それに比べて日本はどうだろうか。ほとんど多くの場合、当人の名前も遺族についても固く伏せる。差別はどの国にも見られるが、日本のように直接的なコトバを投げかけて当事者を貶めようとする言動がまかり通っているのはなぜだろうか。
 そう考えながら重なるのはアメリカでの黒人に対する「命の格差」を巡る問題だ。アメリカ人は拉致や誘拐によって大勢のアフリカ人を連行し、奴隷として酷使しながら繁栄を図ってきた。その差別が最近もまた白人警察官に繰り返されて「人種差別反対」の大デモに発展した。それはミネソタ州の黒人男性ジョージ・フロイドさん(46)を撮影したSNS映像がきっかけだった。警官はズボンのポケットに手を入れたまま、足でフロイドさんの首を8分間余りも踏み続けて殺害した。人びとは激しい怒りを露にし、新型コロナウィルスによるパンデミック状態によって死者や失業者が続出するなかで、「黒人の命は大事だ」と声をあげて人種差別の撤廃を求め、その波は欧州にも広がった。
 私たちの周辺にもある差別の深い淀みについて思う。無意識の内にも沢山の差別をしながら生活をしているし、差別は至る処に漂っている。為政者が人びとの身分をあえて分類別をした遠い過去の被差別部落という負の遺産が生き続けることにも遠因のひとつはあるのだろうか。まるで可視化できるような差別はいくらでもある。
 たとえば、福島原発事故の被災者に対する心無い言動だ。彼らは使用していない東京電力の放射能汚染に襲われて逃れたにも拘らず、東京電力を使用する首都圏の人たちに「放射能がウツル」と疎外された。また、水俣病を筆頭に大企業は数多くの公害病患者を産み、無関係を装った大勢の暗い人差し指が患者たちを受難へと追い込んだ。そして原爆投下による広島・長崎の被爆者は恐怖の記憶と原爆症との闘いを強いられてきた。ある被爆者は「一番の辛さは差別です」と暗い眼差しを向けて私に語った。
 さらに沖縄の米軍基地は差別以外の何ものでもない。県民の大半が米軍基地反対の表明をしても、辺野古に現れているように、政府は全く考慮しない。これは為政者の差別と国民の無関心のせいだろう。それでも彼の地を訪れる度に人びとは人懐こい笑顔で私に接してくれる。その懐の深さに、構えたカメラのファインダーが曇ることがある。
 在日コリアンへのヘイトスピーチも深刻な問題だ…。挙げれば幾つもの差別を私たちは日常のなかで産み育てている。新型コロナウィルスに対する恐怖心は強くても患者にならない保証は誰にもないことも含めて、自分の心の奥にある無意識の差別意識によって加害者側にもなる。ではどうするのか。結局、もし自分だったら、という想像力を働かせて相手の身になることだろう。些末な差別心を放っておくことで憎しみが芽生え、歴史が雄弁に示すように取り返しがつかない人権破壊に繋がらない前に。(2020年7月9日)

今月のことばNo.53

2020年6月13日

「人間の安全保障」と「人間運命共同体」の危機 コロナ問題での「米中対立」から考える

武者小路公秀

(1)米中共同で進めた「コロナ研究」

 WHOでの米中対決は、コロナウイルスに人類全体が立ち向かわなくてはいけないときに、大変残念なことです。
 WHOは、2009年にH1N1感染症(新型インフルエンザ)発生の際、WHOでの国際協力が不可欠と考えた中国政府が台湾にWHO総会のオブザーバー資格を承認してきたのですが、米国のトランプ大統領は、「WHOは中国寄り」として、WHOへの資金供出を停止すると発表しました。
 もともと、台湾をオブザーバーにすることについては、「台湾は中国の一部である」との立場に立ちながらも、中国政府は「人間の安全保障」の立場、「人類の運命共同体」への所属を強調する立場で認めたものでした。米中経済戦争が「人間の安全保障」や「人間運命共同体」の危機をエスカレートさせてしまったのは、残念なことでした。

 今回の武漢のコロナウイルスの発生は、米国政府と米欧メディアによって中国政府の責任問題に矮小化されようとしています。
 今回、コロナウイルスはどこから来たのでしょうか。筆者も当初、武漢の感染症研究所が新型コロナウイルスを人間に感染するウイルスに転換する生物兵器の研究所ではないか、と想像しました。
 「細菌兵器及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵を禁止する」生物兵器禁止条約は 1972年に成立しており、その研究開発は「人類に対する犯罪」です。そして、ウイルスを新しく人間に感染するものにする「機能獲得型」の研究は、明らかに国連の刑事裁判所で犯罪として裁かれるべきものです。
 しかし一方で、細菌やウイルスの研究は、兵器に開発されたウイルスに対する「防衛」「予防」のための研究という「防御的な側面」がある「両用技術開発」だったことも事実です。「防衛的な意味」での研究については、感染症研究者などから、国際人権の立場での強い反対もありますが、多国籍巨大企業群などが援助し、公認されてしまっています。
 特に、武漢の感染症研究所も、新型コロナウイルスの人間への感染について、米国のノースカロライナ大学との共同研究をしていたという事実が明らかにされ、「人間の安全」を保障する立場にたって、すでに何年か以前から、米中両国の専門家の間の協力研究が進んでいたことがわかりました。

 米国は今回のウイルスを「武漢の研究所から流出したものだ」と主張し、中国は「狂気の沙汰だ」と反論していますが、決着はついていません。5月7日のCNNによれば、米、英、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの「ファイブ・アイズ」のネットワークは、この説の可能性を「極めて低い」とみているそうです。
 中国政府が新型コロナヴィルスの出現を最初に見つけて訴えた李文亮医師を「デマを飛ばす」として処罰したり、感染の発生について十分な情報公開が遅れたりしたことが、「疑惑」の根拠になっていることも否定できません。
 今後のウイルス対策を考える上でも、このウイルスが、人為的につくられたものか、そうではなかったのかは、冷静に、学術的な立場で、事実を究明する国際的な努力が求められています。

(2)医療従事者を支えた「社会主義核心価値」の「敬業」

 武漢のウイルスとの闘いには、武漢の閉鎖とともに、外部から多数の看護師の動員がありました。長い髪を切って丸坊主になって働いたという看護婦さんの「献身」が報道されましたが、派遣された人々には「自発的」なケースも「強制的」に動員されたケースがあっただろうことも、容易に想像されます。
 日本をはじめ自由主義諸国では、こうした活動を支えるのは、十分な「手当」のほかに、「人権」の感覚でしょう。西欧的な「人権」感覚を持たない中国で、なぜ、こうしたことが可能になったのでしょうか? 米欧メディアが決めつけている「共産党政府の独裁」の結果でだけ、だったのでしょうか?
 私はこれこそ、中国が提唱してきた「社会主義核心価値」の価値観が生んだものが大きかったのではなかったのか、と考えています。

 2012年11月、中国共産党第18回全国人民代表大会は、「社会主義核心価値観」を提唱し、それ以来、中国のさまざまな場所でこの12項目のことばが溢れています。「富強」「民主」「文明」「調和」「自由」「平等」「公正」「法治」「愛国」「敬業」「誠信」「友善」です。私の理解では、中国ではこれらの項目が、米欧の人権などに対応し、中国政府の「人類運命共同体」参加の精神的な支えになっています。「自由・平等・友善」はフランス革命の「自由・平等・博愛」と同じものです。「敬業」はその中で、全ての中国市民の多様な仕事、特に自分の仕事の重要さを尊敬する価値観です。
 「敬業」の中で培われてきた、「専門職の倫理」、西欧で言えば「プロフェショナリズム」が、支援に来た医療従事者を支え、外部と遮断された武漢の人たちを支えていたのではないでしょうか。12の価値の中には「友善」もあります。人間同士互いの生活を支え合う「友善」の思想は、自由・平等と並んでフランス革命のスローガンと同じものだろうと思います。

 日本にもこういう思想が生きていたと思います。今回も、国民の中からはそうした姿勢がごく自然に湧き上がりました。
 しかし、政府の対応はどうだったでしょうか? つまり、国民の仕事を「軽業」と「重業」にわけ、日本経済をささえている仕事をしている人々を「重業」の対象として豊かな支援を送り、そうでないと判断された職業の人たちは、仕事を敬うどころか、「軽業」と軽んじられ、十分な支援はされていないように思えます。例えば日本で働いている外国人労働者は、日本人と同じ仕事をしていても、軽んじられてはいないでしょうか。
 「重職業」には、生物兵器をつくることも、ワクチンを製造する職業も含まれます。また、「重職業」は中国・米国・日本など国家の中だけにあるのではなく、多国籍巨大企業などが巨利をむさぼっています。この問題については、私と同年配の板垣雄三東大名誉教授が詳細な分析を公表しておられるので、ここでは触れません。
《板垣雄三「コロナ危機の「目隠し状態」から脱け出して、広く世界を見渡そう」http://blackisbeautiful2013.blog.fc2.com/blog-entry-12550.html
 中国でも、戸籍を故郷の農村にのこしてきた「農工」(農民工)の中には、コロナウイルスで生活できなくなっている人々もいるようです。

(3)真の日中友好のために

 新型コロナウイルス感染症は、人々の交流が活発になる現代の世界で、瞬く間に世界中に広がりました。生活物資が不足したり、生産部品がなくなったりしたことで、今更ながら「世界は一つ」であることも実証されました。
 すべての人が世界の今を支えているいま、私たち現代に生きる人類は、国同士の不毛にも見える論争を超えて、新型コロナウイルス感染症の感染を克服し、「重業」と「軽業」に分解され始めている世界の現状を、何とか食い止めることは急務です。
 そのためには、体制の違いを強調するのではなく、中国には中国の論理と価値観があることを尊重し、そのことを通じて、必要な対応が行われるよう考えることが大切です。既に述べたとおり、あらゆる職種の仕事を尊敬する「敬業」の精神と、仲間としての友情に基づく善行である、包括的な「友善」を基本にした考え方は、西欧社会でもごく普通に受け入れられることでしょう。

 私たちには、とかく、日本や米欧は「民主主義諸国」、中国は「独裁・非民主主義国」とする必ずしも正確でない分類や、思い込みが先だって、正確な判断ができないことがあるように思います。
 また、90歳の筆者にとって、小学生時代に、上海事変(1932年)の「爆弾三勇士」を讃えていた教育や、日本軍による武漢三鎮の占領(1938年)を祝う提灯行列はよく記憶しています。同時に、かつての大戦での中国への蔑視や、日本軍の犯した誤りの贖罪など、複雑な思いの中で、判断はより微妙な色合いを持ってしまいます。
 こうした中で、私は日本人として今回のコロナウイルスの武漢市民の苦難について、ただ傍観者になって中国政府を批判する気持ちにはなれない複雑な気持ちになっています。

 われわれ日本人民と中国の人民は、ウイルスによって生命を奪われるなど、いろいろな悲しみや苦しみの犠牲者になっている点で、共通の痛みを感じています。
 ですから、日本でも中国でも、ウイルスの脅威を経済戦争の劇化で考えるのではなく、むしろウイルスへの共通の安全保障、共通の包摂的な和解の新しい生活、日中共同の「敬業」、両国人民の多様な仕事の相互的な尊敬ができる地域の「友善」に基づく付き合いで考えたらどうだろう、と考えます。
 中国自身が掲げる「価値観」。たとえば「敬業」や「友善」、それをベースに、中国の抱える問題―都市と農村、チベット、ウイグルや香港など―も、「和解」の道を歩けるように、支援していくことが大切ではないでしょうか。(2020年6月10日)

今月のことばNo.52

2020年5月12日

愚かな戦争繰り返すのか―世界の在り方を考えるとき―

大石芳野

シリーズ:大型評論「新型コロナと文明」 (共同通信社)

パリやロンドン、ニューヨークなどの大都市が、新型コロナウイルスまん延のため無人になった光景を見た時、「これは戦争で敵に占領された街と同じだ」と思った。
私はほぼ半世紀にわたり、戦禍をくぐり抜けて生き延びた人々を取材している。内乱や戦争で破壊された数多くの街に足を踏み入れたが、そこで目にした無人の光景がコロナ禍に見舞われた都市の姿と重なる。そして戦禍の街で感じた何とも言えない恐ろしさをいま、同じように感じている。
2011年、東京電力福島第1原発事故の後、それほど時を経ずに同原発から20㌔圏内の村々に入った時も、このような感覚になったことがある。しーんと静まりかえった地に立って思ったのは、何も見えないが、多くの敵に囲まれているという感覚だった。放射線という敵があたり一面にいて襲ってくる。私は敵の陣地にいるのだ、という思いを強くした。
新型コロナウイルスに襲われた東京も同じだ。ウイルスは人の細胞に取り付くので目には見えないが、私たちの社会はいま、目に見えない大きな敵によって、じわじわと侵されていると言えるのだろう。

▽巨大空母が無力に

武器や兵器による戦争であれば、例えて言うと、銃を持った兵士が市民を撃つという加害者と被害者の構図がある。ところが、新型コロナウイルスは銃を持った人間にも同じように襲いかかる。コロナ禍の下では、銃口を向ける行為が意味をなさなくなる。そこがこれまでの戦争とは、大きく様相が異なるところだ。
米国の原子力空母の乗組員が多数、このウイルスに感染し、死者も出たという。数千人の乗組員をすべて上陸させ、空母は軍港に停泊したまま戦闘機能を失っている。巨額な資金を投入して造られた島のような鉄の塊が、無用の長物と化しているのだ。
こういう状況を目の当たりにした時、国連のグテレス事務総長が3月24日に発表した「グローバル停戦の呼びかけ」という声明をあらためて思い起こした。
声明は「このウイルスには、国籍も民族性も、党派も宗派も関係ありません。すべての人々を容赦なく攻撃します。その一方で全世界では激しい紛争が続いています」とした上で、障害者、社会から隔絶された人、避難民など、最も弱い立場にいる人々が最も大きな犠牲を払っていると指摘。グローバルな停戦を呼びかける理由として「ウイルスの猛威は、戦争の愚かさを如実に示している」と述べている。
私は、この声明に大きく頷いた。いまは、武力を持ち戦うことをやめなければならない。事務総長の言葉を借りれば「戦争という病に終止符を打ち、世界を荒廃させている疾病と闘うこと」に集中すべきだ。
戦争とは何なのか。突き詰めれば人間の欲望の産物なのだ。米国はこれまでに多くの戦争を起こしてきたが、これは米経済を支える軍事産業を維持し、発展させるために行ったとも言える。日本には米軍基地が各地にあり、日米の巨費が投じられているが、そうした資金をこのウイルス感染拡大の影響で職を失ったり、仕事を中断せざるを得なくなったりした人たちに回すべきだ。
安倍晋三首相はよく「国民を守る」と言うが、その意味は何かと問いたい。巨額の戦闘機やミサイル迎撃システムを米国から購入することも国を守る手段なのかもしれないが、本当に守るのは国民一人一人の命だ。命を守るというのは、どういうことなのか、このコロナ禍のさなかに私たちは考えなければならない。

▽地に足をつける

トランプ大統領は、米国のウイルス感染が拡大するにつれて、中国を非難する言動を繰り返しているが、そのトランプ大統領を国連の場でにらんだ少女がいる。スウェーデンの少女、グレタ・トゥンベリさんだ。
パンデミックになったいま、16歳だったグレタさんが昨年9月、国連の「気候行動サミット」で語った演説が脳裏によみがえっている。
「人々は苦しみ、死にかけ、生態系全体が崩壊しかけている。私たちは絶滅に差し掛かっているのに、あなたたちが話すのは金のことと、永遠の経済成長というおとぎ話だけ。何ということだ」
経済活動最優先で、二酸化炭素(CO2)の排出量を抑制できず、地球温暖化を加速させてしまった〝大人たち〟への強烈な批判の声だった。
温暖化によって、極地をはじめ世界中の氷が溶けだし、海面上昇で水没しそうな島や川底に沈みそうな村がある。それだけではない。永久凍土が溶け出すことによって、封じ込められていたさまざまな微生物や菌が目覚め、融合することで新たな病原になるかもしれない。新型コロナウイルスと地球温暖化との関連は不明だが、温暖化による異常気象が山火事や水害などとともに、新たなパンデミックの引き金になる可能性もある。
グレタさんは「経済成長というおとぎ話」と言ったが、産業革命以降、人間はひたすら経済成長を求めてきた。これを支えたのが科学技術の進歩だった。科学文明イコール、マネーだったのだ。ウィルスに対処するのも科学力が欠かせないが、科学文明はまた兵器開発によって軍事力増強も支えてきた。
いままた、仮想現実(VR)や人工知能(AI)といった最先端の科学技術を経済成長、すなわちマネーに結びつけようと夢見ている人の群れがある。私には、そうした人々が、最先端の技術に遅れまいとして、つま先だって小走りで追いかけている姿に見えてしまう。地に足をつけて生きていくことの大事さを忘れているような気がする。
私はこれまでに、戦争で心身ともに傷ついた女性や子どもたちを数え切れないくらい大勢見てきた。彼女らは、銃や爆弾などの兵器によって、家や家族を失った。あの子どもたちの涙や嘆きの表情が繰り返される戦争をまだ続けるのだろうか。
新型コロナウイルスが世界を襲ったいまこそ、軍事、経済最優先の社会から脱して、温暖化対策や医薬開発などに巨費を投じるべきだろう。このように考え方の転換をしないと、人間は生き延びられないと思う。

(談、インタビューは4月10日、聞き手は共同通信編集委員 藤原聡)

今月のことばNo.51

2020年4月29日

新型コロナウイルス感染症COVID-19によるパンデミックのただなかで

小沼通二

「新型コロナウイルス感染症COVID-19によるパンデミックのただなかで
―世界のパグウォッシュ会議メンバーへのメッセージ―」 
日本パグウォッシュ会議メンバー 小沼通二 202年4月27日

<このメッセージは、英文サイトに掲載された原文の翻訳です。もともとパグウォッシュ会議事務総長への書簡に添付され、パグウォッシュ会議の電子掲示板 Pugwash Forum に掲載されました。>

新型コロナウイルス感染症COVID-19(Corona Virus Disease 2019)が世界を覆っている。
14世紀には黒死病といわれたペストがヨーロッパで荒れ狂った。
20世紀にはスペイン風邪が世界中で蔓延した。
今世紀に入ってからも人類はSARS(重症急性呼吸器症候群Severe Acute Respiratory Syndrome)やMERS(中東呼吸器症候群Middle East Respiratory Syndrome)を経験した。
これ等の病気に対して、軍備は国民を守ることができなかった。
軍拡競争は、人類の英知によって、軍備管理、軍縮に転換されるだろう。
別の緊急課題である気候危機は、人類の協力によって、克服されるだろう。
しかしその一方で、新たに変種となったウイルスによるパンデミックは確実に繰り返して人類社会に戻ってくる。
軍事費は、現在と将来のパンデミックにおける医療と世界経済を含む社会活動の崩壊を避けるための費用に振り向けるべきである。
世界のパグウォッシ会議はこの新しい思考のためあらゆる努力を行うべきである。
これこそ「ほかのことは全てわきにおき、人間性を忘れるな」と述べたラッセル・アインシュタイン宣言の精神と一致するものである。