お知らせ

「事務局通信」 No.2 2009/10/17

2009年10月17日

▼名古屋講演会の内容固まる

恒例になった「世界平和アピール七人委員会・11月講演会」の内容が固まりました。

この委員会は1955年11月、下中彌三郎、湯川秀樹、平塚らいてうの各氏らによって設立されましたが、2004年以来、毎年、各地で講演会を開いてきました。2009年には、米国のオバマ政権発足後、大きな動きになっている核廃絶の動きを踏まえ、2010年の生物多様性条約締結国会議の名古屋開催を前に、これらのテーマを中心にして、中日新聞社、名古屋青年会議所などの協力で、名古屋で開催することになりました。

テーマは「核と命を考える」。2009年11月7日(土)18時30分―21時。会場は、名古屋市中区栄の名古屋商工会議所大会議室(500人収容)。委員全員が出席して、「平和」と「いのち」を訴えます。入場は無料。聴講希望者は往復はがきで、〒460-0008名古屋市中区栄1-15-24名古屋JC会館「世界平和アピール七人委員会講演会」係あて、10月20日までに申し込んでください。

各委員の講演は次の通りです。

・もし核武装したら(仮) 井上 ひさし
・日本の核政策への注文と期待 土山 秀夫
・七人委員会と核のない世界 小沼 通二
・いのちの多様性 武者小路 公秀
・いのちに敵対するもの 池田 香代子
 DVD「Overkilled」橋本公作品の映写も含む
・いのちを問う~枯れ葉作戦が遺したもの 大石 芳野
・宇宙・地球・生命 池内 了

なお、これに各委員が出席する関連企画計画されており、講演会前後に名古屋周辺で開かれます。

チラシ→20091107.pdf

「事務局通信」 No.1 2009/9/14

2009年9月14日

事務局通信を始めます
50年余の歴史を数える「世界平和アピール七人委員会」ですが、世の中のテンポが速くなり、委員の皆さんの活動も多彩で、みんな忙しくなりました。
なかなか見えないその活動を、広く知っていただくために、事務局がお手伝いし、ご案内をお送りすることにしました。事務局も手弁当での活動で、十分なご案内はできませんが、七人委員会と委員の活動を生かすために、参考にしてください。

・2009年を核廃絶の年に
アピールへの共感広がる
世界平和アピール七人委員会は、8月7日、通算98本目になるアピール「核兵器廃絶実現への日本の具体的行動を呼びかけるアピール」を発表しました。
この4月、オバマ米大統領は米国の最高指導者として初めて「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、行動する道義的責任」を認め、「核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意」を表明しました。

そこで求められているのは、被爆国・日本の積極姿勢です。
アピールでは、今年秋に予定されている米国政府の「核兵器態勢の見直し」(Nuclear Posture Review)に向けて、日本政府が「戦術核の一方的な削減・廃棄を進めるべきではない」とか「核兵器の先制不使用を米国が約束することは、日本の安全にとって望ましくない」とか主張していることへの異論を表明しました。
「核廃絶」は「核の傘」と「核抑止」を前提にしては成り立ちません。ぜひアピールをお読み下さい。
→ https://worldpeace7.jp/modules/pico/index.php?content_id=28

・「土山インタビュー」をお読み下さい
今年の8月、広島と長崎の原爆忌では、オバマ演説を受けながら、「核廃絶」を求める平和宣言が読み上げられました。
七人委員会の委員の一人、土山秀夫さんは、医学生として原爆を体験しました。その貴重な証言がインターネットの「日経ビジネス」に掲載されました。作曲家で指揮者の伊東乾さんの「常識の源流探訪」というコラムに掲載されたもので、伊東さんによるインタビューです。
ぜひ、ご覧下さい。
「医学生として原子野で見た長崎」
→ http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090810/202138/?P=1

「『東アジア非核圏』のEUにも勝る経済可能性」
→ http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090817/202599/?P=1

「緩やかに弧を描いて並んだ医学生たちの遺骨」
→ http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090820/202961/

・池田さんがすてきなブログを始めました
七人委員会の委員、池田香代子さんが「感じた、動いた、考えた 池田香代子のブログ」を開設しました。
→ http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/
池田さんはご存じ、「ソフィーの世界」、ケストナー、グリム兄弟などの翻訳、「世界がもし100人の村だったら」シリーズで知られる翻訳家。「できるだけ毎日更新」とのことで、7月始めに開設、時事問題はもちろん、マイケルジャクソンから、酒井法子さんの話、タヒチの「友人」(?)の話まで、幅広い楽しいブログになっています。
ぜひ「お気に入り」に登録を!

・2009年の11月講演会は名古屋を中心に…
世界平和アピール七人委員会は、1955年11月11日の発足を記念して、新体制で活動を再開した2004年以来、毎年11月に講演会を開催してきました。
今年は、11月7日(土)の午後6時30分から名古屋商工会議所大会議室で、七人委員会・名古屋青年会議所・中日新聞社主催の講演会を開きます。併せて、それぞれの委員が出席する関連講演会が6日(金)から9日(月)にかけて開かれる予定です。詳細が決まりましたらまたお知らせします。ぜひご参加ください。

「イスラエルによるガザへの攻撃の中止を求める緊急アピール」を発表

2009年1月4日

世界平和アピール7人委員会は、ガザ地区に対するイスラエルの攻撃について、次のような緊急アピールを発表した。委員会は、「今回の事態を傍観することはできない、日本からも声を上げなければ、」という考えで一致、年末年始にかけて委員が相互に連絡を取り合い、文案をやりとりする討議を続けてまとめた。

アピール文→  97J.pdf
またはこちら→ [イスラエルによるガザへの攻撃の中止を求める緊急アピール]

「宇宙軍拡」「軍需産業拡大強化」を許すな

2008年8月26日

「宇宙基本法の監視を」とアピール
「宇宙開発戦略本部」発足に当たって国民に訴え

世界平和アピール七人委員会は、26日午後、池田香代子、小沼通二両委員が記者会見し、27日に内閣府の「宇宙開発戦略本部」が発足するのを前に、「『宇宙基本法の監視を』-国民に訴える」とのアピール(全文参照)を発表した。
七人委員会は昨年11月、「宇宙基本法案の再検討を」と題するアピール(参照)を発表、各方面に訴えかけてきた。ところが、同法案は、当初、与党案として提出されたものが突然撤回され、与党、民主党のプロジェクトチームによる協議による民主党を含めた形の議員立法として提出され、わずか2週間、短時間の審議でほとんど国会での論議がないまま、両院を通過し成立した。これに基づき、戦略本部発足へと進んできたため、「宇宙空間を平和利用に限る原則を改めて国民に訴えたい」とアピールを発表することになった。

 記者会見で、池田委員は衆院の審議記録を手に、「たとえば衆院ではわずか2時間の審議で、可決されている。与党案と変わったのは『日本国憲法の平和主義の理念を踏まえ』という言葉が入っただけといっていい。審議はプロジェクトチーム同士が話し、まるで『おしゃべりの場』のようで、印刷しても25枚にしかならない程度のひどいものだ。産業が軍事に傾けば必ず衰退する。産業界にとってもプラスではない。本質的な問題を捉えて踏みとどまってほしい、と本当に思う」などと述べた。

 

 また、小沼委員・事務局長も「提案理由の説明はわずか909字しかなかった。そこで言われているのは、安全保障情勢が変化しており、宇宙の開発は国家戦略にしなければならず、安保に貢献する、といったことだけだった。現在の宇宙航空研究開発機構についても『平和利用に限る。平和利用とは非軍事だ』という原則は、当然見直すとされ、議論の中では『安全保障は何より大事だ』と強調されている。『日本国憲法の平和主義の理念を踏まえ』といいながら、『平和利用』と『公開』を崩していくような道を許してはならない。国会の議事録は短いものだから、直接皆さんも当たってほしい」と強調した。

アピール文→  wp7-94j.pdf
またはこちら→ [アピール「宇宙基本法の監視を」―国民に訴える]

核兵器拡散を招く米印原子力協定に、反対を改めて呼び掛け

2008年8月6日

世界平和アピール七人委員会は、広島の被爆の日にあたる8月6日、93回目のアピールとして、現在進められている米国とインドの原子力協力計画に日本政府が協力すべきでない、とする「日本政府は米印原子力協定に反対を」を発表しました。このアピールは、2006年6月21日のアピールに続くものです。

インドは核兵器不拡散条約(NPT)への参加を拒み続けながら、核兵器を開発し、核爆発実験を行ない、核兵器の放棄を拒み続けています。
ところが、米国は、このインドとの原子力協力を進める協定を締結、具体的な作業を続けています。これは、明らかに、NPT加盟国としての義務に違反するもので、イランや北朝鮮の核開発を阻止しようとしていることとも矛盾しています。日本は、原子力供給グループ(NSG)の一員として承認を求められていますが、これを認めるわけにはいきません。
こうしたことから、改めてアピールを発表することにしたもので、アピールは、国連の場で核廃絶を求め続けている被爆国日本の政府に、明白な反対の姿勢を貫くことを求めています。

この文書は、本日(6日)午前、首相官邸及び外務省に届けると共に、外務省記者クラブで配布。引き続き、米印両国と原子力供給グループ諸国にも直接呼びかけることにしています。

アピール文→  wp7-93j.pdf    七人委員会とは→  wp7-prof.pdf

先進工業国の責任の自覚を  G8各国首脳らにアピール

2008年6月29日

世界平和アピール七人委員会は、来月北海道洞爺湖畔で開かれる「先進国首脳会議」(G8サミット)に向けた「北海道洞爺湖サミット参加国首脳への要望」をまとめ、各国大使館、代表部を通じて首脳に送るとともに、午後6時から、武者小路公秀、井上ひさし、小沼通二の3委員が記者会見し、アピールを発表、記者の質問に答えました。
アピールでは、G8首脳に、グローバル経済の拡大のもとで、「価格高騰や食糧不足が現実化し、国家間でも各国内でも経済的社会的傘が広がり、社会不安や軍事紛争の危機を招いて」いると指摘。「先進工業国の責任を自覚し、問題の根幹を捉えた的確な決定を」と訴え、「地球環境の保護、国際金融の規制ルール、国際的な人権の擁護、核兵器の禁止などについて積極的な決定」について期待を表明するとともに、(1)環境対策は弱者の視点から(2)「反テロ」にな尾を借りた戦争や人権の抑圧に反対する(3)核兵器保有国は削減義務の履行を-の3点をポイントに要望しています。
(アピール全文参照)


記者会見する井上ひさし、武者小路公秀、小沼通二の各委員(左から)

宇宙基本法案の再検討を求めるアピールを発表

2007年12月7日

世界平和アピール七人委員会は、11月19日、前国会から継続審議になっている宇宙基本法案について、各政党と衆参両院の内閣委員会委員長などに申し入れるとともに、文部科学省の科学技術記者クラブで記者会見し、基本的な見直しを求めるアピールを発表しました。

記者会見には、池内、池田、小沼の3委員が出席、「法案は軍事利用に道を開くものであり、内容、表現とも明らかに未熟・稚拙です。私たちは初心に立ち返って再検討し、1969年の全会一致の国会決議に基づく宇宙基本法制定を目指していただきたい」と強調しました。(アピール全文参照)

「身近なところから、科学と平和を」七人委員会が新潟・松之山で創立記念日の講演会

2007年11月27日

世界平和アピール七人委員会は、創立52周年記念日の11月11日、新潟県十日町市の市立里山科学館・越後松之山「森の学校・キョロロ」で、講演会を開催した。
平和と地域、農業、環境の関わりにも注目しようと、同科学館の顧問を務める池内了氏が、メンバーに加わった機会に開くことにしたもので、委員会が大都市以外で講演会を開くのは初めて。所用で欠席した武者小路公秀、土山秀夫の両委員を除き、今年白寿を迎えた伏見康治名誉委員をはじめ、井上ひさし、池田香代子、大石芳野、小沼通二(事務局長兼務)、池内了の全員が参加した。
会場は地元の人たちのほか、北海道や神奈川から駆けつけた人も含めて約100人でぎっしり。標本や写真が展示されたホールで、熱のこもった会になった。

講演会では、テーマは「日本の農業、世界の農業」。伏見名誉委員の挨拶、小沼委員・事務局長があいさつ、井上ひさし氏が講演、大石委員が自らが撮影した世界の農村の写真を見せながら講演したあと、池田、池内氏らがコメントを述べた。
井上さんは、「昭和35年、岩手県が日本で最後に食糧の自給自立を達成したとき、大変なお祝いをした。しかし、日本人が米を食べなくなり、自由化されて、農業者は米では生活できなくなった。農水省は13370円だとしているササニシキが実際には11000になってしまっているという。このあたりの魚沼産コシヒカリも、カリフォルニアでも作れるから、魚沼でできるものの20倍くらいあるのではないか」と切り出した。
井上さんは、棚田が水をたたえていた話やマグロが買い付けられなくなっている話、米国の食糧の話などに言及、「日本人が持っているものは何なのだろうか。憲法、原爆体験もそうだが、いまわれわれ日本人が持っていたものを持ちこたえ、再発見することが求められているのではないか」と結んだ。

続いて話したのは大石委員。会場には、ちょうどこの朝、紫綬褒章を受けたこともあってその活動を紹介する番組が当日NHKテレビに登場したばかり。会場には「アジアの農村風景の写真」も展示された。
大石さんは、「ここ数10年世界の人間、戦争、平和ととり続けてきた。戦争は農村を破壊する。しかも、武器と武器の戦いが終わっても傷跡が残っている」と、写真を見せながら話し、聴衆に感銘を与えた。

このあと、池内委員が「キョロロ」の歴史を語りながら、「科学を身近なものにしていかなければならない。学校や家庭を結んだ人間を育てる場として機能したい。楽しみながら、地域の中から平和を作っていこう」と呼び掛けた。
また池田さんは、「もし世界が100人の村だったら」の経験を語り、世界で核実験が続けられてきた事実を現代アートで表現した、映像作家の橋本公さん(箱根ラリック美術館)の作品を紹介。「核実験がこんなに続いているのか!」と衝撃を与えた。
講演会の後、聴衆との話し合いも行われ、井上さん、池内さんなどが質問に丁寧に答えていた。

200人超す参加者が白寿を祝う伏見康治先生の白寿の会

2007年8月23日


数え年99歳を迎えた伏見康治先生の白寿を祝う会が、3日午後、東京・神田の学士会館で開かれた。伏見先生は1909年(明治42年6月29日生まれで、今年は数えの99歳。世界平和アピール七人委員会の全委員をふくむ、70人あまりの人たちの呼びかけで開かれたもので、会場には広い分野の200人を超す人々が集まった。
会は伏見先生の愛弟子の大塚益比古・元原子力安全研究協会常務理事の司会で進められ、最初に1961年に伏見先生が名大プラズマ研究所の初代所長に招かれたとき名大にいた山本賢三さんと、1983年から参院議員を務めたとき、後半の3年間を同僚として勤めた広中和歌子さんが祝辞を述べた。続いて、伏見先生のあと日本学術会議会長を務めた元国立公害研究所長の近藤次郎さんが乾杯の音頭をとった。

▼山本賢三さん(名大名誉教授)の祝辞
私は7年制の東京高等高校の同窓で、私が尋常科1年生のとき、伏見先生が高等科の2年生くらいだったと思う。指揮者の朝比奈隆も同窓で、そのころから伏見先生の名前は知っていた。確か科学部の雑誌に論文を書かれたり、記念祭の絵を描かれたりしていたことを覚えている。私は電気屋で専門は少し違うが、親しくしていただいた。
プラズマ研究所に来ていただいたのは、先生が「原子力3原則」を片づけられ、関西原子炉問題で苦労された後だったが、はじめて核融合の本格的な研究が始まった。伏見先生が尽力してできあがった臨界プラズマ試験装置は、いまの国際炉につながっている。
伏見先生は新しい物好きで、しかも関心がはっきりしている方だ。自分の関心がないときは居眠りをしているが、オリジナルの話が出ると食いつくように、耳を傾ける。そして判断も速く、はっきりしている。
そんな先生だから「左翼学者」のレッテルを貼られて英国がビザを出さなかったことがあった。中曽根さんは「オポチュニストだ」と言ったから私は反論した。多くの専門を包含したコミュニティを作り、貢献された。お元気で過ごしてほしい。

▼広中和歌子さん(参院議員)の祝辞
1986年、公明党の人が来て「選挙制度が変わったから、出たい人より出したい人、でやりたい。出てほしい」と言われた。私は集団疎開を経験し、米国ではケネディ大統領とも会い、公民権運動に感銘を受けていたから、光栄だと思いお受けした。それで短い期間だったが、参議院でご一緒した。林健太郎さん、田英夫さんなどがいた。
私が関心を持ったのは環境問題だった。伏見先生はCO2の問題について、「世界の7割を占める海がどうCO2を吸収しているかのメカニズムはまだ分かっていないんだよ」と話してくれた。林健太郎先生からは脳死の不可逆性についての話を伺った。
白寿というのはすごいことだ。どうか、これからも伏見先生には社会の指標となってほしい。


この後、懇談に続き、会場を飾った多数の折り紙のバラの花の作者であり、国際的に「川崎ローズ」として知られるこの折り方の創作者でもある徳島の数学者の川崎敏和さんが実演つきでお祝いを述べ、小沼通二さんが記念刊行物の紹介をした。続いて、伏見先生の子ども、孫、ひ孫さんたちの紹介があり、息子さんの伏見譲さんの紹介で伏見先生の99年の歩みを示す写真が会場に映し出された。
そして、長崎から駆けつけた土山秀夫さんが「いまの七人委員会のメンバーはしゃべり出したら止まらない人たちばかりだが、伏見先生はいつも頷きながら聞いていらっしゃって、節目節目に的確にコメントしていただいている。ご高齢で退かれると言うことだったが、私たちは何とかの残っていただきたい、とお願いして、名誉委員と言うことでいつでも出席していただくようにしている。私の専門は医学だが、人間の寿命は医学的には110歳、120歳は珍しくなくなっている。どうかお元気で、いつまでもご指導をお願いしたい」と話した。
最後に、登壇した伏見先生は「こんなに長生きするとは思わなかったので、心の準備をしないまま99歳になってしまった。これからどう暮らしていったらいいかわからないが、いろいろやって、平和運動に関連する仕事が最後の仕事になっている。皆さんのお助けで社会奉仕をしてきたが、能力がなくてあまり役に立っていないことが残念だ。お忙しいところを、集まりくださって、こんな楽しい会を開いてくださって、本当にありがとうございました」と挨拶した。
参加者には、折り紙のバラの花と「生い立ちの記」、「『波打つ電子-原子物理学10話』について」がおみやげに配られた。
この日は、ちょうど東京で開かれる原子核物理学国際会議(INPC2007)の一環として「湯川秀樹生誕100年記念講演会」が開かれていたため、小沼さんから紹介があり、そこに向かう人もあり、記念すべき日となった。

(事務局・丸山重威)