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1965 35J ベトナム戦争の平和的解決に関する佐藤首相へのアピール

1965年4月6日

 ベトナムの情勢は、米軍の北爆と、これに対応して日ごとに硬化しつつある北ベトナムの態度、さらに大戦への発展をおそれて薦旛しながらも刻々に進展する情勢を前にして、勢い介入を深めざるを得ない事態に至ろうとする中国とソ連の動きを見ておりますと、事態は決して楽観を許さないものと観得いたします。この情勢を喰い止める何らかの力になるためには、日本としては「まだ発言の時期でない」というようなことは、もう言えなくなってきたと思われます。

 何よりも第一に、戦後の日本は、平和の維持を立国の第一義といたしております。「平和に徹する」ということは、首相におかれても常に発言されているところでありますが、いまこそ、その平和の建前と主張を、この事態を鎮静化するために役立たせることができないならば、時期を失するおそれがあろうと思われます。

 日本は如何なる国とも友好関係をくずしてはいけない事情にありますが、米国とは事実として特別友好の関係にあります。しかるにその米国は、いまでは自力だけではあのベトナムの泥沼から足を抜きかねる状態に自分自身をつき落しております。これにはいろいろの因縁が複雑にむすばれていることですが、それらについては、公平にいって、必ずしも米国の行動が正しく妥当であったからだとも結論いたしかねることでもあります。しかしその議論は抜きにいたして、いまは何らかのキッカケを与えることによって、米国をしてその足を抜かせることだけが、米国のためであり、同時に世界平和のためであります。その米国と特別友好の関係にある日本は、表面からであろうと裏面からであろうと、米国にそのための強い助言をいたすのに、時間と言葉を惜しむべきではないと考えます。
 第二に、この問題は、日本自身の立場にとっても緊急性をもっております。と申すのは、日本は米国との間に安保条約をもっております。この安保条約は、日本自身が何らかの不測の危険な状態に陥ったときに、米国の援助を受け取るというのが、ことの起りから見る場合の本筋でありますが、同時に、米国が極東で行動を起す場合に、日本が、米国による基地利用その他によって何らかの係わりをもつことになりかねないものを含んでおります。後者は、いまの日本にとっては、すこぶる危険な可能性をもつもので、これが日本にとって安保条約がもつ最も憂慮に堪えぬ一面であります。現状は、場合によって現実にこの憂うべき側面が日本におっかぶさってくる危険をはらんでおります。

そこでご存じのとおり第四条は、

 「……日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する」

 とありますから、日本としてはこのさい、何としても米国とこの問題について協議にはいり、この極東に発生しつつある危険が日本に及ばぬようはっきりした話し合いをする必要が迫っております。その最大の目的は、在日本の米軍基地をこんどの事態のためには用いないよう要請することであります。この点は、日本の安全のためにはすこぶる重大であります。

 第三に、附随的なことでありますが、過日松本特派大使の南方視察後の報告として報道されました中に、日本が何らかの援助をする必要があるやに話されたことが伝えられております。何を何国に、援助するかは、必ずしも明らかに伝えられておりませんが、如何なる国にも同様に友好であるべき日本としては、この「援助」は今後発展しうべき事態を前に致しては、決して一方だけに行わるべきではありません。それは単なる経済的援助においても、もとより同様であります。

 私達は韓国やフィリッピンや台湾に、この動きのあることを憂慮してきておるものであり、日本とこれらの国々との間の根本的な立場の相違を取り違えることがあっては、一大事であります。とくに、この点については、首相の戒心をお願いしておきたいのであります。

1965年4月6日

世界平和アピール七人委員会

内閣総理大臣 佐藤栄作殿

1965 34J アメリカの北爆に反対するアピール

1965年2月13日

 卒直に申して、世界平和を願う私どもは、最近のベトナム情勢をめぐる容易ならぬ国際的な動きに、深い憂慮の念を禁じえないものであります。

 南ベトナム駐留のアメリカ軍に対する「ベトコン」の攻撃は、一層の激しさを加えてきました。一方、北ベトナムに対するアメリカ軍の爆撃が、またしてもくりかえされその規模もひときわ大きくなりました。南北ベトナムの関係は、いま朝鮮戦争の前夜を想わせるものがあります。アメリカに対する中国の態度はさらにきびしいものとなってきました。そして、アメリカと共に平和共存への道を模索していたソ連でさえ、北ベトナム支持の立場から、アメリカに対して強い対立的な態度をとらざるをえないとしています。

 このような事態は、世界の平和をひたすら願う私どもとして、とりわけアジアに住む私どもとしまして、心配にたえぬところであり、これをいくら強調しても強調しすぎるということはありません。ことに、私どもの最も怖れておりますのは、こうした動きの悪循環と、破局への発展であります。ローマ法王パウロ六世が、人類はふたたび平和の前途を懸念しなければならなくなったといわれたのも、同じような考えからでたものでありましょう。この恐るべき事態の発展だけは、どのようにしてでも閲係諸国において防がなければならないと思います。

 つきましては、今世界において最も巨大な力を持ち、またベトナム情勢収拾の鍵をにぎるアメリカの最高指導者であられる貴下に、ぜひ一、二ご留意をえたいことがあります。その一つは北ベトナムと南ベトナムの「ベトコン」との関係であります。アメリカでは、「ベトコン」に対する北ベトナムの援助がしきりに彊調され、そこに「ベトコン」の力の源泉があるようにいわれていますが、私どもの理解しているところでは、ことはやや違うように感ぜられます。少なくとも、「ベトコン」に対する北ベトナムの軍事援助が、南ベトナム政府に対する貴国の援助にくらべて、兵員や兵器の量と質とにおいて、問題にならないほど小さなものであることは、衆目の一致するところでありましょう。事実、アメリカ軍に対する「ベトコン」の攻撃も主として貴国が南ベトナム政府にあたえられた兵器でなされていると報道されています。

 一方「ベトコン」の全行動は決して北ベトナム政府の指令によって動いているのではなく、基本的には「ベトコン」は独自の動きをし、ことに最近はその傾向がますます強くなっているかに聞いております。しかも「ベトコン」は、南ベトナムの農民の多く、わけても貧農と深く結びついているとも聞いております。ここに、きわめて重要な皿点があろうかと存じます。従って、南ベトナム駐留アメリカ軍への「ベトコン」の攻撃に対しアメリカ軍が北ベトナムを爆撃することは、国際情勢の悪化を強めこそすれ、問題の根本的な解決にならないというのが、私どもの認識であると共に信念であります。

 貴下のご考慮をえたい第二の点は、「ベトコン」の問題、南北ベトナムの関係をも含めて、ベトナムをめぐるすべての情勢は、政治的な話合いでこれを打開するほかに道はなく、軍事力の行使は事態を破局にみちびくか、少なくとも取り返しのつかないほど危
機を深めるであろうということです。

 現在の米中関係をお考えいただけば、この点は最も明らかになると思います。しかもインド、ビルマ、わが日本をはじめとしてアジアのほとんどすべての国々、ソ連、イギリス、フランスその他多くのヨーロッパの国々も、話合いによる問題の解決を求めております。貴国の国民にもこの底流は、必ずしも弱くないように思われます。世界の平和とアメリカの建国の理想を達成したいと願う貴国の友人たちから、私どもも、ベトナム問題の平和的解決をしきりに求める手紙を数多くいただいています。無論、話し合いの方式は一九五四年のジュネーブ会議その他いろいろあることで、その最もよい方式は、同会議の共同議長国であったイギリスやソ連を通じて関係諸国間できめてもよいでありましょう。それより当面最も重要な一点は、これ以上の軍事力の行使を即刻やめられ軍事の行使から政治的な話し合いへとはっきりと方向を切りかえることだと存じます。貴国政府としては、従来の行きがかりもあり、また貴国内の空気もあることで、これはたしかに勇気を要することかと考えられます。しかし、それであればこそ私どもは、失礼をもかえりみず、あえて貴下に直接訴えるわけであります。世界の平和のために、アジア情勢の正常化のために、また特に私どもが信じているアメリカのイメージのためにも、貴下の勇気と決断とを心から願うものであります。

1965年2月13日

世界平和アピール七人委員会

ジョンソン米大統領殿

1964 中国核実験に際してのアピール

1964年10月17日

 今回中華人民共和国が核爆発実験を強行したことは、放射能害の増大、核兵器所有国の増加を招く危険に拍車をかけるものであり、真に遺憾とするものであります。

 世界平和のために、現在続行しているアメリカの地下実験を含めて、あらゆる核実験に反対する私どもは、もとよりこれに反対せざるをえません。ついては、関係各国は、世界世論の切なる願いを実現するため、いかなる核実験をもやめ、できる限り速かに国際会議をひらき、核実験の全而的禁止をはじめとして完全軍縮への道を切りひらくよう強く要望いたします。

1964年10月17日

世界平和アピール七人委員会

1964 33J 中国核実験に際してのアピール

1964年10月17日

 今回中華人民共和国が核爆発実験を強行したことは、放射能害の増大、核兵器所有国の増加を招く危険に拍車をかけるものであり、真に遺憾とするものであります。

 世界平和のために、現在続行しているアメリカの地下実験を含めて、あらゆる核実験に反対する私どもは、もとよりこれに反対せざるをえません。ついては、関係各国は、世界世論の切なる願いを実現するため、いかなる核実験をもやめ、できる限り速かに国際会議をひらき、核実験の全而的禁止をはじめとして完全軍縮への道を切りひらくよう強く要望いたします。

1964年10月17日

世界平和アピール七人委員会

1964 原子力潜水艦寄港の政府内諾に反対する茅委員の談話(要旨)

1964年8月28日

 伝えられるところによると政府が近くアメリカ原子力潜水艦の寄港を受諾するという。この問題については昨年一月から各方面で一年八カ月にわたり論議されており、とくに潜水艦の廃棄汚染物が安全かどうか論議されてきた。

 昨夜(二十六日)権威ある原子力委員会では受諾しても差しつかえないという結論をだしたときくが、その内容についてまだ見ていないし検討もしていないので批判は避けたい。こんどの原子力委の決定は、まだどんな根拠、経過で行なったかわからないし、多くの専門学者にとって批判の余地があるものと思う。

 こうした問題は専門学者が十分論議し国民が納得したうえで決定すべきで、国民の大部分が納得してないもとで受諾することは適当ではないし、無益な対立を生ずる。それにインドシナなどで国際情勢が緊張しているおり、日本が原子力潜水艦の寄港を受諾することは国際的にも誤解を招き時期としても適当でない。

 政府は正式受諾決定まで慎重な行動をとるよう心から要望してやまない。

(1964年8月28日付読売新聞)

1964 原子力潜水艦寄港の政府内諾に反対する茅委員の談話(要旨)

1964年8月28日

 伝えられるところによると政府が近くアメリカ原子力潜水艦の寄港を受諾するという。この問題については昨年一月から各方面で一年八ヵ月にわたり論議されており、とくに潜水艦の廃棄汚染物が安全かどうか論議されてきた。

 昨夜(二十六日)権威ある原子力委員会では受諾しても差しつかえないという結論をだしたときくが、その内容についてまだ見ていないし検討もしていないので批判は避けたい。こんどの原子力委の決定は、まだどんな根拠、経過で行なったかわからないし、多くの専門学者にとって批判の余地があるものと思う。

 こうした問題は専門学者が十分論議し国民が納得したうえで決定すべきで、国民の大部分が納得してないもとで受諾することは適当ではないし、無益な対立を生ずる。それにインドシナなどで国際情勢が緊張しているおり、日本が原子力潜水艦の寄港を受諾することは国際的にも誤解を招き時期としても適当でない。

 政府は正式受諾決定まで慎重な行動をとるよう心から要望してやまない。

(1964年8月28日付読売新聞)

1963 ケネディ大統領の不慮の死に哀悼の意

1963年11月23日

 貴国が生んだすぐれて高い政治家であり、平和と正義のために最も真剣な努力を傾けた人道の士であった故ケネディ前大統領の不慮の死に対して、私どもは心から哀悼の意を表し、貴国国民と深い悲しみを分かち合うものであります。

1963年11月23日

世界平和アピール七人委員会

ラインャワー駐日米国大使 閣下

1963 32J 部分的核実験停止条約成立に際して米英ソ三国首脳へのアピール

1963年7月26日

 このたびモスクワの米英ソ三国会談で、水中・空中・大気圏外における一切の核実験を、無条件で禁止する条約が仮調印されましたことは、貴下の代表される貴国を含め、東西三大圏の平和に対する善意と熱意を示すものとして、尊敬とよろこびの念にたえま
せん。

 核実験の禁止について特別深い関心をもつわれわれとしてその感激も一層であります。

 今回の成果をもたらした三国代表の御努力に感謝すると共に、できうる限り早い時期に地下実験の禁止をも含めた全面的な核実験禁止の条約が成立することを期待致します。

 さらに又、申すまでもないことながら、全面軍縮への不屈の努力を続けられんことを心から待望致します。

1963年7月26日

世界平和アピール七人委員会

1963 31J 原子力潜水艦寄港問題に関する要望書

1963年4月19日

 原子力潜水艦スレッシャー号の不幸な事故は、アメリカ国民に強い衝撃をあたえただけではありません。それは、いわゆる「原子力潜水艦の寄港問題」に関連して、わが国民にも暗い不安の影をなげかけています。今回のスレッシャー号事件は、何よりも原子力潜水艦に重大な事故なしということが期待し得ないものであることを実証致しました。

 そのうえスレッシャー号が、わが国に寄港を求めているノーチラス型原子力潜水艦のいわば一種だといわれていることを、ここに附記せざるを得ません。

 スレッシャー号は、核弾頭付きの「サブロック」を装備していると一般に信ぜられています。無論、このような原子力潜水艦が日本に寄港を求めるような場合には、貴下は、貴下がつねづね言われている核兵器の持ちこみは絶対に許さないという公約に立って、これに対処されることと信じて疑いません。しかし、たとえ寄港を求める原子力潜水艦がいかなる核兵器も装備していない場合でも、原子力を燃料としているという事実は変りませんし、それが今回の事件で、新たにわれわれの身にせまる問題として実感されることになったものであります。

 スレッシャー号の放射能問題については、事故の原因や被害の実状が明らかにされていないいまの段階では、早急の推測はさしひかえなければなりません。とはいえ、原子力潜水艦が日本の港湾のなかで、あるいは沿岸近くで、スレッシャー号事件以上の重大な事故を起し、その結果きわめて危険な放射能害を発生させないという保証は、少なくとも今のところどこにもないのであります。

 なおこの際、とくに注意を喚起しておきたいのは、原子力の取扱は、国内の平和利用の面においてすらきびしい規制の下におかれている事実であります。これは今日の状況において原子力につきまとう予測し難い危険の重大性にもとづくものであります。しかるに外国の船艦については、いかなる場合もこれをわが国法の規制下におくわけにまいりません。のみならず原子力潜水艦による万一の事故発生は、日米間の友好に不測の影響をもちかねないことについても、日米両国が共にあらかじめ深い考慮を払うべき段階であると信じます。

 貴下が原子力潜水艦の寄港問題を再検討され、日米両国民の真の友好のためにも、寄港を取り止めるよう、むしろアメリカ政府の熟慮と反省を求められることを希望してやまないものであります。

1963年4月19日

世界平和アピール七人委員会

内閣総理大臣 池田勇人殿

1963 30J 軍縮委員会に対し核停止協定の成立を望むアピール

1963年2月12日

 私たちは、ひたすら平和を願う立場から、今回ジュネーブで再開される軍縮委員会の会議に、ひときわ強い関心をひかれざるをえません。

 すでにワシントンとニューヨークで行われてきた米英ソ三国の予備折衝をかえりみると、核実験停止問題の最大の難関であった地下実験の現地査察について、いまほど東西、ことに米ソが歩みよったことは、まだないからです。地下実験の停止で合意ができれば、水中、大気圏内、大気圏外の実験については、これを無条件で停止することに、米ソの間に意見の一致をみております。そして核実験停止の協定が成立すれば、人類の将来にとって寒心にたえぬ脅威が取り除かれるだけでなく、軍縮へのけわしい道も切りひらかれることになるでありましょう。

 しかし、万一、今回の会議が失敗に終わるようなことにでもなれば、米ソに対する世界世論の失望は、きわめて深刻なものとなり、それは両国の世界政策につぐないがたい損害をあたえるかも知れません。そのうえ「平時最高」といわれ、または「戦後最大」と称せられる軍事予算を背景として、両国間に核ロケット兵器を中心とする危険きわまりない軍備競争が、ふたたび推進されないとはいえません。少なくとも、核拡散の勢いを防止することは、到底できないと思います。そうした意味で、今回の軍縮委員会は、はじめから明暗の分かれ路に立っているといって決して言いすぎではありません。

 米ソが、ようやく訪れたこのまれにみる好機をとらえ、大国としての平和に対する絶大な責任と指導性とを発揮し、地下実験に関する最後の障害を乗りこえて、核実験停止の全面的な合意に達することを、心から望んでやみません。良識をもってなるイギリスが、よろこんで妥協の途をはかるであろうことは申すまでもありますまい。

 また私たちは、今回の会議における中立八ヵ国の調停の努力に、最大の期待をかけるものであります。恐るべき核ロケット兵器などに何の執心も持たず、一日も早くこれらが地上から姿を消すことを願う点で、中立八ヵ国の立場は、まさに世界世論の立場と同じです。

 中立八ヵ国は、世界世論のつよい支持をその背後に持つことを確信し、東西歩みよりのために必要な具体的方式を作成して、核実験停止協定の成立に側面からあらゆる努力をつくしてほしいのです。

 会議の成功を願うためには、アメリカは少なくとも会議の期間中は、当然地下実験をやめるべきだと思います。またフランスは、その不参加によって、仮にも会議失敗という大責任を負うようなことがあってはなりますまい。進んで出席し、会議を一層よく軌道にのせることが望ましいと考えます。

1963年2月12日

世界平和アピール七人委員会