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世界平和アピール七人委員会が、「原発のない世界」を求めてアピール

2011年9月7日

7月11日、外国特派員協会で発表  日、英、仏、独語で
世界平和アピール七人委員会は、東日本大震災から4カ月となる7月11日、日本外国特派員協会(東京・有楽町)で記者会見し、「原発に未来はない 原発のない世界を考え、IAEAの役割強化を訴える」と題するアピールを発表した。アピールは日、英、仏、独語で、日本と世界の市民、リーダーに呼びかけている。会見には池田香代子、池内了、小沼通二、武者小路公秀、辻井喬の5委員が出席し、記者たちの質問に答えた。

発表されたアピールでは、「私たちは、全世界の原子力発電所すべての廃止を決定すべきだと考える」と呼びかけている。特に日本においては、活断層上の原発の即時停止、複数の原子炉を持つ発電所の規模縮小などを求めた。さらにエネルギー政策の「小型化、分散化、多様化」への転換を提起し、自然エネルギー開発や省エネルギーの推進を促した。IAEAと加盟国に対しては、原子力の軍事転用に限らず大型施設の情報把握を強め、原発事故発生時には国際専門家チームを組織して主体的に収束に努めるよう希望した。

講演会&シンポジウム in 篠山

2011年9月7日

講演会&シンポジウムin篠山 世界平和アピール七人委員会の2011年講演会は、委員会創立者であり、世界連邦の提唱者でもあった下中弥三郎(元平凡社社長)の没後50年を記念して、下中弥三郎の生まれ故郷、兵庫県篠山市で開かれることになりました。
主催は七人委員会と下中記念財団、篠山市の実行委員会、市や市教育委員会も共催します。
講演会は、「篠山で考える日本と世界」と題して、11月12日(土)午後1時30分~5時、篠山市民センター・多目的ホール(篠山市黒岡191)で。また、「地域力を強める ―これからの日本― 」と題するシンポジ ウム が、翌13日(日)午前9時30分~12時、篠山市立丹南健康福祉センター(篠山市網掛301)で行われます。
これらの企画参加者は、事前申し込みが必要です。篠山市のホームページをご覧ください。
篠山市のホームページ(世界平和アピール七人委員会講演会&シンポジウムin篠山)

下中弥三郎は幼くして父を失い、独学で学んで教師となり、平凡社を創業しました。篠山は瀬戸、常滑、信楽、備前、越前などと並ぶ「日本六古窯」の一つ「丹波焼」の里。

講演会の前日11日には、篠山市教育委員会主催の学校行事として、地元、今田小学校5年生から中学校3年生までの児童・生徒全員を対象とする池田香代子委員と小沼通二委員、弥三郎の孫の下中美都による講演会が開かれます。保護者や一般市民の参加も可能です。13日午前には、地元・今田の「やさが塚」での記念植樹、また、11月上旬からは、立杭陶磁器協同組合主催で立杭の「陶の郷」で下中弥三郎作の陶芸品などの展示、10月中旬から下中記念財団主催で下中弥三郎の出版と教育助を紹介する篠山市立中央図書館での展示などの関連記念行事が計画されています。

講演会
2011年11月12日(土)午後1時30分~5時
篠山市民センター・多目的ホール

シンポジウム
2011年11月13日(日)午前9時30分~12時
篠山市立丹南健康福祉センター

ちらし(20111112.pdf)

2011 104J 原発に未来はない;原発のない世界を考え、IAEA の役割強化を訴える

2011年7月11日
アピール WP7 No.104J
2011年7月11日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 池田香代子 小沼通二 池内了 辻井喬
2011年3月11日に発生した東日本大震災の地震と津波、東京電力福島第一原子力発電所事故に際して、国内・国外の市民や各国政府から多大の援助、特に福島原発事故の対策については不可欠の技術協力、をいただいている。原発の過酷な事故現場では多数の人たちが日夜対応に当っている。これらすべてのひとたちに対して、心から感謝の意を表したい。

 世界平和アピール七人委員会は、天災のなかでおこった人災としての東京電力福島原子力発電所事故について、われわれ日本人と全世界の人々がともに考え、ともに対策を練るべき問題が山積していると考える。日本と世界諸国の市民、学界、言論界そして政府関係者、特に原発はやめられないのではないかと考えている人たち、が真剣な検討を進めてくれることを切望する

1. 東京電力福島第一原子力発電所事故
 巨大な地震と津波が襲いかかった東京電力福島第一原子力発電所(以下福島原発と略す)では、人的なまずさが重なり、すべての電源が失われ、6基の原子炉中、運転中の3基でメルトダウンが起こり、停止中の3基の中の1基も含めて4基で水素爆発が起こって、大きく損傷し、空中、地中、海中の環境に多大な放射性物質が放出されるという、起こしてはならない事態を生じ、廃炉にせざるを得なくなった。日本の太平洋岸の原子炉20基と六ヶ所村のウラン再処理工場は、定期点検で停止していた原子炉も含めて、事故発生後すべて運転を停止している。
 事故発生から4か月経過した現在でも、発熱を続ける核燃料の安定した制御には至らず、短時間に状況が大きく変わる可能性は低減したとはいえ、新たな水素爆発発生の危険性はなくなっていない。また冷却に使った大量の高濃度汚染水の処理はできないままであり、発電所外への放射性物資の放出も収束できず、事故終息宣言が出せないでいる。何が起きたのかの全貌は、まだわかっていない。
 東京電力と経済産業省の原子力安全保安院は、科学と技術のもつ基本的性格と可能性を軽視し、安易に原発利用を進めてきたため、事故発生後適切な対応を速やかに取れず、被害が拡大したといわざるを得ない。
 避難を強いられた人たちは、土地と家と、家族のまとまり、コミュニティ内の絆、いつくしんできた動植物、仕事、精神的安心などを突然失うことを強いられ、被曝者を出し、今日でも、今後の見通しをたてられずに不安定な毎日を送らされている。

2.恐怖と欠乏を免れた平和な生活を
 日本の市民は、第二次大戦までの日本に対して反省をおこない、日本国憲法前文に世界諸国民が「恐怖と欠乏を免れて平和に生存する権利」を持つことを確認した。
 世界平和アピール七人委員会は、1955年の発足以来、不偏不党の立場に立って、世界の平和と繁栄を願って活動を続けてきた。七人委員会が、すべての核兵器と戦争に無条件で反対し、国際協調の下で国連を強化して、新しい世界秩序を打ち立てることを願ってきたのはこのためであった。2009年には「いのちを大切にする世界をめざして」アピールを発表して、「人間の地質圏・生命圏に及ぼす破壊力の自覚の必要性」と「知識開発・権力行使・市場活動の規制の必要性」を強調した。
 しかるに日本の現行の危機管理政策は、経済効果とのバランスを優先し、災害被災地の住民、とくに脆弱な立場の市民の平和的生存権を侵害している事実について十分配慮していない。
 現在、避難を強制された人たち、その周辺で不安に打ちひしがれながら懸命に生きている人たち、さらに距離が離れているにもかかわらず、外で遊ぶことが出来なくなった子供たち、妊娠中・育児中の女性たち、放射性物質が飛来してきて生産物が売れなくなった人たちなどのことを考えると、彼らの基本的人権が侵されていると考えざるを得ない。
 私たちは、“可能な限り”などという安易な言葉は使わず、いつまでも東京電力福島第一原発の被災者との連帯の意識を最優先に考えて、行動していきたい。
 七人委員会は、日本列島の地質圏の不安全性を前にして、日本の政府と財界に対して、エネルギー政策の選択において、事故が起きてからの対策以前に、予防原則にのっとった事前の慎重な政策を採用することを訴えたい。
 日本列島に住む市民は、自然との棲み分けによる共生をめざすべきである。

3. 安心と安全を破壊する原子力発電所の廃止の具体的提案
 原子力発電は、原子炉の中で核分裂によって大量の放射性物質を作り出し、その時の発熱を利用して発電する装置である。運転停止後も、年単位で続く発熱を冷却し続けなければならず、作られた放射性物質は一万年以上管理を続けなければならない。この管理に失敗すれば、理由のいかんを問わず人体を含む環境を汚染する。
 実際に、1986年のチェルノブイリ原発事故と今回の福島原発事故によって、大量の放射性物質が環境に放出され、多数の被災者が発生したことを考えると、今後も、天災あるいは人災による過酷な事故が起こりうると考えなければならない。さらに使用済核燃料中の放射性物質の確実で安全な処理・管理方法が見つかっていないこと、核燃料が限りある資源であること、事故が起きた時の経済性を併せて考えれば、原発は将来の安定した安全なエネルギー源と位置付けることはできない。
 従って我々は、スイス・ドイツ・イタリヤだけにとどまることなく、全世界の原子力発電所すべての廃止を決定すべきだと考える。
 日本における廃止の順序と期限についての具体的提案を以下で述べる。
 日本の原子力発電は、1966年に最初の原子力発電所が茨城県東海村で稼働して以来、拡大の一途をたどり31年後の1997年に53基に達した。翌年、最初の原発を廃炉にしてからも新設と廃炉による増減が続き、福島原発が事故を起こした時点で54基だった。規模の拡大は1997年で止まったのだった。現在発電用原子炉数は米・仏に続き世界第3位の規模である。現在建設中・計画中の発電用原子炉が11基あるが、これらがすべて実現したとしても、初期に建設した原発の廃炉が続くことになるので、原子力発電の規模は減少せざるを得ない。これに対して、当初耐用年限を30年、40年としていた原子炉をこの期限を超えて運転継続するという方針が出されている。これらはすべて、従来の安全審査基準に基づいて審査されたものであって、福島原発事故後、政府自身が、基準が不十分だったことを認め、安全審査基準の見直しを進めることにしていることに留意すれば、極めて危険な選択であるといわざるを得ない。
 これらを考慮すれば
(1)当初の耐用年数に達した老朽化原子炉は、故障の確率が増加するので、寿命を延ばすことなく廃炉にすべきである。
(2)建設中・計画中の発電用原子炉は、不十分な安全審査基準によって認可されたものなので、直ちに凍結・廃止すべきである。
(3)4つのプレートが集まっていて、数しれぬ活断層が地下にある日本では、地震・津波は避けることができない。活断層の上など危険性が高い原子炉は即時停止すべきである。
(4)福島原発事故が終結できない一つの理由は、一つの敷地に6基の大型原発を設置している過密によるものであった。日本の原子力発電所はほとんどすべて複数の原子炉を持っている。複数原子炉は、削減の順序を決め速やかに規模を縮小すべきである。
(5)これらの基準によって廃止されることにならない原子炉があれば、再び大事故が起こりうると覚悟ができた場合に限り、安全対策について万全の策を講じ、国内・国外の第三者の検証をもとめて承認を得たうえで、設置する地元自治体だけでなく、危害が及びうる範囲の市民の同意を条件として、最短期間運転を続ける。これらの条件をすべて満たすことが出来ないならば、これらの原発の廃止に踏み切る以外ない。
 この方式を採用すれば、一番遅い場合でも日本は最新の原発が耐用年数を迎える年までに原発のない国になる。

4. 原発廃止は可能である
 福島原発事故直後から、今後も原子力発電所が不可欠だと発言している人たちがいる。彼らは、「安全性を確保したうえで」というが、これは50年以上言い続けてきた裏付けのない言葉にすぎなかった。1950年代から原子力発電を推進してきた経済産業省(と前身の通商産業省)、その外局である原子力安全保安院は、安全確保のために身をひきしめなければならないのに、福島原発事故の全貌が見えていない段階であり、確認された汚染地域が広がりつつある中で、定期検査のために停止中の原子力発電所について、安全対策が確認できたと主張して再稼働実現を目指して地元への圧力を強めている。
 日本で初めて原子力発電所を建設しようという問題が起きた1950年代後半に、日本学術会議は学術的視点に立って、耐震性を含む安全性、廃棄物処理、採算性などの検討を進め、問題点を指摘した。政府がこれらの提言を誠実に受け止めれば今日の事故は起こらないで済んだ可能性が大きい。
 世界をみれば、再生可能な自然エネルギーの研究・開発・利用は着々と拡大している。過去2年を見れば中国は世界最大の投資を続けているし、原子力大国である米・仏を見ても10位以内の地位を占めている。その中で、日本の状況は微々たるものであって、諸外国との差が大きく広がっている。
 これまでの日本のエネルギー政策は、原子力発電を推進してきた人たちの主導権の下できめられてきた。電力会社は発電から送電、電力販売までを扱う地域独占であり、発電に必要な経費は、すべて自動的に電気料金に上乗せされるシステムになっている。日本のエネルギー関連研究開発経費はほとんどが原子力分野につぎ込まれてきた。外部からの再生可能な自然エネルギーの参入は種々の規制によって大部分が阻まれてきた。日本の遅れの原因は制度上のものだったのである。
 このたびの原発事故に対して苦悩の中で対応している福島県民が、二度と原発による被災者を出さないために、すべての原発に別れを告げ、再生可能な自然エネルギーの、日本における最先端県を目指す歩みを始めたことを、七人委員会は高く評価し、全面的に支持したい。
 しかしこれは福島県民だけの問題ではない。20世紀型の自然支配をめざした大量生産、大量消費、大量廃棄社会を維持し続けるか、自然の脅威を恐れつつ、その恩恵に感謝してこれを利用する21世紀、22世紀を目指すかの、日本全体の、そして世界的選択の問題である。
 われわれ世界平和アピール七人委員会は、将来に向けたエネルギー政策を速やかに進めるために必要な手順を提言したい。
(1) 再生可能な自然エネルギーの研究・開発・利用の速やかな拡大を優先して進める。大型化・集中化・一様化から、小型化・分散化・多様化への転換をはかり、これを支えるための種々の規制の撤廃を進める。
(2) 日本では、市民と企業の間に省エネルギー意識が急速に浸透しつつある。電力使用量の一層の削減、省エネルギー機器の採用・普及によるエネルギー効率の向上、電力使用時間の分散化の徹底、自家発電の推進によって電力使用のピークを大きく減少させる。
(3) 前2項の拡大とともに、残存原子力発電所の運転期間を短縮が可能になるし、させなければならない。
 日本での電力不足は、一年のなかで、夏の短期間の午後の数時間の電力使用ピークの問題なのである。エネルギーはほしいだけ作るという経済論理でなく、利用できる範囲で生活すると考え、市民の平和的生存権を優先させることが大事である。
 歴代の自民党政権は、日本は核兵器製造の能力を持つが、その政権が続く間は造らないといい続けてきた。そのうえで、原子力発電を拡大し、大量のプルトニウムを保有し、ウラン濃縮技術も手に入れた。この政策は、核兵器の有用性に裏付けられた核の傘への依存とともに、海外から日本の意図について長年の間、疑惑の目で見られてきた。原子力発電からの離脱に向け舵を切れば、この疑惑を払拭することも可能になる。

5. 原子力発電所へのIAEAの関与の一層の強化を
 国連の専門機関として1957年に発足した国際原子力機関(IAEA)は、原子力平和利用に貢献し、軍事利用への転用の防止を確保するために活動してきた。1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原発の事故では、放射性物質の放出は事故の10日後に収束でき、4か月後の8月25日から29日までIAEAが主催してウィーンで専門家会議を開催し事故を分析した。
 われわれは、福島原発事故発生に際し、意見の違いを乗り越えて、速やかな収束にむけて国内・国外の全面的な協力が進められることを希望し、批判を控えてきた。しかし事故発生後4か月経過した今日になっても、遺憾ながら事故の実態を分析できる段階になっていない。
 東京電力と原子力安全保安院の事故に対するこれまでの対応を見ると、見通しのない、その場しのぎの極めて歯痒いびぼう策の繰り返しが多く、最も楽観的な期待を事実であるかのように述べ、次々に予測が外れ、後手に回り、起こしてはいけない被害を拡大させた。
 日本では原子力基本法に公開の原則が決められている。それにもかかわらず、東京電力と原子力安全保安院の透明度は極めて低く、実態がなかなかみえず、刻々と変わる状況に対し市民が適切な判断をすることは非常に困難だった。東京電力と政府は、市民を信頼して、不明なことは不明とし、危険は危険として、事故の状況と将来への見通しを速やかに公開しなければならない。
 原子力発電所の事故の影響は、国境を越え、領海内にとどまらず波及することを考えれば、対策は本来当事者に任せるだけでなく、国内・国外の英知を結集して当たるべきである。
 IAEAは、平常時から、安全性について科学技術的側面と社会的側面についての国際的基準を作成し、軍事転用の可能性についての現地査察にとどまらず、各国の原子力平和利用の大型施設の情報把握を一層強化していくべきである。さらに万一原発事故が起きた場合には、要請を受けてから助言をし、協力し、情報を収集して加盟国に報告することにとどまらず、主体的に国際専門家チームを組織し、事故の完全収束にむけて、全面的な処置の中心になる体制を整えていくようIAEA ならびに加盟各国に希望する。
 なお我々七人委員会は、現在日本を含めた各国で進められている原子力発電所輸出の動きは、輸出先国に原発事故による過酷な被害の可能性を輸出することになるので、行うべきではないと考える。また持続可能な自然エネルギー研究・開発・利用の国際協力こそ積極的に強化すべきだと訴える。

6. 結び
 日本は3.11東日本大震災における東京電力福島第一原発爆発の人災を経験することで、広島・長崎・ビキニにおける核の軍事利用の被災国であることに加え、平和利用の原発の被災国となった。
世界平和アピール七人委員会は、日本の多くの市民と思いを共有して、核の軍事利用の廃絶とともに原子力発電所を全廃する世界に向かう道を歩むことを、日本および全世界の良識ある市民とリーダーとに求めるものである。

以上

 PDFアピール文→ 104j.pdf

2010年講演会「武力によらない平和を」に350人 井上さんの「思い」引き継ぎ、辻井喬さんも初参加

2011年3月10日

世界平和アピール七人委員会の2010年の講演会が、2010年11月12日、東京・お茶の水の明治大学リバティタワーで開かれた。総合タイトルは、「武力によらない平和を 日米安保・沖縄・核」。
明治大学軍縮平和研究所が共同主催し、準備や当日の進行を同研究所の院生ら若い力が支え、参加者は、約350人。4月に亡くなった井上ひさし委員の思いを次代へ引き継ぐ願いも込めた講演会で、新しく加わった詩人で作家の辻井喬委員も、「東アジアの平和構築」をテーマに講演した。(詳細はこちらで)
講演会後には、神保町のレストラン「アミ」で懇親会を開き、約50人が参加、夜遅くまで講演会の盛会を祝った。

→ 2010年講演会

2010年講演会「武力によらない平和を」に350人

2011年3月6日

 井上さんの「思い」引き継ぎ、辻井喬さんも初参加

「九条は世界の宝」(辻井さん)
「沖縄 命どぅ宝」(大石さん)

講演会は、まず、小沼通二委員・事務局長が開会のあいさつ。
続いて、詩人・作家の辻井喬さんが、「軍事力を行使しないと宣言した唯一つの経済大国である日本。九条は世界の宝であり、われわれは堂々と世界にこの宝を広めよう。アメリカの核の傘の下で、被爆国日本の安全保障を求める精神はおかしい」と、日本の平和への役割を語った。

続いて登壇したのは、大石芳野委員。「沖縄 命どぅ宝」(ぬちどぅたから)」と題して、自らが長年にわたって撮影した写真をスクリーンに映しながら解説。「集団自決」などで戦争の傷を負い、今も戦争のための米軍基地と向き合わざるをえない、一人ひとりの人間について話した。

 
「日本を分断させるな」(武者小路さん)
「政策介入に問題」(土山さん)
「言論状況に問題あり」(池田さん)

武者小路公秀委員は「日米同盟と沖縄」と題し、大石委員の話を受けつつ、沖縄の現状と国際状況のつながりに言及。本土と沖縄の温度差に触れて、「本土と沖縄とに、日本が『分断』されてよいのか」と問題提起し、会場の人々に強い印象を与えた。
土山秀夫委員は「日米安保と九条」をテーマにことの本質に迫り、安保条約の成り立ちや「思いやり予算」の拡大、アーミテージ米元国務副長官らによる日本の政策決定への介入などを指摘。安保より、憲法9条の理念を活かす道を提起した。
池田香代子委員は、広島、長崎以来、人類が膨大な核兵器を蓄積してきたことを物語る橋本公氏の作品「オーバーキルド」の上映も入れて、「核はいらない、過去も未来も」と訴えた。尖閣問題をめぐる日本の言論状況への危惧も語った。

休憩時間をはさみ、後半に移ったが、休憩時間にも大石芳野委員が撮影したカラー・スライド写真「沖縄の情景」の映写を行った。後半は委員全員が登壇して、討議と質疑応答に入った。


「時間の地平線」(池内さん)
「独立国」か「植民地」か、「九条」か「安保」か 全員が討論
まず司会役の池内了委員が、「辻井さんは日本は独立国でなければならない、と語り、武者小路さんも日本は米国の半植民地だ、とした。そのうえで土山委員が、日米安保か憲法9条かという問いを出した」と、前半の講演の流れをまとめた。
それに対し、池内氏自身の意見として、軍事基地のある所こそが最初に狙われるのであって、芸術の香ぐわしさに満ちた国をどこが攻めようかと、平和主義の「強み」を強調。「思いやり予算でピカソの絵を買えば、どれほど買えるか」とも述べた。また「時間の地平線」という言葉を紹介し、どれだけ将来までを見通して、一歩ずつ状況を変えていくことが出来るかが、大切なことだと語った。
 討議に入り、各委員が補足発言やお互いのやりとりをした。
辻井委員は、「日本は独立国になっていないと述べたが、独立国になれる環境は整いつつある。冷戦が終わり、さらに米国一極集中も崩れ始めている。世界経済が今の長いトンネルを抜けた時、世界はもっと多様化しているかもしれない。その中で日本は経済の一極になるのではなく、平和憲法を持つ唯一の国として、平和的役割を果たす国になるべきだ」と語った。
「沖縄の優しさ」、憲法の「反植民地主義」も議論
大石委員は、沖縄の優しさの理由を問われ、「たしかに沖縄の人たちは『人を傷つけたら自分が辛いでしょう』と語る優しさを持っている。その沖縄の人が、他県の人に同じ苦しみを味あわせたくないと従来言わなかった「基地の県外移設」を、ここ数年、口にし始めた」と話した。
「本土で花と言えば『花は桜木、人は武士』。しかし沖縄で花と言えば、大小さまざまな花を思い浮かべる。そういうことが、沖縄の優しさの原因ではないだろうか」と武者小路委員は話した。
「沖縄の海兵隊は南北朝鮮有事のためにおり、台湾海峡の時には第七艦隊が出るというのが軍事専門家の一致した見方だ。そうであれば、韓国が受けるかどうかの問題があるが、海兵隊を韓国に移すという議論の試みも一度あってよいのかもしれないと思う」と土山委員は述べた。
会場からの質問は多数に上った。各委員が、そのうちのいくつかに対して答えた。
「日本が独立するために必要なことは?」という質問に、辻井委員は「第一に、優秀な人が政治家になれるような環境をつくること。第二に、日本のメディアが、米国の特定の研究者の言い分だけを聞くような今の姿勢を改めることだ」と語った。
「沖縄差別の根源は?」という問いに対しては、大石委員が「やはり歴史が大きいのだろう」とし、差別をなくすには「その身になって考えること」と言った。
植民地に関する質問もあった。武者小路委員は、「日本国憲法前文の平和的生存権、『恐怖と欠乏から免れ』という文言は、日本がアジア諸国に恐怖と欠乏を押し付け、生存を脅かしたことへの反省にほかならない。日清戦争後の下関条約のとき、欧米列強は『日本が清国と儒教的に解決してしまうのではないだろうか』と恐れた。しかし、日本は帝国主義的に、台湾割譲や賠償金を清に要求したため、安堵したという。反植民地主義の側に立つ選択肢も、歴史的に日本にはあったのだ」。
「テポドンを射ってきたら、との疑問に対してどう答えたらよいのか」という質問もあった。土山委員は、こう答えた。「米国の専門家によれば、テポドンを射てば、米国のネオコンが、えたりやおうとピョンヤンを壊滅させるだろう。だから北朝鮮は米国と話し合いたいのだ」
「日本は中国になめられている」という声もあるが、との意見に、池田委員は「一番なめられているのは、アメリカにではないかと私は答えている。すると相手は『そりゃアメリカには戦争で負けたからさ』と言う。でも中国にも負けたのだと思うのだが。なかなか話が通じない」。

「武力の依らない平和」は空想ではない
最後に、「武力によらない平和」がどうやったら可能なのか?という疑問に対して、全体の司会を務めた小沼委員が立ってこう語った。  「長い歴史で考えてみよう。日本国内でも、戦国時代には隣人同士で互いに戦っていた。今は、そのようなことは全くなくなったではないか。ヨーロッパにおける独仏の関係も、繰り返し戦った長い歴史は過去のものになり、友好関係に変わった。厳しい冷戦の象徴であったベルリンの壁の崩壊は、直前まで誰にも予想しえなかった。しかしチャンスが来たときにそれを捉えることができるためには、常に考え、準備を続けていく必要がある。そうすれば、いつ来るのかは分からなくても、チャンスが来た時に、それを捉えて変化させることができる。アジアだって真に一つになれるだろうし、ならなければならない。武力によらない平和は空想ではなく、可能だ。私たちは楽観主義でありたい」
おわりに福田邦夫・明治大学軍縮平和研究所長が閉会の言葉を述べ、午後6時の開会から3時間を超えた講演会を締めくくった。
(了)
 

辻井喬さんが七人委員会に参加

2010年10月1日

井上ひさしさんが、さる4月9日に亡くなられた後、1人欠員になっていた委員に、詩人で作家の辻井喬さんが9月6日に参加されることが決まりました。
辻井さんは1927年東京でお生まれになり、日本ペンクラブ理事、日本文藝家協会副理事長、日本中国文化交流協会会長をされています。詩集に『群青、わが黙示』(高見順賞受賞)、『鷲がいて』(現代詩花椿賞、読売文学賞詩歌俳句賞受賞)など、小説に『虹の岬』(谷崎潤一郎賞受賞)、『父の肖像』(野間文芸賞受賞)、『茜色の空』など、回顧録『叙情と闘争』などがあります。2006年には第62回恩賜賞・日本芸術院賞を受賞されています。詳しくは委員のプロフィールをご覧ください。

 

 

潘基文国連事務総長に七人委員会がメッセージと核兵器DVDを贈呈

2010年8月8日

来日中の潘基文国連事務総長が、2010年8月5日に初めて長崎を訪問した。国連側9名、長崎側7名の午餐会において、長崎県知事の歓迎と潘事務総長の答礼の辞のほかに、世界平和アピール七人委員会の土山委員が特に発言の機会を与えられた。土山委員は、① 1955年の七人委員会の誕生のいきさつから、② 最近まで102回のアピールを国内・国外に発表してきたこと、③ 去る4月8日の第102回アピールでは、2008年10月24日に開かれたシンポジウムにおいて潘事務総長が強調した核廃絶への5項目提案を全面的に支持することを述べ、その中の核兵器禁止条約への交渉開始の要請を特に取り上げて、速やかな取り組みと結論到達を要望する旨、国内国外に発表すると共に、当時の鳩山首相には直接お会いして日本の貢献を要望したことを紹介した。

2010 103J 国連事務総長潘基文殿へのメッセージ

2010年8月5日
アピール WP7 No.103J
2010年8月5日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 池田香代子 小沼通二 池内了

 事務総長殿
 私たちはあなたの広島、長崎訪問を心から歓迎します。私たちは、核兵器なき世界の実現を目指すあなたの熱心なご努力を高く評価して参りました。それは、2008年10月24日に国際連合本部で開かれたシンポジウムで行われたあなたの基調演説「国際連合と核兵器なき世界の安全保障」を始め、国際連合でのさまざまな機会に示されたあなたのリーダーシップで明らかです。
 世界平和アピール七人委員会は1955年11月11日に、日本の代表的知識人7人によって設立されました。その第1回アピールは「国際連合の第10回総会に寄せるアピール」で、国連の役割を強化すること及び戦争の廃止を追求することを訴えたものでした。それは、日本の漁船員とマーシャル諸島住民に重大な結果を及ぼしたビキニ環礁における米国の一連の水爆実験があった翌年、さらに「人間性を心にとどめ他は忘れよ」と述べたラッセル・アインシュタイン宣言が発表された年のことでした。
 それ以来七人委員会は、平和と正義と人道に根ざし、外部から独立した個人の資格において、国際、国内向けに102回のアピールを発表して参りました。私たちは当初から、世界におけるいかなる紛争も平和的手段で解決すべきであるとの信念に立ち、核兵器の廃絶を追求して参りました。私たちは、核兵器の保有と核の傘政策の採用は、いかなる国の例外もなしに、廃止されるべきであり、廃止が可能であると信じています。私たちの最新アピールは2010年4月8日に出した「私たちは全ての国に核兵器禁止条約の早期採択に向けた交渉の開始を求める」アピールですが、私たちはこの中に2008年10月24日のあなたの演説を明示致しました。私たちはこれらのアピールが、あなたと同じ考えに立つものであることを確信しています。この2通のアピールをここに同封いたします。

 私たちはあなたのご見解を強く支持し、あなたが核兵器の完全廃絶を実現するために今後も努力を続けられることに、心からの期待を表明します。私たちは核兵器なき世界、戦争なき世界を実現するために一層の努力をすることを誓います。

 PDFアピール文→ 103j.pdf

核兵器禁止条約を求めるアピールを発表 鳩山首相と会談、「核廃絶の先頭に」と激励

2010年4月9日

世界平和アピール七人委員会は、4月8日午前、首相官邸で鳩山由紀夫首相と会い、別紙の「核兵器不拡散条約再検討会議を前にして、核兵器禁止条約の採択に向けた早期交渉開始を求める」とのアピール(No.102)を手渡しました。

アピールは、来月のNPT再検討会議、来週の核セキュリティ・サミットを前に、各国の政府に核兵器禁止条約の締結に向けて、積極的な取り組みをするよう求めたもので、鳩山首相にも「核兵器廃絶の先頭に立ってがんばってほしい」と申し入れました。
委員会はこのあと、このアピールを国連事務総長および主要各国首脳に届けることにしています。
現在の委員会のメンバーは、武者小路公秀、土山秀夫、大石芳野、井上ひさし、池田香代子、小沼通二、池内了の7人。この日の鳩山首相との会談には、療養中の井上ひさし、所用で欠席の大石芳野、池内了の3委員を除く4人の委員が参加しました。
鳩山首相は「世界平和アピール七人委員会は、私の祖父が総理だった時代からずっと引き続いて活動されている由緒ある組織と聞いている。来ていただいて有り難い」との挨拶があり、小沼委員・事務局長から、アピールの趣旨を説明、アピールを手渡した。
核兵器禁止条約について、小沼委員は「日本は前政権時代から、きて棄権を続けており、昨年12月も棄権してしまった]と説明。土山委員も「核兵器禁止条約は、NPT(核拡散防止条約)と違って、核兵器を法的に規制しようとするものだ。NPT条約に加入しないインド、パキスタンや北朝鮮もこれには賛成している。いま核兵器がテロ組織に渡ったら大変だ、という危惧をみんな持っているが、この条約なら全体が一致できるはずだ。日本はその先頭に立ってほしい」と強調した。
また、武者小路委員は「コスタリカとマレーシアが核兵器禁止条約の草案を出している。日本も同意見だと言っていただくことは、南北関係の上で大変意味が大きい」と鳩山首相にアドバイス。武者小路委員は最後にも「生物多様性条約の締結国会議も重要です。首相に頑張っていただきたい」と激励した。
池田委員は、池上彰氏とともに出版した「日本がもし100人の村だったら」を「総理に期待しています」と手渡した。
これに対し鳩山首相は「貴重なご意見をいただいた。核セキュリティサミットには出掛けることにしている。NPT再検討会議の方はどうなるか分からないが、強い関心を持っている。オバマ大統領は核保有国への攻撃はしない、という消極的安保に一歩踏み込んだ。しかし、完全ではない。すべての核保有国がこうした方向に行くように行ってほしいと思っている。核兵器禁止条約については私ももっと勉強してみたいと思っている。日本はそうした責任があると思っている。皆さんの意見を参考にして政府として何ができるかなどを研究したい」と述べた。
この会談には、核実験の恐怖や、核爆弾の数などを映像化した橋本公さんも参加、自作の「1945-1998」「オーバーキルド」「核実験の名前たち」のビデオを首相に贈呈した。
委員会はこのあと、このアピールを国連事務総長および主要各国首脳に届けることにしている。
(了)

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世界平和アピール七人委員会、官邸で鳩山さんと会見
鳩山さんへのプレゼントは写真に撮っておきました

2010 102J 核兵器不拡散条約再検討会議を前にして 核兵器禁止条約の採択に向けた早期交渉開始を求める

2010年4月8日
アピール WP7 No.102J
2010年4月8日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 井上ひさし 池田香代子 小沼通二 池内了

 核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議(2010年5月3-28日)と核セキュリティ・サミット(2010年4月12-13日)を目前にして、私たち世界平和アピール七人委員会は、2008年10月24日に国連本部で開催されたシンポジウムにおいて藩基文国連事務総長が行った基調演説「国連と核兵器のない世界の安全保障」を想起し、これを支持します。

ここで事務総長は5項目の提案を行いました。その中に含まれる以下の事項は、今日でも重要な問題として未解決のまま残されています。

(1)  すべてのNPT締約国、とりわけ核兵器国が、国連で長年にわたり提案されてきた核兵器禁止条約の交渉検討を含めて、NPTに基づく軍縮義務を履行すること。
(2)  核兵器国は、非核兵器国に対して、核兵器による攻撃も威嚇もしないことを明確に保証すべきこと。NPT非加盟国は、核兵器製造能力を凍結し、独自の軍縮公約を行うこと。
(3)  包括的核実験禁止条約(CTBT)、核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)、非核兵器地帯、国際原子力機関(IAEA)との軍事利用されないための保障措置協定、追加議定書などによって「法の支配」を強化すること。
(4)  核兵器国が具体的情報に基づく説明責任と透明性を強化すること。
(5)

 他の大量破壊兵器の廃絶、通常兵器の制限を含む、核軍縮の補完的措置を必要とすること。

 私たちはこれらいずれの提案にも賛意を表しますが、とりわけ重要かつ緊急を要するものとして、核兵器禁止条約の早期交渉開始を各国、なかでも核兵器国に対して求めます。
その理由は2つあります。

1つは1996年(12月10日)から2009年(12月2日)まで毎年、国連総会で採択されてきた「核兵器による威嚇または使用の合法性に関する国際司法裁判所の勧告的意見への補足」決議が、「全ての国家は、核兵器の開発、製造、実験、配備、保有、移譲、威嚇、使用を禁止し、廃棄を定める核兵器禁止条約の早期締結に導く多国間交渉を開始する義務を直ちに履行すること」を呼びかけていることが世界中で歓迎されると考えるからです。大量破壊兵器委員会(ハンス・ブリクス委員長)が2006年6月に国連に提出した報告書でも、核兵器非合法化のための準備を開始すべきことが提言されています。

他の1つは現行のNPTに加えて、核兵器の非合法性を明確化する法的規制が不可欠であると判断するからです。「核兵器のない世界」を目指す米国オバマ大統領は、繰り返しNPTの強化の必要性を表明しています。むろん私たちもその点には全面的に賛成します。しかし、それだけでは全ての国を核兵器廃絶に向かわせることはできません。なぜならば従来の経緯からみて、非加盟国、特にインド、パキスタン、イスラエルのNPT加盟を期待するのはきわめて困難だと思えるからです。私たちは、NPTを超えて、コスタリカとマレーシアが推進してきて藩基文国連事務総長も触れている核兵器禁止条約草案(モデル核兵器条約)に基づく誠実な交渉を、核兵器国を含む全国連加盟国が開始することが、より重要と考えます。

 核兵器禁止条約交渉開始を含む「核兵器による威嚇または使用の合法性に関する国際司法裁判所の勧告的意見への補足」決議には、国連の場においてインド、パキスタン、北朝鮮、イランも1996年以来一貫して賛成票を投じています。この事実は、核兵器禁止条約が、NPTを超えて核兵器を法の支配下に置き、核兵器が国家以外の組織に渡る危険性を防ぐ上でも有効かつ緊急の課題であることを示唆します。

 結論として私たちは、核兵器国ならびにNPT非加盟国を含む全国連加盟国が、核兵器禁止条約の速やかな採択を目指し、直ちに交渉に向けて積極的な取り組みを開始されるよう強く要請します。

連絡先:世界平和アピール七人委員会事務局長 小沼通二
メール: mkonuma254@m4.dion.ne.jp
ファクス:045-891-8386

URL:https://worldpeace7.jp

 PDFアピール文→ 102j.pdf