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「重大な岐路に立つ日本ー今、私たちは何をしたらいいのか」を出版

2015年4月23日

重大な岐路に立つ日本 世界平和アピール七人委員会は、昨年11月、「重大な岐路に立つ日本」と題する講演とパネル討論の会を開きましたが、この会を中心に編集した本、「重大な岐路に立つ日本ー今、私たちは何をしたらいいのか」が、このほど、あけび書房から発行されました。日本図書館協会選定図書になるなど、好評です。
 七人委員会としては久しぶりの出版で、池辺晋一郎、髙村薫、池内了の3委員の講演と、他の委員を含めた議論が紹介されているほか、最近のアピールなども収められています。(目次参照)   「なぜ音楽家が政治の話をするのか」(池辺委員)とか、「言葉こそ重大な岐路に立っている」(髙村委員)、「科学者の軍事協力が当たり前になってしまいかねない状況にある」(池内委員)など、今の日本社会を考え、私たちが生活していく上で、非常に重要で、興味深い問題指摘がされています。後半のパネル討論も新鮮です。
 良心的な出版社の努力で、1400円+税、と安価で読みやすい本になりました。  ぜひ手にとってご覧いただき、ご購読をお願いします。

もくじ
まえがき
世界平和アピール七人委員会の紹介

第Ⅰ部●問題提起
今を生きる者として ―― この時代をどう見て、何をしたらいいのか
主張する音楽――音楽家の僕がなぜ政治にかかわるのか ……池辺 晋一郎
言葉の伝わり方――言葉こそ重大な岐路に立っている …… 髙村 薫
戦争への科学者の動員が始まっている!
              ――軍学共同の動きと日本の未来 …… 池内 了

第Ⅱ部●パネルディスカッション
重大な岐路に立つ日本 ―― 日本の進むべき道を考える
池内 了/池辺晋一郎/大石芳野/小沼通二/
髙村 薫/土山秀夫/武者小路公秀/高原孝生
資料編●世界平和アピール七人委員会の最近のアピール
あとがき

本書「まえがき」より
 2014年には、東京の明治学院大学国際平和研究所と共催して、11月4日に同大学白金キャンパスで「重大な岐路に立つ日本」をテーマにした講演会を開きました。これは本書6ページに紹介した最近の七人委員会のアピールのリストからもご覧いただけるように、政府が憲法順守の義務を無視して日本国憲法の平和理念を否定している動き、広範囲の国民が反対する特定秘密保護法、沖縄の総意を無視する名護市辺野古への基地移転計画、条件が整わないままでの原発再稼働問題などの現在の日本の状況に、私たちが深刻な危機感を持っているためです。

 

チラシ→ 20150423book.pdf

2015 116J 辺野古問題を直視し、沖縄の人たちとの連帯を強めよう

2015年4月22日
アピール WP7 No. 116J
2015年4月22日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫

 沖縄県名護市の辺野古の海を埋め立てて米軍基地を新設しようという日米政府の計画に、大多数の沖縄県民が一致して反対の意志を繰り返し明白にしている。それにもかかわらず現在、事態は大きな困難を迎えている。
 2014年1月の名護市長選挙、11月の沖縄県知事選挙、12月の衆議院議員選挙の沖縄の結果を見れば、どれも辺野古の基地問題が最大の争点だったが、圧倒的多数で当選したのは、すべて「オール沖縄」で一致した辺野古基地反対派の候補だった。
 先週の4月17日には、昨年(2014年)12月10日の翁長雄志沖縄県知事の就任以来 かたくなに面会を断ってきた安倍晋三首相が初めて知事と面会した。首相は「率直に意見を交換したい」といいながら、辺野古移転をなぜ普天間基地の唯一の代替案と考えているかの根拠は一切説明せず、知事が賛成できない具体的理由を丁寧に述べてもそれに対して何ら反論もせず、「辺野古が唯一の解決策だ」と繰り返すばかりだった。
 日本政府は、沖縄が置かれている現状に目を向けることなく、民意に耳を傾けることもなく、日米官僚が1997年につくった辺野古移設案にしがみついているとしか思えない。
 安倍政権は、憲法違反の集団的自衛権行使の法制化を目指して与党間であいまいな抜け道のある合意をまとめ、国会の野党の意見を無視し、主権者である国民の存在を無視し、国際的既成事実づくりを狙って非民主的な行動を重ねている。沖縄の米軍基地についても、このような非民主的行動を重ねる事態が続けば、残念ながら日本の周辺国とも、米国自身とも、安定した友好関係を築き上げることはできない。

 現在の事態を憂慮しているのは沖縄県民だけではない。地方公共団体は、中央政府の意向を無批判に実施するための組織ではない。実際、政府の意に沿わないとして沖縄県の意見を無視し続けている政府の行動を危惧し、地方自治の尊重を求める意見書を、長野県白馬村議会(満場一致)、愛知県岩倉市議会(賛成多数)などが地方自治法に基づいて日本政府に提出している。私たちも民意に基づく知事の意見を政府が一切無視するのは民主主義の根本の否定だと考える。
 私たち世界平和アピール七人委員会も2011年10月25日と2014年1月17日のアピールで、歴史を踏まえ、将来を目指して、辺野古に米軍基地を建設してはならないと意見を述べてきた。

 沖縄防衛局が海上工事に關係して海底に投下した20〜45トンのコンクリートブロックは、沖縄県が権限に基づいて2014年8月に許可した岩礁破壊の範囲を大きく超えており、サンゴを破壊しているとして、翁長知事は2015年3月23日に、海底面変更作業を7日以内に停止するように指示した。これに対し林芳正農林水産相は30日、翁長知事の指示を無効とする「執行停止」の決定書を沖縄県と沖縄防衛局に送った。これも、自然環境破壊の有無と無関係に、問答無用とする強権的な決定であり、現内閣の体質を表している。
 現在、辺野古の新基地建設に向けた海上工事の強行に対して、沖縄県民は、名護市と国頭郡宜野座村にまたがる在日米軍海兵隊のキャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを続け、海上ではカヤックでボーリング反対を訴え続けている。私たちは、沖縄県民の抗議行動の徹底した非暴力主義に強い敬意を払うものである。一方、米軍、警察、海上保安庁が暴力的嫌がらせと排除を続け、けが人や逮捕者がでていることは、日本国憲法第21条に規定された基本的権利である表現の自由の侵害であることが明らかであり、強く抗議する。

 普天間基地について、19年前の1996年に、当時の橋本竜太郎首相とモンデール駐日米大使が5年から7年以内に全面返還をめざすことに合意したのは、現在の日本政府自身も認めている大きな危険性を抱えているためであった。今後事故は起きないだろうという根拠のない楽観論に頼ることなく、辺野古に代替え基地が作れるか否かを条件にすることなく、直ちに普天間基地の閉鎖を実施しなければならない。軍事基地の縮小・廃止は、国際緊張の緩和に必ず役に立つことを歴史が示している。

 琉球は、15世紀から19世紀まで独立国として存在し、琉米修好条約(1854年7月11日)、琉仏修好条約(1855年11月24日)、琉蘭修好条約(1859年7月6日)を締結していた。それを1609年には薩摩藩が琉球侵攻をおこない、1879年に明治政府が武力を背景にしたいわゆる琉球処分によって日本に編入したのだった。
 国土の僅か0.6%の沖縄に在日米軍基地の74%が存在する異常な差別を直視し、沖縄の基地増設は止めなければならない。そしてジュゴンと珊瑚とウミガメの住む美しい辺野古の海の自然の破壊を止めさせなければならない。

 世界平和アピール七人委員会は、日本政府が沖縄県民の「平和に生存する権利」を無視し強権的な手段をもちいていることに強く抗議し、あらためて沖縄県民への連帯を強めるよう本土の人々に訴える。

PDFアピール文→ 116j.pdf

アピール「辺野古問題を直視し、沖縄の人たちとの連帯を強めよう」を発表

2015年4月22日

世界平和アピール七人委員会は、2015年4月22日、「辺野古問題を直視し、沖縄の人たちとの連帯を強めよう」と題するアピールを発表しました。

アピール「辺野古問題を直視し、沖縄の人たちとの連帯を強めよう」

今月のことばNo.8

2015年4月17日

鬱陶しいではすまされない昨今

大石芳野

 毎日がやけに鬱陶しいのは天候のせいではない。アベノミックスで景気は上がっていると発表されるのだけれど、これは物価が徐々に値上がりしてきたせいでもある。日本は食料の自給率が4割弱だから当然かもしれない。それにも拘らず、安倍政権の支持率はいつも高い。国民は、いつかトリクルダウンで自分にも利益が回ってくるという期待感で待っているのだろうか。「貧乏人は口を空いて待っていればお金は落ちてくる」と政権に言われているようで、私は不快感を拭えないことも憂鬱になるひとつだ。
 現政権の支持率が高いとマスコミが発表する。「無作為に選出した電話調査」だというが、私が尋ねた中には「調査」された人は誰もいないし、現政権の支持者も極めて少ない。「無作為」は多分「トヨタや大成建設の社員名簿から」ではないのかと疑いたくなるほどだ。確かに2〜3割の富裕層は恩恵を授かっていることは間違いないだろう。けれど大半は「口を空いて待っている」側にいることも間違いない。
 その上、鬱陶しいではすまされない事態が続いている。沖縄の辺野古問題も大きい。まだある。それは「安保法制」が出来上がっていくことだ。去年末の「特定秘密保護」に始まって「集団的自衛権」も法制化し「武器輸出」「自衛隊の海外武力行使」と矢継ぎ早に進むから、国民はついて行けない。「エ? まさか・・・」と言っているうちに次々と実に短期間で「形」になっていく。いったん決まれば言うまでもなくそれらを護ることになり、安倍政権が終わっても次の政権は「形」を踏襲することになる。(法制化されたものの修正や取り消しはかなりの困難を要する。)
 国会におけるいかなる決定も「決定」に相違ないから、「政治のことは分らない」と言っているうちに取り返しがつかなくなり、後で「まさか」の事態になるということだ。国民が「形」を好しとする覚悟を持っているならば、少しは納得もするのだけれど、「無関心という敵」の手中に埋没した結果の現状だとしたらどうか。将来の悔やみはさぞかし大きく深いものになるだろう。そう考えるとまたしても落ち込んでしまう。
 そのころは、安倍首相たちも現役を離れた「老人」になっているから「責任」のかけらも負わされない存在になっているのだろう。けれど、赤ちゃんが生まれ、子どもが大人になっていくことは確かなことだ。先人が苦心して護ってきた平和憲法を、私たちが放棄するのか。もし放棄したら、次世代のその子たちは「戦争のできる国」の兵士として戦場に向かわなければならなくなる。それでも彼らは、歴史の中の「安倍政権」を肯定し続けるだろうか。現政権と同じ時代に生きている私たちは、百年先の子どもたちに対する責任も描ける想像力を持って今日の状況や事態を見詰めていかなければならないと思う。
 このように、毎日が鬱陶しいではすまされない緊迫感を覚える。けれど世の中はなぜか「平和ムード」だ。その一方で「流れに乗れ」、「長いものには巻かれろ」といった得体のしれない「圧力」が漂い、弱き民は内心はうろたえながらもいつの間にか従っている。とんでもない時代にならないように、私たちは目を見開き、耳を澄ましながら次世代のためにも「本当」を追究していきたい。

今月のことばNo.7

2015年4月3日

戦後70年目の『八紘一宇』

髙村 薫

 先日、参議院予算委員会の質疑で、政権与党の女性議員が、かの「八紘一宇」を日本人が建国以来大切にしてきた価値観だとして堂々と取り上げた由。私などは何かの間違いだろうと思い、YouTubeで実際の中継映像を確認して顎が外れそうになったが、映像を見る限り、当の委員会は終始淡々としたもので、野党席からも怒号一つ上がっていなかった。数年前なら、即座に委員会は非難の嵐になり、政権与党は青ざめ、メディアの糾弾があり、内閣不信任案が提出されて可決されていた事態だろうに。平成27年の日本の国会の、なんというありさまか。
 いつの世も世代間のギャップはあるけれども、個々の人生観や生活感覚などは差があって当たり前だし、互いにぼやいてすむ程度の話であれば、ことさら違和感を訴える必要もない。しかしながら国のかたちや歴史や政治、公共の精神など、世代間で認識が大きく違っていては決定的に不都合がある事柄については、その限りではない。
 現に「八紘一宇」なる言葉は、おおもとの意味が何であれ、戦前の日本が大陸侵攻のスローガンにした理念だったという、その一点ゆえに、戦後の日本では完全な禁忌であった言葉ではないか。それを、国会という公の場で、国民の合意もなしに一国会議員が突然取り上げた上に、あろうことかグローバル世界で日本が取るべき理想のスタンスだと言い放ったのである。にわかには信じがたい、とてつもない化けものがこの国に出現しているとでも言おうか。
 そして何より深刻なのは、その場に居合わせた与野党の議員も、傍聴席のメディアも有権者も、化けものだと気づいた気配がないことである。これについて、知り合いの某全国紙の編集委員は、自社の政治部記者たちの感度の低さ、認識の甘さはもはや致命的だと嘆いていたが、ひょっとしたら彼らは化けものと気づかなかったのではなく、初めから化けものとは思っていないということではないだろうか。「八紘一宇」が禁忌である戦後の歴史認識そのものに、大きな意味を見出していないということではないだろうか。仮にそうだとすると、世代間の認識のギャップはもはや何をもってしても埋められない修復不可能な断絶となる以外にない。私の世代にとって、戦後70年の歴史認識はそれほどに堅固なものだということである。これだけはいかなる修正の余地もないし、妥協の余地もない。
 戦後70年のこの国の常識が、国会で公に覆され、無化されてゆく。4月1日付の朝日新聞オピニオン面で、フランスの民主主義の研究者ピエール・ロザンバロンは、現代の政党はもはやいかなる社会の声をも代表しない、それどころか社会に対して政府を代表していると喝破していた。社会の多様化が代表制民主主義を困難にしているというその主張には一理あると思う。とまれ、ロザンバロン流に言えば、かの女性議員は政府を代表して私たち有権者に「八紘一宇」を掲げてみせたということであり、私たちの社会は黙ってそれを承認したということになろう。
言葉を失って天を仰いでいるのが私だけでないことを祈りたい。

アピール『「イスラム国」と有志連合の武力対決の中で日本が目指すべき道』を発表

2015年3月21日

世界平和アピール七人委員会は、2015年3月21日、『「イスラム国」と有志連合の武力対決の中で日本が目指すべき道』と題するアピールを発表し、安倍首相と岸田外相に送りました。

アピール『「イスラム国」と有志連合の武力対決の中で日本が目指すべき道』

今月のことばNo.6

2015年2月25日

「軍学共同」が進みはじめている

池内 了

最近、私が熱を入れて取り組んでいる課題は「軍学共同」に関わることである。安倍政権になって特に加速的に進みはじめたこともあって、広く反対運動を組織する暇もないうちに既成事実がつくられていく気配が濃厚で、実は少し焦っている。

発端は、2013年12月に閣議決定された「平成26年度防衛大綱」に、「大学や研究機関との連携の充実により、防衛にも応用可能な民生技術(デュアルユース技術)の積極的な活用に努める」と書かれたことである。いかなる科学・技術の成果も民生利用と軍事利用の両面に利用可能(デュアルユース)であることは、軍事目的で開発されたさまざまな技術が民生利用されて(いわゆるスピンオフして)社会に広く行き渡っていることを見れば明らかだろう。しかし、アジア太平洋戦争中に軍事研究に勤(いそ)しんだ歴史を反省して、軍事目的のための研究を行なわないことを日本学術会議が1950年と1967年に二度まで決議してきたように、日本では公式には軍学共同が行われてこなかった。これは世界的に見ても珍しいことで、憲法第9条と並んで誇るべき伝統であったと言うべきなのだが、それが覆されそうになっているのだ。

既に軍学共同が具体的に行われているのが防衛省技術研究本部と大学・研究機関との間で行われている「共同研究」で、2006年に開始されて2012年までは1年に1件程度であったのが、2013年に4件、2014年には7件と急増している。そして実際に、航空宇宙研究開発機構との「宇宙空間での2波長赤外線センサの実証的研究」が2014年度から自衛隊の装備として予算化され、2015年には48億円が計上されているのである。それだけでなく、情報通信研究機構との共同研究「サイバーレンジの構築等に関する研究」も自衛隊の予算書に書かれているのだ。

さらに、防衛省が2015年から「安全保障技術研究推進制度」と名付けた競争的資金制度を発足させ、軍事利用できる技術開発を目的とした大学や研究機関の研究者への研究費の支給を決定した。研究費不足に悩む研究者が多い状況につけ込んでの制度と言えるだろう。このような資金が大学に入るようになると、公開できない秘密研究が堂々と行われるようになるだけでなく、軍事研究に動員される学生への悪影響が心配される。

何より、私は科学への市民の信頼感が薄れていくことを強く危惧している。