今月のことばNo.8

2015年4月17日

鬱陶しいではすまされない昨今

大石芳野

 毎日がやけに鬱陶しいのは天候のせいではない。アベノミックスで景気は上がっていると発表されるのだけれど、これは物価が徐々に値上がりしてきたせいでもある。日本は食料の自給率が4割弱だから当然かもしれない。それにも拘らず、安倍政権の支持率はいつも高い。国民は、いつかトリクルダウンで自分にも利益が回ってくるという期待感で待っているのだろうか。「貧乏人は口を空いて待っていればお金は落ちてくる」と政権に言われているようで、私は不快感を拭えないことも憂鬱になるひとつだ。
 現政権の支持率が高いとマスコミが発表する。「無作為に選出した電話調査」だというが、私が尋ねた中には「調査」された人は誰もいないし、現政権の支持者も極めて少ない。「無作為」は多分「トヨタや大成建設の社員名簿から」ではないのかと疑いたくなるほどだ。確かに2〜3割の富裕層は恩恵を授かっていることは間違いないだろう。けれど大半は「口を空いて待っている」側にいることも間違いない。
 その上、鬱陶しいではすまされない事態が続いている。沖縄の辺野古問題も大きい。まだある。それは「安保法制」が出来上がっていくことだ。去年末の「特定秘密保護」に始まって「集団的自衛権」も法制化し「武器輸出」「自衛隊の海外武力行使」と矢継ぎ早に進むから、国民はついて行けない。「エ? まさか・・・」と言っているうちに次々と実に短期間で「形」になっていく。いったん決まれば言うまでもなくそれらを護ることになり、安倍政権が終わっても次の政権は「形」を踏襲することになる。(法制化されたものの修正や取り消しはかなりの困難を要する。)
 国会におけるいかなる決定も「決定」に相違ないから、「政治のことは分らない」と言っているうちに取り返しがつかなくなり、後で「まさか」の事態になるということだ。国民が「形」を好しとする覚悟を持っているならば、少しは納得もするのだけれど、「無関心という敵」の手中に埋没した結果の現状だとしたらどうか。将来の悔やみはさぞかし大きく深いものになるだろう。そう考えるとまたしても落ち込んでしまう。
 そのころは、安倍首相たちも現役を離れた「老人」になっているから「責任」のかけらも負わされない存在になっているのだろう。けれど、赤ちゃんが生まれ、子どもが大人になっていくことは確かなことだ。先人が苦心して護ってきた平和憲法を、私たちが放棄するのか。もし放棄したら、次世代のその子たちは「戦争のできる国」の兵士として戦場に向かわなければならなくなる。それでも彼らは、歴史の中の「安倍政権」を肯定し続けるだろうか。現政権と同じ時代に生きている私たちは、百年先の子どもたちに対する責任も描ける想像力を持って今日の状況や事態を見詰めていかなければならないと思う。
 このように、毎日が鬱陶しいではすまされない緊迫感を覚える。けれど世の中はなぜか「平和ムード」だ。その一方で「流れに乗れ」、「長いものには巻かれろ」といった得体のしれない「圧力」が漂い、弱き民は内心はうろたえながらもいつの間にか従っている。とんでもない時代にならないように、私たちは目を見開き、耳を澄ましながら次世代のためにも「本当」を追究していきたい。