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今月のことばNo.10

2015年5月16日

「安眠枕」を取られたらどうする? ガルトゥングとの対話

武者小路公秀

 「平和学の開祖」として有名で今日も全世界で活躍を続けているノールウェーのヨーハン・ガルトゥングと、インターネットで、何十年ぶりで議論をしている。この「論争」について報告したい。

 どんな国際紛争でも、対立点を超越する筋道さえみつければ必ず平和裏に解決できるという立場の平和実践家である彼から、「「安眠枕」を取り上げられた日本の革新陣営は、ただ「安眠枕を返せ」というだけで、なにも積極的な主張をしていないのではないか?」という質問というより詰問をされて議論が始まった。
 「安眠枕を取られた」と彼が言ったのは、「戦争をしない国」である日本を支えてきた日本国憲法を事実上否定して、日本を「戦争出来る国」に変える安倍首相の「積極的平和」政策をさしている。これに対し、戦争をしないことだけにこだわり、積極的に世界平和のために日本がどんな役割を果たすかについてあきらかにして来なかった日本の革新陣営は、「太平の眠り」を破られたといっているだけではないかというのである。
 この「安眠枕」について、ベトナム生まれの人権社会学者タンダム・トルンは、ベトナム少年の不安に満ちた歌声を紹介して、先進工業国になった日本が、南の民衆の平和に生存できない状態を忘れて、日本人が戦争しないことだけで満足していることを批判している。

 これに対して、私は、世界平和アピール七人委員会で議論が始まっている日本国憲法の本来の主張、「平和を愛好する」国際社会に日本の安全をゆだねるという初心に立ち返って永世中立国になる、日本が軍事力で諸外国に脅威を与えないクニになることを改めて決意する。そして、その前提となる世界政治の構造を整えるために、国連の改革、アジア平和地域の確立、日本の国家としての軍事暴力装置の撤廃などの、国際・国内の諸条件を整える「ロードマップ」を提示するという真の「積極的平和」への道を紹介した。

 ヨーハンは、「ファシネーティング(魅力的)」な提案だけれども、日本がスイスのようになっても、世界平和に貢献しない。お前は、国家テロリズムについてなんにも言っていない、単なる理想論ではないかと反論してきた。

 そこで、私が「永世中立国」になるという選択は、大変現実的な提案だ。沖縄の「島ぐるみ」の非暴力抵抗を日本政府が合法(?!)な暴力で排除しようとしている現状への唯一の解決策が、日本国家自体が非暴力に徹する「永世中立国」となることだ。これ以外に、沖縄への日本政府とそれを支持する人たちの暴力的な差別を克服する道がないことを強調した。
 私は、ヨーハンの国家による暴力の独占とテロリズムを問題にした反論を肯定しつつ、国家テロリズムが、米欧諸国とこれに対抗するイスラム国ISISの間で起こっていることの背景について、話した。 ウェストファリア以来の西欧国際平和体制は、国家が暴力を独占することを正当とし、前提にしているのだが、日本国憲法の平和主義は、「正当な軍事暴力」によって周辺諸国の人民の「平和に生存する権利」を侵害したことの反省、懺悔の上に立ってつくられたものであり、軍隊のない非侵略主義国家を構築しようとしているのだ、と。つまり日本国憲法に基づく「永世中立」は、米欧による植民地侵略をささえることを否定し、国家テロリズムを否定するものであること、そして交戦権を否定しているので最後には日本も利用した「軍事暴力の正当性」を否定する立場であることを説明した。
 そしてこの構想こそが、いま沖縄で、辺野古という美しい海岸に米軍基地を造る計画に対する抵抗運動が非暴力で起き、それに対して国家が人間の安全保障欠如の暴力による排除をしている状態を、日本国憲法に依拠して解消する解答なのだ、と主張したのである。

 ヨーハンは私の意見に、「テロ国家」と「テロ国家と戦うテロ集団」の間の調停者になることを安倍政権に求めても無理だろうから、日本の革新陣営が本来の積極的平和主義を唱えて、調停者になるくらいの発想が必要ではないかと主張し、議論はどこかすれ違った。

 いま、それにどう答えるか、沈思黙考中。ガルトゥングとの対話はとぎれている。読者の意見をきかせてほしい。

今月のことばNo.9

2015年5月1日

「フランダースの野に」100周年

小沼通二

 2006年5月に、ベルギー西部のイーペル(Ypres、Ieper)に行く機会があった。ここは第1次世界大戦のときに完全に破壊された街であり、この郊外は初めて致死性の毒ガスが大々的に使われた激戦地である。ホテルのロビーに In Flanders Fields という手書きの詩が大きく掲げられていることに気が付いて、引き込まれた。見事な韻が美しい。その後いろいろわかってきたことがあり、インターネット上にいくつもの和訳があるが、すべて納得できなかったので、私の解釈の新訳まで作ってしまった。

In Flanders fields
John A. McCrae

In Flanders fields the poppies blow
Between the crosses, row on row,
That mark our place; and in the sky
The larks, still bravely singing, fly
Scarce heard amid the guns below.

We are the Dead. Short days ago
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
Loved, and were loved, and now we lie
In Flanders fields.

Take up our quarrel with the foe:
To you from failing hands we throw
The torch; be yours to hold it high.
If ye break faith with us who die
We shall not sleep, though poppies grow
In Flanders fields.

フランダースの野に
ジョン A. マクレー

フランダースの野にポピーが揺らぐ
十字架の間に、何列も何列も、
ここがぼくたちの場所 今でも
空には元気な声で飛ぶひばり
その下にかすかに聞こえる砲声

ぼくたちは死んだ 数日前には
生きていて、夜明けを感じ、輝く夕焼けを見た
愛して、愛された、それなのに今では
フランダースの野に横たわる

敵との争いを終わりにしよう:
弱ってきた手でぼくたちはトーチを投げる
 受け止めて高くかかげてくれないか
死んだぼくたちとの約束を守れないなら
ぼくたちは眠れない、ポピーの花が
フランダースの野に咲き誇っても

 この詩は、この街の郊外で第1次世界大戦の激戦中、今からちょうど100年前の1915年5月3日にカナダの軍医中佐ジョン・マクレー(1872 –1918)によって作られ、英国の週刊誌「パンチ」の12月8日号に掲載されて広まった。ドイツ軍は10日ほど前の4月22日から全面的毒ガス攻撃を開始していた。砲撃が命中して戦死した親友の飛散した遺体を拾い集めて埋葬した翌日に書かれたのだった。
 いずれ詳しく書きたいが、100周年にあたり、この詩をめぐる話題の一端を紹介する。この詩から米英でポピーが戦没者を偲ぶシンボルになり、この詩を受けて多くの詩が作られた。英連邦諸国では毎年11月の第2日曜日を第1次世界大戦の戦没者追悼日(通称ポピーの日)として、多くの人が胸に造花の真紅のポピーをつける習慣が始まった。私がもっているだけでも3枚の切手がカナダとオーストラリアで発行されている・・・。
 私が、これまでの和訳に納得できなかったのは、10行目の ”take up” だった。ほかの行はすべて平易であるのに、10行目だけは二つの深い意味を持っている。一つは「敵との戦いを再開してくれ」という意味である。そうすれば以下は戦いを鼓舞する詩となる。そして実際この詩は戦意高揚にも使われた。しかし私の解釈は異なる。オクスフォード英語辞典(全20巻のOED)によれば、現代では使われなくなったが、15〜16世紀には「友好的に収める」という意味にも使われた。その例として挙げられているのがシェークスピアの1600年の『お気に召すまま』の“Take up a quarrel”(第5幕、第4場、104行)などである。サムエル・ピープスの1666年10月24日の日記の“take up”も同じ意味だとOEDにある。
 マクレーは愛馬を連れて戦場に赴き、戦場で迷子になっていた猟犬を拾って飼い続けるという優しい心を持ち、毎日、軍医として悲惨な死傷者を相手にしていた。そして親友の死によって打ちひしがれている中でこの詩を作った。10行目の最後にコロン「:」があるので、以下最後まで10行目を説明していることになり、第2の意味の方が納得しやすい。軍医として戦争を直接批判できない立場にいた彼は、シェークスピアを引用し、13行目の「約束」の内容を明示しないことによってこの詩に見かけと彼の真意の2重性を含ませたと私は考えている。 彼は1918年1月に発熱、喘息、毒ガスの後遺症、脳出血を併発して、ドーバー海峡の見えるフランス海岸の軍事病院で29日に45歳で急死した。彼の最後の言葉はこの詩の13、14行目だった。

アピール「辺野古問題を直視し、沖縄の人たちとの連帯を強めよう」の英訳を発表

2015年4月23日

世界平和アピール七人委員会は、2015年4月23日、「辺野古問題を直視し、沖縄の人たちとの連帯を強めようの」英訳アピールを発表しました。

Let us strengthen solidarity with the overwhelming majority of the people of Okinawa opposing the Plan to construct a new US Military Base in the Henoko Bay.

「重大な岐路に立つ日本ー今、私たちは何をしたらいいのか」を出版

2015年4月23日

重大な岐路に立つ日本 世界平和アピール七人委員会は、昨年11月、「重大な岐路に立つ日本」と題する講演とパネル討論の会を開きましたが、この会を中心に編集した本、「重大な岐路に立つ日本ー今、私たちは何をしたらいいのか」が、このほど、あけび書房から発行されました。日本図書館協会選定図書になるなど、好評です。
 七人委員会としては久しぶりの出版で、池辺晋一郎、髙村薫、池内了の3委員の講演と、他の委員を含めた議論が紹介されているほか、最近のアピールなども収められています。(目次参照)   「なぜ音楽家が政治の話をするのか」(池辺委員)とか、「言葉こそ重大な岐路に立っている」(髙村委員)、「科学者の軍事協力が当たり前になってしまいかねない状況にある」(池内委員)など、今の日本社会を考え、私たちが生活していく上で、非常に重要で、興味深い問題指摘がされています。後半のパネル討論も新鮮です。
 良心的な出版社の努力で、1400円+税、と安価で読みやすい本になりました。  ぜひ手にとってご覧いただき、ご購読をお願いします。

もくじ
まえがき
世界平和アピール七人委員会の紹介

第Ⅰ部●問題提起
今を生きる者として ―― この時代をどう見て、何をしたらいいのか
主張する音楽――音楽家の僕がなぜ政治にかかわるのか ……池辺 晋一郎
言葉の伝わり方――言葉こそ重大な岐路に立っている …… 髙村 薫
戦争への科学者の動員が始まっている!
              ――軍学共同の動きと日本の未来 …… 池内 了

第Ⅱ部●パネルディスカッション
重大な岐路に立つ日本 ―― 日本の進むべき道を考える
池内 了/池辺晋一郎/大石芳野/小沼通二/
髙村 薫/土山秀夫/武者小路公秀/高原孝生
資料編●世界平和アピール七人委員会の最近のアピール
あとがき

本書「まえがき」より
 2014年には、東京の明治学院大学国際平和研究所と共催して、11月4日に同大学白金キャンパスで「重大な岐路に立つ日本」をテーマにした講演会を開きました。これは本書6ページに紹介した最近の七人委員会のアピールのリストからもご覧いただけるように、政府が憲法順守の義務を無視して日本国憲法の平和理念を否定している動き、広範囲の国民が反対する特定秘密保護法、沖縄の総意を無視する名護市辺野古への基地移転計画、条件が整わないままでの原発再稼働問題などの現在の日本の状況に、私たちが深刻な危機感を持っているためです。

 

チラシ→ 20150423book.pdf

2015 116J 辺野古問題を直視し、沖縄の人たちとの連帯を強めよう

2015年4月22日
アピール WP7 No. 116J
2015年4月22日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫

 沖縄県名護市の辺野古の海を埋め立てて米軍基地を新設しようという日米政府の計画に、大多数の沖縄県民が一致して反対の意志を繰り返し明白にしている。それにもかかわらず現在、事態は大きな困難を迎えている。
 2014年1月の名護市長選挙、11月の沖縄県知事選挙、12月の衆議院議員選挙の沖縄の結果を見れば、どれも辺野古の基地問題が最大の争点だったが、圧倒的多数で当選したのは、すべて「オール沖縄」で一致した辺野古基地反対派の候補だった。
 先週の4月17日には、昨年(2014年)12月10日の翁長雄志沖縄県知事の就任以来 かたくなに面会を断ってきた安倍晋三首相が初めて知事と面会した。首相は「率直に意見を交換したい」といいながら、辺野古移転をなぜ普天間基地の唯一の代替案と考えているかの根拠は一切説明せず、知事が賛成できない具体的理由を丁寧に述べてもそれに対して何ら反論もせず、「辺野古が唯一の解決策だ」と繰り返すばかりだった。
 日本政府は、沖縄が置かれている現状に目を向けることなく、民意に耳を傾けることもなく、日米官僚が1997年につくった辺野古移設案にしがみついているとしか思えない。
 安倍政権は、憲法違反の集団的自衛権行使の法制化を目指して与党間であいまいな抜け道のある合意をまとめ、国会の野党の意見を無視し、主権者である国民の存在を無視し、国際的既成事実づくりを狙って非民主的な行動を重ねている。沖縄の米軍基地についても、このような非民主的行動を重ねる事態が続けば、残念ながら日本の周辺国とも、米国自身とも、安定した友好関係を築き上げることはできない。

 現在の事態を憂慮しているのは沖縄県民だけではない。地方公共団体は、中央政府の意向を無批判に実施するための組織ではない。実際、政府の意に沿わないとして沖縄県の意見を無視し続けている政府の行動を危惧し、地方自治の尊重を求める意見書を、長野県白馬村議会(満場一致)、愛知県岩倉市議会(賛成多数)などが地方自治法に基づいて日本政府に提出している。私たちも民意に基づく知事の意見を政府が一切無視するのは民主主義の根本の否定だと考える。
 私たち世界平和アピール七人委員会も2011年10月25日と2014年1月17日のアピールで、歴史を踏まえ、将来を目指して、辺野古に米軍基地を建設してはならないと意見を述べてきた。

 沖縄防衛局が海上工事に關係して海底に投下した20〜45トンのコンクリートブロックは、沖縄県が権限に基づいて2014年8月に許可した岩礁破壊の範囲を大きく超えており、サンゴを破壊しているとして、翁長知事は2015年3月23日に、海底面変更作業を7日以内に停止するように指示した。これに対し林芳正農林水産相は30日、翁長知事の指示を無効とする「執行停止」の決定書を沖縄県と沖縄防衛局に送った。これも、自然環境破壊の有無と無関係に、問答無用とする強権的な決定であり、現内閣の体質を表している。
 現在、辺野古の新基地建設に向けた海上工事の強行に対して、沖縄県民は、名護市と国頭郡宜野座村にまたがる在日米軍海兵隊のキャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを続け、海上ではカヤックでボーリング反対を訴え続けている。私たちは、沖縄県民の抗議行動の徹底した非暴力主義に強い敬意を払うものである。一方、米軍、警察、海上保安庁が暴力的嫌がらせと排除を続け、けが人や逮捕者がでていることは、日本国憲法第21条に規定された基本的権利である表現の自由の侵害であることが明らかであり、強く抗議する。

 普天間基地について、19年前の1996年に、当時の橋本竜太郎首相とモンデール駐日米大使が5年から7年以内に全面返還をめざすことに合意したのは、現在の日本政府自身も認めている大きな危険性を抱えているためであった。今後事故は起きないだろうという根拠のない楽観論に頼ることなく、辺野古に代替え基地が作れるか否かを条件にすることなく、直ちに普天間基地の閉鎖を実施しなければならない。軍事基地の縮小・廃止は、国際緊張の緩和に必ず役に立つことを歴史が示している。

 琉球は、15世紀から19世紀まで独立国として存在し、琉米修好条約(1854年7月11日)、琉仏修好条約(1855年11月24日)、琉蘭修好条約(1859年7月6日)を締結していた。それを1609年には薩摩藩が琉球侵攻をおこない、1879年に明治政府が武力を背景にしたいわゆる琉球処分によって日本に編入したのだった。
 国土の僅か0.6%の沖縄に在日米軍基地の74%が存在する異常な差別を直視し、沖縄の基地増設は止めなければならない。そしてジュゴンと珊瑚とウミガメの住む美しい辺野古の海の自然の破壊を止めさせなければならない。

 世界平和アピール七人委員会は、日本政府が沖縄県民の「平和に生存する権利」を無視し強権的な手段をもちいていることに強く抗議し、あらためて沖縄県民への連帯を強めるよう本土の人々に訴える。

PDFアピール文→ 116j.pdf

アピール「辺野古問題を直視し、沖縄の人たちとの連帯を強めよう」を発表

2015年4月22日

世界平和アピール七人委員会は、2015年4月22日、「辺野古問題を直視し、沖縄の人たちとの連帯を強めよう」と題するアピールを発表しました。

アピール「辺野古問題を直視し、沖縄の人たちとの連帯を強めよう」

今月のことばNo.8

2015年4月17日

鬱陶しいではすまされない昨今

大石芳野

 毎日がやけに鬱陶しいのは天候のせいではない。アベノミックスで景気は上がっていると発表されるのだけれど、これは物価が徐々に値上がりしてきたせいでもある。日本は食料の自給率が4割弱だから当然かもしれない。それにも拘らず、安倍政権の支持率はいつも高い。国民は、いつかトリクルダウンで自分にも利益が回ってくるという期待感で待っているのだろうか。「貧乏人は口を空いて待っていればお金は落ちてくる」と政権に言われているようで、私は不快感を拭えないことも憂鬱になるひとつだ。
 現政権の支持率が高いとマスコミが発表する。「無作為に選出した電話調査」だというが、私が尋ねた中には「調査」された人は誰もいないし、現政権の支持者も極めて少ない。「無作為」は多分「トヨタや大成建設の社員名簿から」ではないのかと疑いたくなるほどだ。確かに2〜3割の富裕層は恩恵を授かっていることは間違いないだろう。けれど大半は「口を空いて待っている」側にいることも間違いない。
 その上、鬱陶しいではすまされない事態が続いている。沖縄の辺野古問題も大きい。まだある。それは「安保法制」が出来上がっていくことだ。去年末の「特定秘密保護」に始まって「集団的自衛権」も法制化し「武器輸出」「自衛隊の海外武力行使」と矢継ぎ早に進むから、国民はついて行けない。「エ? まさか・・・」と言っているうちに次々と実に短期間で「形」になっていく。いったん決まれば言うまでもなくそれらを護ることになり、安倍政権が終わっても次の政権は「形」を踏襲することになる。(法制化されたものの修正や取り消しはかなりの困難を要する。)
 国会におけるいかなる決定も「決定」に相違ないから、「政治のことは分らない」と言っているうちに取り返しがつかなくなり、後で「まさか」の事態になるということだ。国民が「形」を好しとする覚悟を持っているならば、少しは納得もするのだけれど、「無関心という敵」の手中に埋没した結果の現状だとしたらどうか。将来の悔やみはさぞかし大きく深いものになるだろう。そう考えるとまたしても落ち込んでしまう。
 そのころは、安倍首相たちも現役を離れた「老人」になっているから「責任」のかけらも負わされない存在になっているのだろう。けれど、赤ちゃんが生まれ、子どもが大人になっていくことは確かなことだ。先人が苦心して護ってきた平和憲法を、私たちが放棄するのか。もし放棄したら、次世代のその子たちは「戦争のできる国」の兵士として戦場に向かわなければならなくなる。それでも彼らは、歴史の中の「安倍政権」を肯定し続けるだろうか。現政権と同じ時代に生きている私たちは、百年先の子どもたちに対する責任も描ける想像力を持って今日の状況や事態を見詰めていかなければならないと思う。
 このように、毎日が鬱陶しいではすまされない緊迫感を覚える。けれど世の中はなぜか「平和ムード」だ。その一方で「流れに乗れ」、「長いものには巻かれろ」といった得体のしれない「圧力」が漂い、弱き民は内心はうろたえながらもいつの間にか従っている。とんでもない時代にならないように、私たちは目を見開き、耳を澄ましながら次世代のためにも「本当」を追究していきたい。