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今月のことばNo.16

2015年9月1日

政権はこの波の直視を

大石芳野

 小雨が降る国会議事堂周辺には大勢の人たちが集まっていた。8月30日、安全保障関連法案の成立に危機感を抱く市民が国会周辺を埋め尽くしたのだった。
 地下鉄の国会周辺の駅はどこも人であふれていた。まるで通勤時のような混雑だが、スーツ姿の窮屈さはなく、むしろ自由で自発的なそぞろ歩きのような感じだ。人びとの波に乗ってゆっくりと外へ出ると、大勢の人たちが歩道を埋めている。「安保法案反対」「9条壊すな」「憲法守れ」「戦争させない」「戦争放棄」「アベ政治を許さない」「戦争やめて」などといった審議中の法案成立に反対する意思を自作のプラカードで主張する。国民主権と不戦の理念が人びとの間に浸透してきた実態を目の当たりにした感じだ。
 若者にも、親子連れにも、白髪の人たちにも、どの人も神妙と言える表情が滲む。シュプレヒコールを叫ぶ声にも真剣さがある。「初めて来た」という初老の女性たちも、穏やかながら声をあげる。中には内気そうな老荘男女も少なくない。2人の子どもを連れた女性は「この子たちを戦争から守ろうと来ました」と話す。今ここで主張しなければ自分たちにも、子や孫にも70年間のこれまでのような「平和」はないといった強い思いが漲っていることがひしひしと伝わってきた。いのちの危機を感じた内発的な行動だ。かつてのデモや集会と違って組織的ではなく、「市民が自発的に集まっている」と一緒に参加した友人が言った通りだ。
 こうした実態を前にしても、現政権は「この法案は何としても今国会で成立させ、次に進む」(谷垣幹事長)と発言したが、何と実態への把握が乏しいことか。もし、数の力で強引に進めたら民意を無視した国会議員への国民の怒りは高まるに違いない。創価学会員も参加していて「私たちは公明党に批判的です」と声をあげながら「戦争法案反対! 公明党議員よ目を覚ませ」のプラカードを掲げた。与党議員のダンマリは許しがたい。次の選挙のための保身なのか、それとも・・・?
 民意は現政権に厳しいが、与党議員らは「扇動された人たちだ」などとタカをくくる。だが、すでに事態は切迫していることを現政権は身を引き締め、頭を冷静にして考えるべきではないだろうか。大事なのは「次に進む」ことではなく、次の選挙への準備でもない。今、この事態を直視し、強行したらどうなるかという想像力を持つ必要ではないだろうか。

今月のことばNo.15

2015年8月17日

日本国憲法第9条拡大のための次の一歩

小沼通二

 今年は、核兵器と戦争の廃絶が人類の存続のために不可欠だと呼びかけた1955年のラッセル・アインシュタイン宣言(RE宣言)から60周年にあたる。湯川秀樹も含むノーベル賞受賞者たち11人の科学者によるこの宣言は、第五福竜丸などが被災したビキニ水爆実験の実態を直視したB.ラッセルが中心となって訴えたものだった。これを受けて1957年に始まったパグウォッシュ会議は、1995年のノーベル平和賞の受賞を経て、今年の11月初めに長崎で第61回大会を開催する。
 核兵器廃絶は未だ実現していないが、1959年の南極条約での軍事措置禁止から始まって、1967年からは各地域に非核兵器地帯が次々に設定され、2000年にはモンゴル1国を核兵器のない状態に保つことを国内法と国連が確認し、核兵器国がこれらを尊重することを約束するに至った。南極ではかねてから領有権の宣言もあり、領有権主張範囲の重なりもあったのだが、条約有効期間中凍結し、新たな主張は禁止されることになった。
 戦争否定の約束は、RE宣言以前からあった。第1次世界大戦終結の2年後の1920年に発足した国際連盟(以下連盟と略)では「締約国は戦争に訴えない義務を受諾」して、紛争の平和的解決、そのための手続などを定めた。1928年には、日本も参加してパリ不戦条約が成立し、翌年に発効した。
 残念なことにこれらは、自衛権の拡大解釈によって戦争を防ぐことに成功せず、第2次世界大戦後に発足した国連も、安全保障理事会が、常任理事国自体の紛争参加や拒否権によって数多くの国際武力紛争を未然に防止できず、期待される機能を果たしていない。しかし国連の前文と第2条を見れば、原則は武力を用いないことである。国連憲章の第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」には、13条に亘って定めがある。集団的自衛権は、この章の最後に安全保障理事会が必要な措置を取るまでの期間の権利として、出て来るに過ぎない。
 こう見てくれば、日本国憲法が国の交戦権を認めないのは、国連憲章などの原則に完全に沿うものであり、70年間世界に敵を作らずに来たことは、他国にも広げていくべきものである。これを捨てて一部の国に協力して、敵を作り、軍備を拡充して、武力行使を積極的に行おうというのは、時代の逆行なのである。非核兵器地帯はすでに実現し、広がってきたのだから、武力行使を否定する非戦争地帯を設定し、これを国連が認め、これらの国では軍隊を警察に改編していくことを目指すことは夢でなく、向かうべき現実である。そのための努力は国家だけに任せるのでなく、対人地雷やクラスター弾の禁止条約の成立にNGOと一部の国のイニシアティブが決定的役割を果たした前例に従って、世界のNGOと手を携えて一歩一歩進めていくことを考えていきたい。

今月のことばNo.13

2015年7月1日

軍学共同への科学者の意識

池内 了

 最近、原書名が『第3帝国に仕えて』という本を翻訳することになった。ナチスドイツ時代における物理学者の政治や戦争への関わりを書いた本で、軍学共同反対の運動をやっている今の私にとって、いろいろと考えさせられることが多くあった。
 この本には、伝統主義者で法令重視の愛国者マックス・プランク、戦争を科学のために利用しようとしたウェルナー・ハイゼンベルグ、プラグマティストで融通無碍なピーター・デバイという3人のノーベル賞受賞者が登場する(プランクとハイゼンベルグはずっとドイツに留まり、デバイは1940年にアメリカへ移住した)。それぞれが異なった、しかしそれぞれの個性に合ったナチス体制への協力行動をとるのだが、3人に共通している要素があった。いずれもが「科学の発展のため」という理由づけをし、それ故にいずれもが自分の行動は「非政治的である」と自認しており、ナチスを助ける意図は更々なかったという意識を持っていることである。だから、戦後になって反省すべき言われはないとし、事実3人の誰も反省の弁を語っていない。そして、ドイツの科学者のほとんどは多かれ少なかれ3人の誰かと共通した考えを持っており、やはりナチス体制を支えたことや戦争協力について反省のないまま戦後を迎えることになったのである。そのためか、NATO軍への協力など今も軍学共同が続いている。
 これに対して日本では、明治維新以来、科学者が国家の富国強兵と戦争への協力を行なってきたことを反省して1950年には日本学術会議では戦争に協力をしない決議を出し、それを守ってきた。日本国憲法の平和主義の精神が科学研究の場にも生かされてきたのである。しかし、ここにきて雲行きが怪しくなっている。安倍政権の後押しを受けて防衛省が軍学共同に積極的に乗り出しており、大学や研究機関の研究者がそれに応じそうな雰囲気が非常に強いからだ。その理由として、軍学共同は「科学を発展させる」とし、自分は純粋に科学のことを考えていて政治的な意図は全くなく、ただ研究費を稼ぐためだけであるという返事が返ってくる。この態度はナチス時代の科学者と本質的に変わりなく、科学者という存在は時代を経ても変わらないのかと嘆息せざるを得ない。
 何のための、あるいは誰のための科学か、を考えて研究する科学者を育てるためにいかなる手立てがあるかをじっくり考えねばならないと思っている。

アピール「安保関連法案を廃案にし、安心・安全に生きる世界に向けて」を発表

2015年6月22日

世界平和アピール七人委員会は、2015年6月22日、「安保関連法案を廃案にし、安心・安全に生きる世界に向けて」と題するアピールを発表しました。

アピール「安保関連法案を廃案にし、安心・安全に生きる世界に向けて」

2015 117J 安保関連法案を廃案にし、安心・安全に生きる世界に向けて

2015年6月22日
アピール WP7 No. 117J
2015年6月22日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫

 私たちは、集団的自衛権の行使を認めた2014年7月1日の閣議決定を取り消し、無理な審議を強行している安保関連法案を廃案にし、軍事でなく外交を優先する政策に変換し、敵を作らずに平和に貢献する国づくりを目指すことを、日本政府と国会に求める。

 安倍政権は安保関連法案が必要な理由として「中国の軍事大国化」と「北朝鮮の核戦力」を挙げているが、これらは軍事超大国の米国が維持している巨大な在日米軍基地の存在と無関係ではない。安倍政権の動きは、一部の国と癒着し、敵を作り、相互に非難し合うことで緊張を高めるものであり、抑止力にならないどころか、軍拡競争を誘発するばかりである。これは日本の安全を脅かすだけでなく、世界の諸国民の平和に生存する権利を侵すものと言えよう。すでに自らの考える秩序を全世界に押しつけようとする米国の力の政策が限界に達していることは明白である。

 日本国憲法は、前文に「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と書き、戦争と武力行使を永久に放棄し、戦力を保持しないことを第9条で規定している。軍事力強化を目指す安倍政権の意図に反し、大多数の国民は憲法第9条改正を望んでいない。外交努力によって自らの安全を図り、世界の紛争に対しては、一方だけを支持することなく積極的に調停にあたるのが日本の目指すべき道である。人口激減、財政赤字の日本が進むべき道は、国際融和・協力による一人一人が安心・安全の社会であるべきだと信ずる。

 私たちは、60年前の、「平和共存」、「平等互恵」を訴えたバンドン会議(アジア・アフリカ会議)や、核兵器と戦争の廃絶を呼びかけたラッセル・アインシュタイン宣言を想起する。日本国憲法が目指す目標に向かって粘り強く一歩一歩進んでいく政策を選べば、“核の傘”による核兵器依存が不要になるばかりか沖縄を含めた日本全体の米軍基地も不要になり、北東アジアの緊張緩和に寄与し、諸国民が安心して安全に生存していく世界の実現に貢献できる。

 私たちは、日本の国民に、日本政府の政策を、国連憲章の平和原則と日本国憲法の初心と歴史の流れに従って、平和共存・相互理解・平等互恵及び一人一人の平和的生存権の保障される世界を目指して、根本的に変えさせていくよう訴える。

PDFアピール文→ 117j.pdf