作成者別アーカイブ: wp7

今月のことばNo.40

2018年4月4日

核帝国主義時代と決別する2020年に
―五輪開会式と国際集会の夢―

武者小路公秀

 オリンピックは平和の祭典だといわれます。2018年の平昌(ピョンチャン)オリンピックが韓国の努力によって北朝鮮と米国の対話のきっかけを作ったように、日本も、現在のように国際的な失笑を買うばかりの政策と決別して、2020年の東京オリンピックの年を、日本国憲法の「平和に生存する権利」とその具体化である第9条、特に第2項を再確認させる年にすべきです。憲法改正の国民投票の年にしてはいけません。かつての冷戦よりも世界各国のヒトビトと自然の安全が日常的に脅かされ続ける暗黒の時代になろうとしている危険な現状をくい止めるために、世界の人たちと手をつないで、20世紀以来の核帝国主義と決別する人類の意志を力強く示す機会にすべきです。そのような大イヴェントによって、オリンピック開会式を歴史的な式典にできたら、というのが私の「夢」です。
 トランプ大統領の「核態勢の見直し」とこれに対する河野外相の談話に対する七人委員会のアピールは次のように述べています。「この度の政策は、昨年成立した核兵器禁止条約に真っ向から挑戦するものであり、米国も加盟している核兵器不拡散条約の、核軍備競争の早期停止と核軍縮についての誠実な交渉の約束にも明らかに違反するものである。」
 トランプ政権は、明らかに「核兵器禁止条約」に挑戦して、その正反対の方向で、小型化した核の実戦利用に向かってのりだしているのです。トランプ大統領の見直しは、生物化学戦のほか、ハッカーを使う電子戦争、人工知能を駆使する金融戦争など多様な戦闘手段と組み合わせて、小型核をトランプ(切り札)にする多面複雑核紛争戦術をあみだしているのです。そうすることで20世紀の核帝国主義を越えた新しい冷戦の暗黒時代に入ろうとする世界の不安定化を、平和の祭典に集まる人たちと共に止める必要があります。

 それには、19世紀後半から20世紀にかけて、帝国主義つまり大国間の植民地主義侵略競争が、広島・長崎で核爆弾を投下するところまで、エスカレートしてきたことを振り返り、これにはっきり「ノー」という「核兵器禁止条約」によって代表されている人類の意志を確認する必要があるのです。日本は、植民地侵略をした過ちを米欧諸国に先立って認め、核兵器の非人道性に目覚めている国として、「核帝国主義」の罪悪の「罪滅ぼし」の先頭にたつべきです。2020年東京オリンピックの開会式か前夜祭において、「核の傘」が役に立たない時代がはじまっていることがイメージできるような20世紀核帝国主義歴史絵巻を東京オリンピックの「売り物」にすべきです。例えば、無差別爆撃の歴史を、スペイン市民戦争時のヒトラー空軍ゲルニカ空爆、日本軍の重慶爆撃、米英空軍のドレスデン爆撃、東京・大阪空襲から広島・長崎原爆投下にいたる非人道性をイメージできるスペクタクルを是非世界の若者にみてもらいたいものです。

 日本のオリンピック関係者は、残念ながら私の夢を現実にはしてくれない可能性が大きいでしょう。それならばもっと現実化できる「夢」もあります。富士山か伊勢あたりで、「20世紀核帝国主義時代を振り返り、これと決別する国際研究集会」を、ピースボートと九条の会で開催して頂けないでしょうか。20世紀の核帝国主義を、日本国憲法前文の「平和に生存する権利」の立場から批判して、九条の歴史的な意味を浮き彫りにするのです。すでに、1998年韓国光州で「アジア人権憲章」を公表したアジア人権会議、その生命権・平和権と人間の安全保障を継承した2011年にスペインで開催された「平和への権利」サンティャーゴ・デ・コンポステラ国際会議が、平和的生存権について議論しています。この両会議で議論された成果を生かして、反帝国主義・反核の充実した国際対話ができます。両会議の流れを汲んで「20世紀核帝国主義」の克服を宣言することは、日本国憲法の九条を護持するうえでも、時宜にかなっていると思います。また、この国際研究集会は、オリンピックで日本を訪れる世界のヒトビトに、「核兵器禁止条約」の重要性と、広島・長崎の被爆者を中心とする日本市民の平和主義を理解してもらうきっかけにできると思います。

2018 128J 米国の「核態勢の見直し」と河野外相談話の撤回を求める

2018年2月7日
アピール WP7 No.128J
2018年2月7日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫 島薗進

 米国のトランプ政権は、昨年から検討を進めてきた「核態勢の見直し(NPR)」を2月2日(日本時間3日)に公表した。その内容は2010年のオバマ政権の「核態勢の見直し」を否定し、歴史の流れを逆行させるものである。特に、小型核兵器を開発し、通常兵器など核兵器以外による攻撃に対しても核兵器使用がありうるとしたのは、世界の核軍拡を加速させ、相手の核攻撃も誘発させるものである。これでは他国の核兵器の放棄を実現させようとの政策と整合性がない。
 この度の政策は、昨年成立した核兵器禁止条約に真っ向から挑戦するものであり、米国も加盟している核兵器不拡散条約の、核軍備競争の早期停止と核軍縮についての誠実な交渉の約束にも明らかに違反するものである。
 核兵器による放射能被害は小型化しても全世界に及ぶものであって、核戦争により安定した平和をもたらすことはできない。どのような条件の下でも、すべての核兵器は使用も威嚇もしてはいけないのである。
 ところが河野太郎外相は、直ちに「高く評価する」との談話を発表した。これは、広島と長崎の被爆以来、被爆者を中心にして日本国民が一貫して追求してきた核兵器廃絶を目指す努力を否定するものである。さらに毎年8月に行われて来た広島と長崎における式典時やオバマ大統領の広島訪問時の、安倍晋三首相自身の発言とも明らかに矛盾する。
 私たち世界平和アピール七人委員会は、トランプ政権と安倍政権に抗議し、「核態勢見直し」と河野外相談話の撤回を求める。

PDFアピール文→ 128j3.pdf

今月のことばNo.39

2018年1月24日

日の丸・君が代の強制と思想・良心の自由

島薗 進

 東京都教育委員会は、2003年10月23日に説明会を開き、都立学校宛の「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」と題された「通達」と、これに関する「実施要領」を配布した。「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」では、「国旗と都旗を正面に掲揚する。国歌斉唱はピアノ伴奏で行う」、「教職員は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」、「児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する」などとこと細かに身体的統制を求めている。また、「10・23通達」では、「国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること」と「処分するぞ」との規律的警告まで書き込まれている。これに対して直ちに訴訟が起こされ、長期にわたって憲法19条をめぐる裁判が行なわれている。
 入学式卒業式等の儀式的行事における「日の丸・君が代」が集団的な規律の強化を伴って強制されるときは憲法19条の「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という規定に反する。これまでの多くの判決では、この点が理解されていない。この場合、憲法19条の規定は、憲法20条2の「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」と密接に関わり合うものである。このことを理解するには、戦前における国家神道や宗教的天皇崇敬、あるいは神権的国体論の強制について思い起こす必要がある。戦前の天皇崇敬においては宗教的でないとの建前がある場合でも、実際には宗教的な含みをもって機能していた。そのため「宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加すること」と同等の「強制」が生じやすかった。また、1930年代以降の全体主義化する時代には、全体主義的な天皇崇敬が国民生活をおおうようになった。「宗教的」であることによる強制とともに「全体主義的」であることによる強制が重なっていった。
 御真影への拝礼と教育勅語の拝聴を中心とする学校儀式は、宗教または宗教に類するある種の「思想や信念に基づく行為、祝典、儀式又は行事に参加すること」を「強制」する場であった。国家神道や天皇崇拝の「宗教性」と「全体主義」の双方が「思想及び良心の自由」と「信教の自由」を著しく制約した。これは無謀な戦争を続け、国内外の多くの人命を奪った宗教的天皇崇敬体制(国家神道体制)の基盤を形作ったものだ。
 戦後の入学式卒業式等の儀式的行事において日の丸・君が代が個々人の思想及び良心の自由を奪う、そこまでの力をもっていると受け取るかどうかは、場合によって、また人々によって異なる。そのことを踏まえて各学校での柔軟な運用が行われていた。ところが、東京都の10・23通達とこれに基づく校長の職務命令により、入学式卒業式等の儀式的行事は宗教や全体主義に類するある種の「思想や信念に基づく行為、祝典、儀式又は行事に参加すること」の強制として受け止められるものとなった。天皇崇敬と日の丸・君が代の歴史的な背景を理解している場合にそう感じるのは自然である。これは学習指導要領が、集団規律の強化の根拠として用いられることによって生じた事態である。
 このような教育現場への抑圧的な介入が行われたのは東京都だけではなく、大阪市に対しても類似の訴訟が生じている。日の丸・君が代が集団規律の強化を意図して抑圧的に用いられると、良心の痛みを感じる人が多数生じる。日の丸・君が代そのものに反対しているのではない多くの人々も、そこに平和を脅かす力による支配を感じ取る。学校儀式での日の丸・君が代の強制が問われているのは、学校における基本的人権の抑圧を進め、平和の基盤を掘り崩すものになりかねないからである。

今月のことばNo.38

2017年12月12日

チェルノブイリを訪ねて

大石芳野

 チェルノブイリを初めて訪れたのは1990年、4号炉の爆発事故から4年後だった。それから何度か訪れていたが、去年と今年は立て続けに訪ねた。事故から30年以上が過ぎたのだから土地も被曝者も改善されていると思っていたからだ。確かにそうした面もうかがえるが、医師や研究者に話を聴くと深刻な事態を30年間の歳月が解決してはいないようだった。
 ウクライナでは213万人以上が原発事故による被災者(被曝者)として登録された。そして事故当時の処理には旧ソ連全体から80万人以上の作業者が駆り出され、その大半が癌に罹患した。4号炉でその時働いていた労働者は60人だったが、30人が亡くなり、今も4号炉内に1人が眠っているという。
 高濃度の放射性物質は雨雲と風によって拡散し、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアそしてヨーロッパも瞬く間のうちに汚染され、生態系に多大な影響を与えた。中でも子どもたちが受けたダメージは大きい。特に甲状腺腫瘍の発症は89年~92年あたりから急増していったそうだから、私が訪れていた時期と重なる。研究者によって数字に多少の差はあるようだけれど、ウクライナではこれまでに12000人ほどが甲状腺腫瘍を発症しているという。そのうち約2割が癌だ。
 国立キエフ放射線医学研究センターの内分泌外科病棟を訪ねた。丁度、甲状腺腫瘍の摘出手術を受けている少女が手術台に横たわっていた。執刀医はやがて血に染まったゴム手袋の掌に摘出した大きな腫瘍を乗せて「今から検査に回す」と言った。この病棟では年間1000人以上の甲状腺の手術を行い、うち癌は6割ほどだという。
 部長のラーリン・オレクサンドル医師は「甲状腺は放射能に敏感でまず子どもが発症した。潜伏期間は約5年と予測されていたが30年のケースもあることが分かってきた。最近は大人の方が多い」と全国的な状況も踏まえながら説明した。
 病院はほぼ満床だ。病室にいた35歳と38歳の女性は、喉に白いガーゼを当てていかにも痛々しそうだ。「昨日、甲状腺癌の手術をした」という。二人とも現在はキエフに住んでいる。故郷は別々だけれどチェルノブイリ原発からそう遠くない村で生まれ育った。「村には重い癌患者も少なくない」と顔をしかめていた。
 ウクライナのある研究者は「大人の甲状腺癌が増えてきている。それなのに、居住制限が緩んだ。かつて、年間20ミリシーベルトは決して住んではならないレベルだったが、最近は可能になった。なぜか分かる? 日本のせいだ。福島は年間20ミリシーベルトだから。ウクライナはロシアと戦争中で経済的な苦境にあるから日本からの経済的な援助は有難い。そこに付随した“20ミリシーベルトは安全だ”・・・に、ウクライナは逆らえない現状がある」と話した後、「おお、政治的な話はまずい」と言って笑い、誤魔化された。一方で、研究者の中から「実際に安全だと言える」とか、「アメリカの原発労働者は年間被ばく量制限が50ミリシーベルトだから」などの声も聴いた。
 チェルノブイリから見えてくることは、「フクシマ」が置かれた現状だ。福島では甲状腺癌の疑いは193人、うち155人が摘出手術をした(17年10月23日現在)が、「悪性ないし悪性の疑い」という表現に収めている。原発の放射能やチェルノブイリとは無関係だというような発表だ。そこには被災者を苦しめたくない、不安に陥らせたくないとの配慮が働いているのかもしれないが、「隠蔽」に繋がりかねない。被災者は「本当のことを知る」ことによって、今後の対策や生き方を考えるのではないだろうか。後で、「もっと早くに知っていたら!」という嘆きを繰り返させてはならないのではないだろか。チェルノブイリを訪ねて改めてそう思わずにはいられない。