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今月のことばNo.39

2018年1月24日

日の丸・君が代の強制と思想・良心の自由

島薗 進

 東京都教育委員会は、2003年10月23日に説明会を開き、都立学校宛の「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」と題された「通達」と、これに関する「実施要領」を配布した。「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」では、「国旗と都旗を正面に掲揚する。国歌斉唱はピアノ伴奏で行う」、「教職員は国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」、「児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する」などとこと細かに身体的統制を求めている。また、「10・23通達」では、「国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること」と「処分するぞ」との規律的警告まで書き込まれている。これに対して直ちに訴訟が起こされ、長期にわたって憲法19条をめぐる裁判が行なわれている。
 入学式卒業式等の儀式的行事における「日の丸・君が代」が集団的な規律の強化を伴って強制されるときは憲法19条の「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という規定に反する。これまでの多くの判決では、この点が理解されていない。この場合、憲法19条の規定は、憲法20条2の「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」と密接に関わり合うものである。このことを理解するには、戦前における国家神道や宗教的天皇崇敬、あるいは神権的国体論の強制について思い起こす必要がある。戦前の天皇崇敬においては宗教的でないとの建前がある場合でも、実際には宗教的な含みをもって機能していた。そのため「宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加すること」と同等の「強制」が生じやすかった。また、1930年代以降の全体主義化する時代には、全体主義的な天皇崇敬が国民生活をおおうようになった。「宗教的」であることによる強制とともに「全体主義的」であることによる強制が重なっていった。
 御真影への拝礼と教育勅語の拝聴を中心とする学校儀式は、宗教または宗教に類するある種の「思想や信念に基づく行為、祝典、儀式又は行事に参加すること」を「強制」する場であった。国家神道や天皇崇拝の「宗教性」と「全体主義」の双方が「思想及び良心の自由」と「信教の自由」を著しく制約した。これは無謀な戦争を続け、国内外の多くの人命を奪った宗教的天皇崇敬体制(国家神道体制)の基盤を形作ったものだ。
 戦後の入学式卒業式等の儀式的行事において日の丸・君が代が個々人の思想及び良心の自由を奪う、そこまでの力をもっていると受け取るかどうかは、場合によって、また人々によって異なる。そのことを踏まえて各学校での柔軟な運用が行われていた。ところが、東京都の10・23通達とこれに基づく校長の職務命令により、入学式卒業式等の儀式的行事は宗教や全体主義に類するある種の「思想や信念に基づく行為、祝典、儀式又は行事に参加すること」の強制として受け止められるものとなった。天皇崇敬と日の丸・君が代の歴史的な背景を理解している場合にそう感じるのは自然である。これは学習指導要領が、集団規律の強化の根拠として用いられることによって生じた事態である。
 このような教育現場への抑圧的な介入が行われたのは東京都だけではなく、大阪市に対しても類似の訴訟が生じている。日の丸・君が代が集団規律の強化を意図して抑圧的に用いられると、良心の痛みを感じる人が多数生じる。日の丸・君が代そのものに反対しているのではない多くの人々も、そこに平和を脅かす力による支配を感じ取る。学校儀式での日の丸・君が代の強制が問われているのは、学校における基本的人権の抑圧を進め、平和の基盤を掘り崩すものになりかねないからである。

今月のことばNo.38

2017年12月12日

チェルノブイリを訪ねて

大石芳野

 チェルノブイリを初めて訪れたのは1990年、4号炉の爆発事故から4年後だった。それから何度か訪れていたが、去年と今年は立て続けに訪ねた。事故から30年以上が過ぎたのだから土地も被曝者も改善されていると思っていたからだ。確かにそうした面もうかがえるが、医師や研究者に話を聴くと深刻な事態を30年間の歳月が解決してはいないようだった。
 ウクライナでは213万人以上が原発事故による被災者(被曝者)として登録された。そして事故当時の処理には旧ソ連全体から80万人以上の作業者が駆り出され、その大半が癌に罹患した。4号炉でその時働いていた労働者は60人だったが、30人が亡くなり、今も4号炉内に1人が眠っているという。
 高濃度の放射性物質は雨雲と風によって拡散し、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアそしてヨーロッパも瞬く間のうちに汚染され、生態系に多大な影響を与えた。中でも子どもたちが受けたダメージは大きい。特に甲状腺腫瘍の発症は89年~92年あたりから急増していったそうだから、私が訪れていた時期と重なる。研究者によって数字に多少の差はあるようだけれど、ウクライナではこれまでに12000人ほどが甲状腺腫瘍を発症しているという。そのうち約2割が癌だ。
 国立キエフ放射線医学研究センターの内分泌外科病棟を訪ねた。丁度、甲状腺腫瘍の摘出手術を受けている少女が手術台に横たわっていた。執刀医はやがて血に染まったゴム手袋の掌に摘出した大きな腫瘍を乗せて「今から検査に回す」と言った。この病棟では年間1000人以上の甲状腺の手術を行い、うち癌は6割ほどだという。
 部長のラーリン・オレクサンドル医師は「甲状腺は放射能に敏感でまず子どもが発症した。潜伏期間は約5年と予測されていたが30年のケースもあることが分かってきた。最近は大人の方が多い」と全国的な状況も踏まえながら説明した。
 病院はほぼ満床だ。病室にいた35歳と38歳の女性は、喉に白いガーゼを当てていかにも痛々しそうだ。「昨日、甲状腺癌の手術をした」という。二人とも現在はキエフに住んでいる。故郷は別々だけれどチェルノブイリ原発からそう遠くない村で生まれ育った。「村には重い癌患者も少なくない」と顔をしかめていた。
 ウクライナのある研究者は「大人の甲状腺癌が増えてきている。それなのに、居住制限が緩んだ。かつて、年間20ミリシーベルトは決して住んではならないレベルだったが、最近は可能になった。なぜか分かる? 日本のせいだ。福島は年間20ミリシーベルトだから。ウクライナはロシアと戦争中で経済的な苦境にあるから日本からの経済的な援助は有難い。そこに付随した“20ミリシーベルトは安全だ”・・・に、ウクライナは逆らえない現状がある」と話した後、「おお、政治的な話はまずい」と言って笑い、誤魔化された。一方で、研究者の中から「実際に安全だと言える」とか、「アメリカの原発労働者は年間被ばく量制限が50ミリシーベルトだから」などの声も聴いた。
 チェルノブイリから見えてくることは、「フクシマ」が置かれた現状だ。福島では甲状腺癌の疑いは193人、うち155人が摘出手術をした(17年10月23日現在)が、「悪性ないし悪性の疑い」という表現に収めている。原発の放射能やチェルノブイリとは無関係だというような発表だ。そこには被災者を苦しめたくない、不安に陥らせたくないとの配慮が働いているのかもしれないが、「隠蔽」に繋がりかねない。被災者は「本当のことを知る」ことによって、今後の対策や生き方を考えるのではないだろうか。後で、「もっと早くに知っていたら!」という嘆きを繰り返させてはならないのではないだろか。チェルノブイリを訪ねて改めてそう思わずにはいられない。

今月のことばNo.37

2017年10月18日

朝鮮戦争の休戦協定を忘れて、第二次朝鮮戦争を準備してはならない

武者小路公秀

 米国と朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮)との間では、いわゆる「弱者の恐喝」関係が成り立っている。つまり米国は、朝鮮を核攻撃すると、日韓など周辺国を巻き込むので、核は使いづらい。しかし、朝鮮は米国本土を攻撃できる能力を持てば、その能力を振り回すことができる。朝鮮は小さいゆえに、世界の強大国・米国の核戦略の手を縛っている。トランプにはこれが我慢ならない…。
 いま日本では、朝鮮に対する国連安保理の制裁決議を強化する言説ばかりが横行しているが、本当にこれでいいのだろうか。日本列島を沈没させる核の傘を前提にする安保関連法を支持し、憲法改悪の危険な政策を現実主義的だとする考え方は、本当に正しいのか。 私はここで重要なのは、日本を犠牲にすることも辞さないトランプの戦争に日本市民が引きずり込まれないようにすることだと思う。それが「犬の遠吠え」であるかどうかは別として、トランプの「遠吠え」に、日本が同調するのはもっとも危険な行為である。
 かつて朝鮮戦争は、朝鮮の金日成主席によって開始された。しかし、ソ連が中国問題で国連をボイコットしたおかげで、安保理は国連軍の派遣を決め、国連軍は米国の指揮官マッカーサーの下で組織された。当初苦戦した国連軍も優位に立ち中朝国境近くまで押し戻すと、マッカーサーは、核攻撃で一気に戦争を終らせようとした。しかし、トルーマン大統領は、核戦争が人類の滅亡を招くことを正しく恐れて、彼を解任。中国の参戦による膠着状況の中で、休戦協定が結ばれた。スイス、スエーデン、チェコスロヴァキア、ポーランドによる休戦監視委員会ができ、現在も停戦ラインと非武装地帯による休戦状態が続き、スイスとスウェーデンが監視を続けている。
 一方、国連では、米国の核戦略を国際条約にしたてあげた。つまり、米ソ両核超大国の核均衡を安定させるため、核保有国間の核兵器保持は認め、しかし非保有国が核保有国になることは認めない「核拡散防止条約」による不平等な核兵器の管理体制を作り上げた。
 ところが現状は、イスラエルのほか、インド、パキスタンが核実験に成功、朝鮮もこれに続いたことで、この核不拡散体制は崩れ始めた。逆に、この不平等条約に代わって、核兵器全面禁止条約が生まれ、核廃絶への動きが始まっている。
 しかし、今回の安保理制裁は、核拡散防止条約から脱退した朝鮮に、条約が定義する「核非保有国」としての義務を要求するもので、考えてみればおかしなことである。
 つまりこれは、朝鮮戦争休戦中の一方の当事者である国連が、その相手である朝鮮に対して行っている外交攻勢であるとの解釈が十分可能であり、休戦協定の当事者である国連は、責任を持って休戦を維持し、平和条約に進む道筋を探るべきなのである。
 まして「斬首作戦」など、正に休戦協定違反であり、これを含む米韓軍事演習も、国際法的には非合法な「軍事活動」である。朝鮮の核と飛翔体の実験も、朝鮮側は「実戦には使えない実験で軍事演習とは違う」というが、それでも休戦協定下で、合法とは言えない。
 このように、朝鮮戦争の歴史から見れば、米国との直接交渉を求めている朝鮮側の要求は、休戦中にある朝米間の講和への動きであり、正当な要求である。朝鮮は、かつて米ソ間で行われたように、相互が確実に相手を破壊できる状態の下での交渉を求めているが、「アメリカ・ファースト」の強大国・米国のトランプには、ソ連となら対等の交渉をしたいけれども、朝鮮との対等な交渉など我慢ならない。それが、いまの危機の実態だ。
 第2次朝鮮戦争が起きれば、日本は確実に被害を受ける。ここは、戦争を避けるため、米国を諫め、これ以上、緊張が高まることがないよう、努力すべきである。

2017 127J 国民不在の政権奪取ゲームに躍らされてはならない

2017年10月8日
アピール WP7 No.127J
2017年10月7日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晉一郎 髙村薫 島薗進

 安倍晋三首相の臨時国会冒頭解散から10月22日の衆議院選挙に向けて、日本の国のかたちの根幹が、日に日に戦後最大の激動を続けている。
 安倍首相は、南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽などに見られる情報操作によって国民の判断を誤らせたこと、森友学園・加計学園に見られる政治の私物化・不公平化と、国民とその代表機関である国会への説明を拒否したことによって人間性が欠如した政治家であることを露呈した。
 私たち世界平和アピール七人委員会は、日本国憲法の下で積み上げてきた国のかたちを、特定秘密保護法、安全保障関連法、「共謀罪」法によって根本から否定する立法の、相次ぐ世論無視の下での強行を、既成事実として認めることはできない。
 自衛隊が集団的自衛権を含めて米軍の傘下で一体化した活動を行っている現状が、日本国憲法の前文と第九条の一、二項と矛盾しているからといって、直ちに現行憲法に自衛隊を明記し、国民投票を目指そうとする動きは、日本人が70年間大切に積み上げてきた民主主義への思いとまったく相容れない。いまここで現行憲法に手を加えなければならない必要はどこにもない以上、改憲は無用であり、無用なものを押し通す勢力に対しては、あらゆる力を結集して阻止していかなければならない。
 与党勢力に立ち向かうはずの野党が、集団的自衛権行使の容認、安全保障関連法容認、憲法改定賛同の動きを顕在化させた与党の補完勢力と、これを否定する護憲勢力に分かれているのが実情である。従って、この状況は、3つの勢力からの選択の選挙ではなく、民主主義を大切と思い歴史の流れを進める勢力と逆行させる勢力の2者からの選択と考えなければならない。
 私たちは、一人一人の基本的人権が尊重され、武力行使に訴えることがなく、立法・司法機関が行政機関とのバランスを回復する日本を目指したい。また、互いの生き方や歴史的背景を認め合って一歩一歩進む世界にしていくことに努めたい。

PDFアピール文→ 127j.pdf

今月のことばNo.36

2017年9月8日

平和を目指す宗教団体の国際連携について

島薗 進

 「比叡山宗教サミット」という集いについて耳にしたことがありますか。1987年以来、毎年「世界宗教者平和の祈りの集い」が開かれ、10年に一度は平和に向けたメッセージを発しています。「比叡山」が主たる祈りの場であり天台宗が大きな役割を果たしていますが、主催者は「日本宗教代表者会議」というもので、その主体は日本宗教連盟に加盟する5つの協賛団体、すなわち、教派神道連合会、全日本仏教会、日本キリスト教連合会、神社本庁、新日本宗教団体連合会です。
 30周年を記念する集いが2017年8月3、4日に開かれました。今回のテーマは「今こそ平和のために協調を――分裂と憎悪を乗り越えて」というものです。キリスト教、イスラーム、ユダヤ教、神道、仏教、ヒンドゥー教など20カ国から約2000人の宗教者が参加し、講演やシンポジウムや分科会も行われ、4回目の「比叡山メッセージ2017」が採択されました。現在、天台宗のホームページで日本語版と英語版を見ることができます。http://www.tendai.or.jp/summit/index.html
 その内容を見ると、まず宗教の名によるテロに強く反対しています。「いかなる理由があろうとも、尊いいのちを軽んずる暴力を認めることはできない」とあります。しかし、同時にテロの背後にあるものにも注意を促しています。世界の多くの地域で戦闘や空爆が続き、多くの住民が犠牲になり、また難民生活を余儀なくされていることにふれ、「地球社会には、テロや国家暴力を抑えきれないことへの絶望も広がっている」と述べています。
 「メッセージ」はまた核兵器の廃絶を強く訴え、「我々は核廃棄物を残す核エネルギーの利用に未来がないことを強く訴える」と脱原発をも求めています。なお、分科会「核廃絶と原子力問題を考える」では、本年7月7日に国連で採択された核兵器禁止条約の意義が大きいことが強調され、日本が早期に加わることを求める意見が打ち出されていました。
 「メッセージ」は「いのちの尊さが脅かされている背景には、現代の政治・経済体制の問題があることを認識しなければならない」として、戦闘が行われていない社会の暴力性にも注意を促し、国際的・国内的な格差問題にも重きを置いています。さらに、「平和を考えるとき一番重要なのは、他者の存在を受け容れ、弱者に対する配慮を欠かさないことである」とも述べています。
 比叡山での祈りや集い、そして「比叡山メッセージ2017」の、上にのべてきたような内容が、実効性ある行動と十分にむすびついていないという批判は残念ながら否定できないものでしょう。しかし、カタツムリのような歩みに見えるかもしれませんが前進はあります。世界の平和のために世界の諸宗教が協力するという潮流は広がりと深みを増しつつあります。国際社会ではカトリック教会が平和のための宗教協力を強く打ち出し、イスラームやユダヤ教からも違いを超えて平和のために働くことを求める声はあります。宗教勢力の平和への方向づけが暴力や暴力的抑圧に抗う実効的な力となるよう、見守っていきたいものです。