1967 47J 原爆被災者の人口調査に関する要望書

1967年12月27日

 広島・長崎に原爆が投下されたとき、何人の被爆者がいたかについては、一瞬にしてすべての行政機関が破壊されたという事情もあって、全く調査がなされて居りません。また、被爆直後に公務や救援のため入市し、第二次放射能による災害をうけたものや、胎内で被災したものの数も、全然不明のまま、今日に到っております。

 生存者・死没者をふくめて、原爆被災者の総人口が何人であったかということは、原爆症についての科学的研究を行う際の分母であり、被災の全貌をつかむための基礎数字となるため、すべての関係者から正確な調査が要望されています。

 しかし、この数字を明らかにするためには、来たる昭和四十五年の国勢調査の付帯調査として実施する以外には不可能であります。しかも被災後、二十五年目にあたるこの時期を失するならば、被災者は老齢化し、また死亡者も多くなって、正確な調査を行うことはできません。広島の例でいえば第二総軍・船舶輸送司令部(暁部隊)・中国総監府および中央官庁の出先機関や大会社の出張所が集中していたため、被災者は全国に散在しており、被災者の側にその事実をかくすという傾向も出ているので、国勢調査以外の方法で、実数をつかむことはできないと考えられます。

 以上の理由から来たる昭和四十五年の国勢調査においては、法律の一部改正により、原爆被災総人口の調査を、国勢調査付帯調査として実施するよう、重ねて要望いたします。

1967年12月27日

中国新聞社常務取締役

広島大学教授

日本YWCA名誉会長 世界平和アピール七人委員

法政大学教授 世界平和アピール七人委員会事務局長

東大総長

中国新聞社論説委員

作家 世界平和アピール七人委員

評論家

前東京大学総長 世界平和アピール七人委員

広島原爆病院長

広島女学院大学教授

前日本女子大学長 世界平和アピール七人委員

朝日新聞社社友

前広島市長

全日本婦人団体連合会名誉会長 世界平和アピール七人委員

京都大学教授 世界平和アピール七人委員

広島市長

糸川 成 辰

今堀 誠 二

植村   環

内村 尚 三

大河 内一夫

金井 利 博

川端 康 成

小幡   操

茅誠   司

重藤 文 夫

庄野 直 美

上代 た の

田中 慎次郎

浜井 信 三

平塚 らいてう

湯川 秀 樹

山田 節 男 

内閣総理大臣 佐藤栄作殿