原子爆弾の出現以来、四半世紀に近い歳月が経過したが、その間に核兵器保有国は五つになり、その中でも特に米ソ両国の核兵器体系は多様化と巨大化の一途をたどってきた。最近「核の傘におおわれた世界」という表現がしばしば使われるようになったが、そこには、今後の人類は核の傘の下で暮らさねばならぬという宿命論的なあきらめさえ感じられる。そう思いこむのは人類の平和への努力の意義と有効性を否定するものである。核の傘という言葉自体がおかしい。傘は雨を防ぐためのものであるが、核の傘といわれるものは、それとは全く反対に人類の頭の上に火の雨を降らす源となるものである。それどころか核の傘自身がどんどん巨大化しつつある怪物で、このまま成長してゆけば結局人類を呑みつくしてしまうであろう。しかし、それは自然現象ではない。人間がそれをつくり出し、それを成長させてきたのである。従って、それは人間の力によって、消滅させることができるはずのものである。
あるいはまた「核アレルギー」という言葉も最近よく使われるが、元来アレルギーとは特に危険でもない物質に対して、異常に敏感な特異体質に関係していわれることである。ところが核兵器は危険きわまりないものである。これを危険だと思うのが正常な人間であって、危険に対して不感症になってしまう方が異常なのである。
日本人もふくめて世界的に核の傘に対する宿命論者、核兵器不感症患者が増加してゆくならば、人類の前途は暗黒である。現在までの日本人の大多数は原爆の経験と平和憲法をよりどころとして、人類の存続と世界の平和のために貢献しようとしてきた。私たち日本人は核兵器を廃絶してしまわぬ限り各国民の安全と繁栄は訪れないという自明の真理を再確認し、日本が世界を核時代の次に来たるべき、よりよき時代へ導くリーダーとしての役割を果たすために、今後も一層努力したいものである。
1967年12月29日
世界平和アピール七人委員会