今月のことばNo.18

2015年11月7日

国家が個人を管理する?

池内 了

 今、街中のあらゆる場所で、「防犯カメラ」という名の「監視カメラ」が設置されている。コンビニやスーパーなどでは万引きを防ぐために店内を一望できるカメラを備え、いかにも防犯の用を果たしていると言いたげだが、果たしてどれだけ万引きが減ったのだろうか。
 犯罪防止の手を打っても、必ずその裏をかく人間がいるもので、カメラの盲点の位置を探し出して盗みを敢行しており、結局イタチごっこではないかと推測している。商店街や通路・交差点に設置されているカメラは不特定多数の人間を脈絡もなく撮影しており、それが役に立つのは、犯罪が起こった場合に警察の捜査情報となるときだから、まさしく「監視」としての機能である。
 実際に「防犯」のための抑止力になっているかどうかは定かではなく、カメラの効用で警察が犯人を上げやすくなったため犯罪が減ったことが証明されない限り、「防犯カメラ」と呼ぶべきではなく、あくまで「監視カメラ」と呼ぶ必要があると思う。後述するように、デジタル技術の発達によってこのカメラが個人を直接監視し管理する手段に転化する可能性があるからだ。
 10月から「マイナンバー制度」が動き始めることになった。いわゆる「国民総背番号制度」なのだが、既に実施されている「住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)」が地方自治体に丸投げされたこともあって、400億円もかけたのに5%くらいの国民しか利用せず失敗に終わった。その反省もあってか、マイナンバー制度では国が本腰を入れて2000億円もかけ、国民一人一人に12桁の番号を振り、住基ネットで利用できた住民票や印鑑登録証の発行だけでなく、税金や社会保障や災害対策に関して個人識別を行なって「公平を図る」ことを最初に掲げている。
 そして、これが定着すれば、さらにさまざまな行政サービスに広げ、預貯金などの個人情報のみならず病歴・学歴・職歴などまで把握することへ拡大する危険性がある。個人を丸裸にして国家が管理しようというわけだ。マイナンバーが個人監視のカメラ役を果たすのである。
 それだけでも恐ろしい事態なのだが、デジタル技術の発達によってさらに恐ろしい状況を連想してしまう。個人のマイナンバーをICチップとして体内に埋め込むことを強要し(それをしないと電車にも乗れず買い物もできず社会生活が営めないので拒否できないようにするのだ)、監視カメラにICスキャナーを搭載して個人の居所をチェックできるようにすれば、常時各人を監視するシステムが完成するということだ。そうなれば、誰であろうと、どこに居ようと、各人の居所挙動が当局によって完全に把握できるようになる。
 むろん、そう簡単に全体主義的監視社会が実現してしまうとは思えないが、さまざまなデジタル機器の導入によって、私たちは着実にプライバシーが剥ぎ取られつつあるのは事実である。
 ジョージ・オーウェルの『1984年』は悪夢ではないと誰が言えようか。