今月のことばNo.19

2015年11月24日

パリ同時テロと日本の立ち位置

髙村 薫

 この夏、内戦の続くシリアからの難民がヨーロッパに押し寄せる光景に、十字軍の時代からヨーロッパ諸国が武力によってイスラム世界に介入し続けてきた歴史の逆流を見る思いがしたのも束の間、IS(イスラム国)による11月のパリ同時テロのニュースは、逆流どころかまったく新しい世界の出現を予感させるものとなった。
 第二次世界大戦以降、アジアや中東や中南米、さらにはアフリカの各地で続いた内戦や戦争に大量の武器を供給し続けた欧米の大国たちが、世界じゅうに溢れかえる武器によって自国民の生命を脅かされている事態は、日本人の眼から見ればまさにしっぺ返しというものだが、フランスはこれを戦争と定めて直ちに空爆を強化し、欧米各国ももろ手を挙げて支援を表明する。有史以来、戦争をくりかえして成り立ってきたヨーロッパの、これが正統な正義のありようなのだろう。
 もっとも、イスラム過激派による無差別テロの脅威がアジアを含めた世界じゅうにも拡散している点で、世界はまったく新しい歴史を刻み始めているのだが、東アジアの一隅で私たち日本人が直面するのは、いまひとつヨーロッパ的な正義の論理が理解できない困惑と、かといって必ずしも日本独自の論理で中東各国と相対してきたわけでもない中途半端さと、イスラム世界で搾取や殺戮をしたわけでもない日本がテロの標的になることの不条理である。
 もちろん、ISにしてみれば自らの勢力を誇示するためには手段を選ばないだけのことであり、「ISと戦う各国」への支援を世界に表明した日本の首相の不用意な軽口は、その恰好の口実を彼らに与えたのだが、私たち国民はそんな勇ましい心の準備をした覚えもない。いまとなっては、平和ボケはいくぶん事実ではあるが、その改善方法については、日本人なりの論理と方法を模索するのが先であって、アメリカの外交戦略に追随するだけが能ではない。それよりも、シリアの内戦については、さまざまな利害関係をもつゆえに事態を解決できない欧米各国に代わって、日本は仲介の労を取ることができるはずだ。アサド政権の退陣を促し、政権と反体制勢力の両者の利害を調整してとにかく内戦を終わらせ、経済と国民生活の立て直しを促すことができるはずだ。
 過激思想にもとづいたテロ集団が生まれる背景を考えるとき、世界が利害の対立を越えて内戦終結のために結束したという事実は、若者たちの過激思想の芽をつむ一つの契機になるだろう。また何より、内戦を終わらせなければどんな民生支援も活きることはない。日常が戻り、国民生活が再生されたところで初めて、さまざまな民生支援が活き、産業の振興を考えることも可能になる。テロに走る若者を救い、世界をテロの脅威から救うのは、空爆ではなく、若者たちの働く場なのである。
 私たちが大事に守るべきは、こんな当たり前の原則論に立つことができる心の余裕であり、それは衣食足りた暮らしのなかでしか生まれない。いまのところこの国がそうであることに感謝しつつ、ならば原則論を押し通すべし、と思う。