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2017 124J テロ等準備罪に反対する

2017年4月24日
アピール WP7 No.124J
2017年4月24日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫

今年、私たちは日本国憲法施行から70年を迎える。その憲法19条が保障している国民の精神的自由権を大きく損なう「共謀罪」新設法案が、国会で審議入りした。犯罪の実行行為ではなく、犯罪を合意したこと自体を処罰する共謀罪は、既遂処罰を大原則とする日本の法体系を根本から変えるものであり、2003年に国会に初めて上程されて以降、たびたびの修正と継続審議を経て3度廃案となった。それがこのたび、「テロ等準備罪」と名称を変えて4度目の上程となったものである。
2000年に国連で採択され、2003年に発効した「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国際組織犯罪防止条約)」を批准するに当たって、同条約の第5条に定められた「組織的犯罪集団の二人以上が犯罪行為への参加を合意したことを犯罪とするための立法措置」を満たす共謀罪の新設が必要、というのが政府の説明である。
安倍首相は、共謀罪を新設させなければ、テロ対策で各国が連携する国際組織犯罪防止条約を批准できず、2020年東京オリンピック・パラリンピックが開催できないと発言してきたが、これは大きな事実誤認、もしくは嘘である。
第1に、国際組織犯罪防止条約は、第34条で各国に国内法の基本原則に則った措置をとることを求めており、共謀罪の新設が強制されているわけではない。また過去には、日本は必要な立法措置をとらずに人種差別撤廃条約を批准していることを見ても、共謀罪を新設させなければ批准出来ないというのは、事実ではない。
第2に、国際組織犯罪防止条約の批准に新たな立法措置は不要となれば、同条約の批准をテロ等準備罪新設の根拠とすることは出来ない。
第3に、同条約も、テロ等準備罪も、どちらも本来はテロ対策を目的としたものではない。現に、テロ等準備罪がなければ対処できないようなテロの差し迫った危険性の存在を、政府は証明していない。同様に、すでに未遂罪や予備罪もある現行法で対処できない事例についての明示もない。
第4に、今回、世論の反発を受けて条文に「テロ」の文言が急遽追加されたが、277の対象犯罪の6割がテロとは関係なく、法案の提出理由にも「テロ」の文言はない。
以上のことから、テロ等準備罪が新設できなければオリンピックが開催できない等々は明らかな嘘であるが、このように国民を欺いてまで政府が成立を急ぐテロ等準備罪の真の狙いについて、私たちは大きな危機感を抱かざるをえない。
第1に、テロ対策と言いつつ対象犯罪をテロに限定しないのは、「4年以上の懲役・禁固の刑を定める重大犯罪」に幅広く網をかけるためであろう。
第2に、組織的犯罪集団ではない一般の市民団体であっても、犯罪団体へと性格が一変したときには捜査対象になるとされる以上、いつ性格が一変したかを判断するために、市民団体なども捜査当局の日常的な監視を受けるということである。
第3に、同罪の成立には何らかの準備行為が必要とされているが、何をもって準備行為とするかの詳細な規定はなく、さらに政府答弁では、その行為は犯罪の実行に直結する危険性の有無とも関係ないとされる。とすれば、捜査当局の判断一つで何でも準備行為になるということであり、構成要件としての意味をなさない。
第4に、政府答弁では、捜査当局が犯罪の嫌疑ありと判断すれば、準備行為が行われる前であっても任意捜査はできる、とされている。
これらが意味するのは、すべての国民に対する捜査当局の広範かつ日常的な監視の合法化であり、客観的な証拠に基づかない捜査の着手の合法化である。犯罪の行為ではなく、犯罪の合意や計画そのものが処罰対象である以上、合意があったと捜査当局が判断すれば、私たちはそのまま任意同行を求められるのである。
テロリストも犯罪集団も一般市民の顔をしている以上、犯罪の共謀を発見するためには、そもそも私たち一般市民のすべてを監視対象としなければ意味がない。そのために、盗聴やGPS捜査の適用範囲が際限なく拡大されるのも必至である。
政府の真の目的がテロ対策ではなく、国民生活のすみずみまで国家権力による監視網を広げることにあるのは明らかである。一般市民を例外なく監視し、憲法が保障している国民の内心の自由を決定的に侵害するテロ等準備罪の新設に、私たちは断固反対する。

PDFアピール文→ 124j.pdf

今月のことばNo.33

2017年3月15日

「事実」の危機

髙村 薫

 私たち日本人は戦後の長きにわたって、事実と嘘の区別を自明のこととしてのどかに生きてきた。ときに政治信条の偏りはあっても、新聞やテレビはおおむね事実を報道し、仮に事実でなかった場合にはそのつど追及や謝罪、訂正が行われてきた。おかげで社会に関心のある人も無い人も、新聞を読む人も読まない人も、その気になればひとまず事実を知るすべはあるという仕合わせな幻想の上に安住してきたのだが、アメリカでは大きく事情が異なる。
 自身の政権を批判する報道をすべて「偽ニュース」として一蹴するトランプ大統領の不見識もさることながら、既存のメディア全般に対するアメリカ国民の不信感の広がりはすさまじい。2014年のギャロップ社の世論調査では、新聞・テレビ・ラジオなどのメディアについて、「とても信頼している」「それなりに信頼している」と回答したアメリカ人は40%に留まっている。支持政党別では共和党支持者が27%、民主党支持者が54%である。既存のメディアを信頼していない60%の人びとは、SNSなどで自分に必要な情報を、必要なときに入手しているという。
 このアメリカのメディア不信は、二つのことを教えている。一つは、アメリカ人はある事柄について、それが事実であるか否かに必ずしもこだわらなくなっていること。またもう一つは、とくに政治面でのアメリカ人一般の関心事が、既存のメディアのそれとずれていること、である。たとえば、メディアから納税記録の開示を求められたトランプ大統領が、そんなものに興味があるのはメディアだけだ、国民は関心がないと一蹴したのは、そのことをよく表している。しかも、そこには一片の真実が含まれている。新聞やテレビは長年、その特権的立場にものを言わせてさまざまな「事実」を伝えてきたが、それらは社会的エリートたちの基準で選別された「事実」であって、下層の労働者たちが必要とする「事実」ではなかったということである。
 かくして大衆が関心を払わなくなった「事実」は価値を失い、代わりに「もう一つの事実(オルタナティヴ・ファクト)」が公然と語られる社会が出現しているのだが、ここで注目すべきは既存のマスメディアの予想以上の劣勢である。何であれ「事実」を知りたいと思う大衆が消えた社会に、マスメディアの居場所はない。またそれ以上にこのネット社会では、マスメディアが伝える「事実」も、巷に溢れる有象無象の情報も、「偽ニュース」もオルタナティヴ・ファクトも、すべてが並列になる。そして、そのなかでより派手で目立つ主張がしばし時代を席巻する一方、良識や公共の精神を自負してきたエリートやマスメディアはますます後退を余儀なくされてゆき、市民がときどきに正確な情報を入手できる可能性はどんどん小さくなってゆくだろう。
 しかしながら、私たちの国もマスメディアをめぐる近年の状況は基本的にアメリカと同じである。しかもこの国には、アメリカでは見られない無関心という巨大なブラックボックスがあるため、実はアメリカ以上に「事実」は危機に瀕していると見てよい。

今月のことばNo.32

2017年2月24日

大学などの軍事化を国民は直視していただきたい

小沼通二

 私たち世界平和アピール七人委員会は、2017年2月24日にアピール「大学・研究機関等の軍事化の危険性を、国民、科学者・技術者、大学研究機関等、ならびに日本学術会議に訴える」を発表した。
 2012年に発足した第2次安倍内閣は、憲法も国民の反対も無視して、次々に日本の国の軍事化を進めてきた。その中で、それまで「武器輸出3原則」によって原則的に禁止していた武器の輸出を、「防衛装備移転3原則」と名付けた全く逆の武器輸出原則推進政策に変更し、首相自ら熱心に武器輸出と外国との武器の共同開発に努めている。その中では周辺国への非人道的な武力行使を繰り返すイスラエルとの無人偵察機共同研究のように、防衛だけでなく攻撃にも直接不可欠な武器開発が含まれ、日本の科学と技術がいずれ戦闘に使われ、殺戮に寄与することになってきた。これは日本国憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」の明白な否定であり、第九条の武力行使の永久放棄への公然たる違反である。
 そして一方で、2014年から2018年までの中期防衛力整備計画では「大学や研究機関等との連携の充実等により、防衛にも応用可能な民生技術の積極的な活用に努める」と唱え、2016年1月22日に閣議決定された第5期科学技術基本計画には、「国家安全保障上の諸課題への対応」を登場させた。自民党政務調査会も「防衛装備・技術政策に関する提言―『技術的優越』なくして国民の安全なし」を発表(2016年5月19日)。外国より強力な武器の開発・装備は防衛省の重要課題とされている。
 このような流れの中で、大学・研究機関等には2015年度から「安全保障技術研究推進制度」による防衛予算の委託研究費が入っている。これは自主的な自由な研究ではなく、公表されていない秘密の装備化(兵器化)という目標に向かい段階を追って進める開発の第1段階なのである。防衛省の技術職員や自衛官の管理の下での制約付きの研究であり、受け入れた研究室には彼らが出入して研究課題の進捗確認、研究代表者等との調整、助言、指導等をする。そこには受け入れた研究者だけでなく協力者もいれば大学院生もいて、外国人研究員や留学生がいることもあるだろう。大学や研究機関には、自主性を失った秘密にかかわる研究は持ち込むべきではない。
 われわれがかねてから言っているように、外交不在の軍事化中心の路線は、国民生活を圧迫するというだけでなく、少子高齢化、慢性財政赤字、国土狭隘の日本では進めることができない破滅への路線である。かつての戦争で政府は判断を誤り、情報操作によって国民を誤った道に導いて、国を破滅させた。安倍内閣は再び同じ路線を歩んでいる。
 大学・研究機関等の軍事化は研究者や研究費だけの問題ではなく、日本の国の形に直接かかわる国民全体の重要問題であることを直視していただきたい。

アピール「大学・研究機関等の軍事化の危険性を、国民、科学者・技術者、大学研究機関等、ならびに日本学術会議に訴える」を発表

2017年2月24日

「大学・研究機関等の軍事化の危険性を、国民、科学者・技術者、大学研究機関等、ならびに日本学術会議に訴える」と題するアピールを発表しました。

アピール「大学・研究機関等の軍事化の危険性を、国民、科学者・技術者、大学研究機関等、ならびに日本学術会議に訴える」

2017 123J 大学・研究機関等の軍事化の危険性を、国民、科学者・技術者、大学研究機関等、ならびに日本学術会議に訴える

2017年2月24日
アピール WP7 No.123J
2017年2月24日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫

 内閣府が“専門家”による国家安全保障と科学技術の検討会を発足させることにしたと、報じられている。国の科学技術政策を決めて予算に反映させる総合科学技術・イノベーション会議(議長:安倍首相)における軍民両用技術の研究推進政策の具体化に向けて、早急に作業するというのである。
 これは2012年の第二次安倍内閣の発足以来、特定秘密保護法成立と防衛大綱・中期防衛力整備計画の閣議決定、「防衛装備移転3原則」の閣議決定による武器輸出の解禁、「防衛生産・技術基盤戦略」の公表、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法の成立、共謀罪の企みなど、平和主義・民主主義・基本的人権尊重など日本国憲法に則った精神を踏みにじり、国の将来を危機に陥れかねない法律制定や閣議決定をかさね、軍国主義への道をひた走っている動きの一環である。
 この動きの中に、2016年1月に閣議決定された第5期科学技術基本計画に記載された「国家安全保障上の諸課題への対応」があり、学術を軍事研究に積極的に動員する動きが公然と進められている。
 安全保障関連法の成立によって発足した防衛省の防衛装備庁は、重要課題の第1に「諸外国との防衛装備・技術協力の強化」、第2に「厳しさを増す安全保障環境を踏まえた技術的優位の確保」を挙げている。そして「装備品の構想から研究・開発、量産取得、運用・維持整備、廃棄といったライフサイクルの各段階を通じた、一元的かつ一貫した管理が必要」なので、プロジェクト管理部に、文官、自衛官を配置し、プロジェクトマネージャーの下、性能やコスト、期間といった要素を把握して、効果的かつ効率的に行っていくための方針や、計画を作成し、必要な調整を行うと述べている。
 この方式は、米国国防総省の国防高等研究開発局(DARPA)方式の踏襲であって、自由な研究の成果が民生にも軍事にも利用できるというデュアルユースではなく、目標を決め、そのために事前に何をしなければならないかを選定し、これを繰り返して最初に手をつけなければならない課題を選び出す。最初の課題だけを見れば、民生にも軍事にも応用できるテーマに見えるが、上で見たように“防衛装備”という「武器あるいは武器に関する技術」の開発の第1段階であって、軍事に支障のない範囲だけが民生用に提供されることになる。

 このような情勢の下で、2004年に開始された防衛省と大学・研究機関を含む民間との共同研究協定が2014年度から急増し、2015年度からは「安全保障技術研究推進制度」による大学・研究機関等への委託研究費が、年3億円、6億円、110億円と拡大されている。
 さらに米国の軍機関から日本の大学・研究機関等に長年にわたり研究資金が提供されてきたことも、報道機関の調査によって2017年2月に明らかにされた。

 私たち世界平和アピール七人委員会は、国民一人一人が判断し声をあげるよう訴える:日本の科学・技術の成果が、武器あるいはその部品として諸外国に輸出され、米国やイスラエルなど海外との武器の共同開発によって実際に戦闘に使われ、殺戮に手を貸すことになってよいのか。諸外国より優れた“防衛装備”の開発を公然と唱えることによって世界の軍拡を促しているのではないか。「敵基地攻撃の装備を持つ方がよいという議論がある」と政権党の副総裁がいう。これが戦争を放棄した憲法の下での日本の姿であってよいのか。

 科学者・技術者に訴える:全体像が隠されて、最初の基礎や萌芽的な段階だけを見せられて、平和にも役立つといった素朴な感覚で防衛省の予算を受け、海外の軍資金を受けてよいのか。私たちは、制約や秘密を伴う研究はいかなるものであっても受けるべきでないと考える。

 大学・研究機関等に訴える:軍機関からの資金導入の場合の注意などといった生ぬるい感覚でよいのか。私たちは、構成員の間で広く議論を重ね、毅然たる規定を作り、内外の軍機関からの資金は受け入れず、大学・研究機関等の内部では企業との間でも、制約や秘密を伴う研究は避けることを求める。そのためにも一定規模以上のすべての外部資金の実態が公開されることを求める。

 学術団体、学協会に訴える:軍資金であっても直接の兵器開発研究でなければ問題ないといった感覚は支持できない。国内外を問わず、軍隊、自衛隊からの援助を受けず、その他一切の協力関係を持たないでいただきたい。

 日本学術会議とその会員に訴える:2016年6月以来、毎月公開で議論を重ねてきた「安全保障と学術に関する検討委員会」は2017年2月の委員会で「中間とりまとめ」を確認した。多様な意見が存在する組織の共通の見解として、理想的でないにしても、委員会の努力を評価したい。ただ3月の最終回委員会でさらに詰めるべき点が残されているし、幹事会、4月総会でどのように扱われるか、状況は予断を許さない。
 政府が判断を誤り、情報操作によって国民に真実を知らせない中で、戦争に全面的に協力した科学者の反省から、第2次世界大戦終結から3年半後の日本学術会議第1回総会で行った「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明」、翌1950年4月の声明「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」、1967年5月の会長見解と10月の「軍事目的の科学研究を行わない声明」を名目だけでなく継承し、総会が国民の信頼を損なうことのない判断をされることを期待する。さらに、風化・空洞化を防ぐために繰り返し広く科学者の中での討議を重ねていくことを期待する。

PDFアピール文→ 123j.pdf

今月のことばNo.31

2017年1月1日

核兵器廃絶への軌跡とこれから

土山秀夫

 核不拡散条約(NPT)体制下でいかにして核兵器廃絶を達成させられるか―。
 最も早い応答は1986年1月、当時のソ連共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフの演説で、2000年までに核兵器を完全撤廃するというものであった。5年毎に種類別(例えば戦略核、戦術核など)の核兵器を撤去して行き、3段階の15カ年ですべての核兵器の撤去を図る提案だった。その時、彼は本気だった。
 次いでインドのラジブ・ガンジー首相は、2010年を目標にした核廃絶のための各5年、3段階の「行動計画」を提唱した。以後、ウイリアム・エプスタイン元国連事務局員による2020年完了の4段階案(1994年)、米シンクタンク「ヘンリー・スチムソン・センター」による4段階案(1995年)、科学者団体「パグウオッシュ会議」による多角的提案(1995年)、オーストラリア政府による「核兵器廃絶のためのキャンベラ委員会」の3段階案(1996年)、日本政府の委嘱による「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」の3段階案(1996年)、さらに非同盟諸国やNGOを中心とした「核兵器禁止条約」案等々が競い合うように出されている。
 上記の諸提案を見て恐らく気付かれたのではなかろうか。エプスタインまでの早い時代のものには、核廃絶の完了時期や各段階の目標期限が明示されてある。しかし、それ以後の提案にはほとんどその点が設定されていない。
 このことに関して、核保有国の拒否反応が強かったためではないか、と捉えている人が多い。その件についてパグウオッシュ会議代表だった故ヨーゼフ・ロートブラット博士に直接尋ねてみたことがあった。博士は「核軍備撤去のような複雑な過程に、特別の期限を想定するのは賢明とは言えないだろう。重大な出来事が生じたりすれば、期限付きの行動はすぐ時代遅れになるからだ」と答えてくれた。
 曲折を経た核兵器廃絶への政策は、ようやくここに来て2つの流れに収束されてきたと言っていい。1つは非核保有国の大部分が推進しつつある「核兵器禁止条約の早期の交渉開始」。他の一つは核保有5カ国が主張する「段階的(ステップ・バイ・ステップ)かつ現実の安全保障に即した核廃絶への道」がそれである。
 前者の考えの源流は1996年6月の国際司法裁判所(ICJ)による勧告的意見に求められている。つまり核兵器は国際人道法の観点から見て非人道的兵器である。従ってこれを法律によって規制(非合法化)すべきであり、国際的には核兵器禁止条約として締結されるべきである。代表国のオーストリアやスイスはそう主張する。
 2つの政策は発想の着眼点に大きい開きがあるのみでなく、会議を重ねるにつれて非核保有国の忍耐心も限界に近付きつつあった。核保有5カ国は1995年のNPT再検討会議(創設25周年)において、これをその後、無条件、無期限に延長させるため、NPT第6条の核軍縮の義務を誠実に実行する旨を力説した。しかし5年後の2000年までに核軍縮の義務はほとんど履行されなかった。反発した非核保有国の7カ国(スウェーデン、アイルランド、南アフリカほか)は、「新アジェンダ連合(NAC)」を結成し、NGOの中心的な存在であった「中堅国家構想」(MPI)と緊密な連携の下で核保有国に迫った。そして遂に、「核保有国は保有する核兵器を完全に廃棄することを明確に約束する」との合意書にサインするに至った。ただ法的拘束力の無い悲しさで、その後の再検討会議や準備委員会においても核軍縮は遅々として進まなかった。
 しびれを切らした非核保有国側は、今回の国連総会で来年3月からの総会において核兵器禁止条約の交渉開始を求めることを正式に決定した。やむをえない”見切り発車”と言うべきであろう。
 では来年以降はどうなっていくことが予想できるだろうか。確率的に高そうなのは、非核保有国グループと核保有5カ国および大部分の“核の傘”グループの対立が、より深刻な度合いを増していく可能性がある。ただし何らかの転機によって事情が好転する場合も皆無ではないかもしれない。もしそうした場合があり得るとしたら、米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長の2人がキーパーソンとしての役割を演じるのではあるまいか。