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今月のことばNo.53

2020年6月13日

「人間の安全保障」と「人間運命共同体」の危機 コロナ問題での「米中対立」から考える

武者小路公秀

(1)米中共同で進めた「コロナ研究」

 WHOでの米中対決は、コロナウイルスに人類全体が立ち向かわなくてはいけないときに、大変残念なことです。
 WHOは、2009年にH1N1感染症(新型インフルエンザ)発生の際、WHOでの国際協力が不可欠と考えた中国政府が台湾にWHO総会のオブザーバー資格を承認してきたのですが、米国のトランプ大統領は、「WHOは中国寄り」として、WHOへの資金供出を停止すると発表しました。
 もともと、台湾をオブザーバーにすることについては、「台湾は中国の一部である」との立場に立ちながらも、中国政府は「人間の安全保障」の立場、「人類の運命共同体」への所属を強調する立場で認めたものでした。米中経済戦争が「人間の安全保障」や「人間運命共同体」の危機をエスカレートさせてしまったのは、残念なことでした。

 今回の武漢のコロナウイルスの発生は、米国政府と米欧メディアによって中国政府の責任問題に矮小化されようとしています。
 今回、コロナウイルスはどこから来たのでしょうか。筆者も当初、武漢の感染症研究所が新型コロナウイルスを人間に感染するウイルスに転換する生物兵器の研究所ではないか、と想像しました。
 「細菌兵器及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵を禁止する」生物兵器禁止条約は 1972年に成立しており、その研究開発は「人類に対する犯罪」です。そして、ウイルスを新しく人間に感染するものにする「機能獲得型」の研究は、明らかに国連の刑事裁判所で犯罪として裁かれるべきものです。
 しかし一方で、細菌やウイルスの研究は、兵器に開発されたウイルスに対する「防衛」「予防」のための研究という「防御的な側面」がある「両用技術開発」だったことも事実です。「防衛的な意味」での研究については、感染症研究者などから、国際人権の立場での強い反対もありますが、多国籍巨大企業群などが援助し、公認されてしまっています。
 特に、武漢の感染症研究所も、新型コロナウイルスの人間への感染について、米国のノースカロライナ大学との共同研究をしていたという事実が明らかにされ、「人間の安全」を保障する立場にたって、すでに何年か以前から、米中両国の専門家の間の協力研究が進んでいたことがわかりました。

 米国は今回のウイルスを「武漢の研究所から流出したものだ」と主張し、中国は「狂気の沙汰だ」と反論していますが、決着はついていません。5月7日のCNNによれば、米、英、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの「ファイブ・アイズ」のネットワークは、この説の可能性を「極めて低い」とみているそうです。
 中国政府が新型コロナヴィルスの出現を最初に見つけて訴えた李文亮医師を「デマを飛ばす」として処罰したり、感染の発生について十分な情報公開が遅れたりしたことが、「疑惑」の根拠になっていることも否定できません。
 今後のウイルス対策を考える上でも、このウイルスが、人為的につくられたものか、そうではなかったのかは、冷静に、学術的な立場で、事実を究明する国際的な努力が求められています。

(2)医療従事者を支えた「社会主義核心価値」の「敬業」

 武漢のウイルスとの闘いには、武漢の閉鎖とともに、外部から多数の看護師の動員がありました。長い髪を切って丸坊主になって働いたという看護婦さんの「献身」が報道されましたが、派遣された人々には「自発的」なケースも「強制的」に動員されたケースがあっただろうことも、容易に想像されます。
 日本をはじめ自由主義諸国では、こうした活動を支えるのは、十分な「手当」のほかに、「人権」の感覚でしょう。西欧的な「人権」感覚を持たない中国で、なぜ、こうしたことが可能になったのでしょうか? 米欧メディアが決めつけている「共産党政府の独裁」の結果でだけ、だったのでしょうか?
 私はこれこそ、中国が提唱してきた「社会主義核心価値」の価値観が生んだものが大きかったのではなかったのか、と考えています。

 2012年11月、中国共産党第18回全国代表大会は、「社会主義核心価値観」を提唱し、それ以来、中国のさまざまな場所でこの12項目のことばが溢れています。「富強」「民主」「文明」「調和」「自由」「平等」「公正」「法治」「愛国」「敬業」「誠信」「友善」です。私の理解では、中国ではこれらの項目が、米欧の人権などに対応し、中国政府の「人類運命共同体」参加の精神的な支えになっています。「自由・平等・友善」はフランス革命の「自由・平等・博愛」と同じものです。「敬業」はその中で、全ての中国市民の多様な仕事、特に自分の仕事の重要さを尊敬する価値観です。
 「敬業」の中で培われてきた、「専門職の倫理」、西欧で言えば「プロフェショナリズム」が、支援に来た医療従事者を支え、外部と遮断された武漢の人たちを支えていたのではないでしょうか。12の価値の中には「友善」もあります。人間同士互いの生活を支え合う「友善」の思想は、自由・平等と並んでフランス革命のスローガンと同じものだろうと思います。

 日本にもこういう思想が生きていたと思います。今回も、国民の中からはそうした姿勢がごく自然に湧き上がりました。
 しかし、政府の対応はどうだったでしょうか? つまり、国民の仕事を「軽業」と「重業」にわけ、日本経済をささえている仕事をしている人々を「重業」の対象として豊かな支援を送り、そうでないと判断された職業の人たちは、仕事を敬うどころか、「軽業」と軽んじられ、十分な支援はされていないように思えます。例えば日本で働いている外国人労働者は、日本人と同じ仕事をしていても、軽んじられてはいないでしょうか。
 「重職業」には、生物兵器をつくることも、ワクチンを製造する職業も含まれます。また、「重職業」は中国・米国・日本など国家の中だけにあるのではなく、多国籍巨大企業などが巨利をむさぼっています。この問題については、私と同年配の板垣雄三東大名誉教授が詳細な分析を公表しておられるので、ここでは触れません。
《板垣雄三「コロナ危機の「目隠し状態」から脱け出して、広く世界を見渡そう」http://blackisbeautiful2013.blog.fc2.com/blog-entry-12550.html
 中国でも、戸籍を故郷の農村にのこしてきた「農工」(農民工)の中には、コロナウイルスで生活できなくなっている人々もいるようです。

(3)真の日中友好のために

 新型コロナウイルス感染症は、人々の交流が活発になる現代の世界で、瞬く間に世界中に広がりました。生活物資が不足したり、生産部品がなくなったりしたことで、今更ながら「世界は一つ」であることも実証されました。
 すべての人が世界の今を支えているいま、私たち現代に生きる人類は、国同士の不毛にも見える論争を超えて、新型コロナウイルス感染症の感染を克服し、「重業」と「軽業」に分解され始めている世界の現状を、何とか食い止めることは急務です。
 そのためには、体制の違いを強調するのではなく、中国には中国の論理と価値観があることを尊重し、そのことを通じて、必要な対応が行われるよう考えることが大切です。既に述べたとおり、あらゆる職種の仕事を尊敬する「敬業」の精神と、仲間としての友情に基づく善行である、包括的な「友善」を基本にした考え方は、西欧社会でもごく普通に受け入れられることでしょう。

 私たちには、とかく、日本や米欧は「民主主義諸国」、中国は「独裁・非民主主義国」とする必ずしも正確でない分類や、思い込みが先だって、正確な判断ができないことがあるように思います。
 また、90歳の筆者にとって、小学生時代に、上海事変(1932年)の「爆弾三勇士」を讃えていた教育や、日本軍による武漢三鎮の占領(1938年)を祝う提灯行列はよく記憶しています。同時に、かつての大戦での中国への蔑視や、日本軍の犯した誤りの贖罪など、複雑な思いの中で、判断はより微妙な色合いを持ってしまいます。
 こうした中で、私は日本人として今回のコロナウイルスの武漢市民の苦難について、ただ傍観者になって中国政府を批判する気持ちにはなれない複雑な気持ちになっています。

 われわれ日本人民と中国の人民は、ウイルスによって生命を奪われるなど、いろいろな悲しみや苦しみの犠牲者になっている点で、共通の痛みを感じています。
 ですから、日本でも中国でも、ウイルスの脅威を経済戦争の劇化で考えるのではなく、むしろウイルスへの共通の安全保障、共通の包摂的な和解の新しい生活、日中共同の「敬業」、両国人民の多様な仕事の相互的な尊敬ができる地域の「友善」に基づく付き合いで考えたらどうだろう、と考えます。
 中国自身が掲げる「価値観」。たとえば「敬業」や「友善」、それをベースに、中国の抱える問題―都市と農村、チベット、ウイグルや香港など―も、「和解」の道を歩けるように、支援していくことが大切ではないでしょうか。(2020年6月10日)

訂正(2021年2月2日) 全国代表大会 ← 全国人民代表大会

今月のことばNo.52

2020年5月12日

愚かな戦争繰り返すのか―世界の在り方を考えるとき―

大石芳野

シリーズ:大型評論「新型コロナと文明」 (共同通信社)

パリやロンドン、ニューヨークなどの大都市が、新型コロナウイルスまん延のため無人になった光景を見た時、「これは戦争で敵に占領された街と同じだ」と思った。
私はほぼ半世紀にわたり、戦禍をくぐり抜けて生き延びた人々を取材している。内乱や戦争で破壊された数多くの街に足を踏み入れたが、そこで目にした無人の光景がコロナ禍に見舞われた都市の姿と重なる。そして戦禍の街で感じた何とも言えない恐ろしさをいま、同じように感じている。
2011年、東京電力福島第1原発事故の後、それほど時を経ずに同原発から20㌔圏内の村々に入った時も、このような感覚になったことがある。しーんと静まりかえった地に立って思ったのは、何も見えないが、多くの敵に囲まれているという感覚だった。放射線という敵があたり一面にいて襲ってくる。私は敵の陣地にいるのだ、という思いを強くした。
新型コロナウイルスに襲われた東京も同じだ。ウイルスは人の細胞に取り付くので目には見えないが、私たちの社会はいま、目に見えない大きな敵によって、じわじわと侵されていると言えるのだろう。

▽巨大空母が無力に

武器や兵器による戦争であれば、例えて言うと、銃を持った兵士が市民を撃つという加害者と被害者の構図がある。ところが、新型コロナウイルスは銃を持った人間にも同じように襲いかかる。コロナ禍の下では、銃口を向ける行為が意味をなさなくなる。そこがこれまでの戦争とは、大きく様相が異なるところだ。
米国の原子力空母の乗組員が多数、このウイルスに感染し、死者も出たという。数千人の乗組員をすべて上陸させ、空母は軍港に停泊したまま戦闘機能を失っている。巨額な資金を投入して造られた島のような鉄の塊が、無用の長物と化しているのだ。
こういう状況を目の当たりにした時、国連のグテレス事務総長が3月24日に発表した「グローバル停戦の呼びかけ」という声明をあらためて思い起こした。
声明は「このウイルスには、国籍も民族性も、党派も宗派も関係ありません。すべての人々を容赦なく攻撃します。その一方で全世界では激しい紛争が続いています」とした上で、障害者、社会から隔絶された人、避難民など、最も弱い立場にいる人々が最も大きな犠牲を払っていると指摘。グローバルな停戦を呼びかける理由として「ウイルスの猛威は、戦争の愚かさを如実に示している」と述べている。
私は、この声明に大きく頷いた。いまは、武力を持ち戦うことをやめなければならない。事務総長の言葉を借りれば「戦争という病に終止符を打ち、世界を荒廃させている疾病と闘うこと」に集中すべきだ。
戦争とは何なのか。突き詰めれば人間の欲望の産物なのだ。米国はこれまでに多くの戦争を起こしてきたが、これは米経済を支える軍事産業を維持し、発展させるために行ったとも言える。日本には米軍基地が各地にあり、日米の巨費が投じられているが、そうした資金をこのウイルス感染拡大の影響で職を失ったり、仕事を中断せざるを得なくなったりした人たちに回すべきだ。
安倍晋三首相はよく「国民を守る」と言うが、その意味は何かと問いたい。巨額の戦闘機やミサイル迎撃システムを米国から購入することも国を守る手段なのかもしれないが、本当に守るのは国民一人一人の命だ。命を守るというのは、どういうことなのか、このコロナ禍のさなかに私たちは考えなければならない。

▽地に足をつける

トランプ大統領は、米国のウイルス感染が拡大するにつれて、中国を非難する言動を繰り返しているが、そのトランプ大統領を国連の場でにらんだ少女がいる。スウェーデンの少女、グレタ・トゥンベリさんだ。
パンデミックになったいま、16歳だったグレタさんが昨年9月、国連の「気候行動サミット」で語った演説が脳裏によみがえっている。
「人々は苦しみ、死にかけ、生態系全体が崩壊しかけている。私たちは絶滅に差し掛かっているのに、あなたたちが話すのは金のことと、永遠の経済成長というおとぎ話だけ。何ということだ」
経済活動最優先で、二酸化炭素(CO2)の排出量を抑制できず、地球温暖化を加速させてしまった〝大人たち〟への強烈な批判の声だった。
温暖化によって、極地をはじめ世界中の氷が溶けだし、海面上昇で水没しそうな島や川底に沈みそうな村がある。それだけではない。永久凍土が溶け出すことによって、封じ込められていたさまざまな微生物や菌が目覚め、融合することで新たな病原になるかもしれない。新型コロナウイルスと地球温暖化との関連は不明だが、温暖化による異常気象が山火事や水害などとともに、新たなパンデミックの引き金になる可能性もある。
グレタさんは「経済成長というおとぎ話」と言ったが、産業革命以降、人間はひたすら経済成長を求めてきた。これを支えたのが科学技術の進歩だった。科学文明イコール、マネーだったのだ。ウィルスに対処するのも科学力が欠かせないが、科学文明はまた兵器開発によって軍事力増強も支えてきた。
いままた、仮想現実(VR)や人工知能(AI)といった最先端の科学技術を経済成長、すなわちマネーに結びつけようと夢見ている人の群れがある。私には、そうした人々が、最先端の技術に遅れまいとして、つま先だって小走りで追いかけている姿に見えてしまう。地に足をつけて生きていくことの大事さを忘れているような気がする。
私はこれまでに、戦争で心身ともに傷ついた女性や子どもたちを数え切れないくらい大勢見てきた。彼女らは、銃や爆弾などの兵器によって、家や家族を失った。あの子どもたちの涙や嘆きの表情が繰り返される戦争をまだ続けるのだろうか。
新型コロナウイルスが世界を襲ったいまこそ、軍事、経済最優先の社会から脱して、温暖化対策や医薬開発などに巨費を投じるべきだろう。このように考え方の転換をしないと、人間は生き延びられないと思う。

(談、インタビューは4月10日、聞き手は共同通信編集委員 藤原聡)

今月のことばNo.51

2020年4月29日

新型コロナウイルス感染症COVID-19によるパンデミックのただなかで

小沼通二

「新型コロナウイルス感染症COVID-19によるパンデミックのただなかで
―世界のパグウォッシュ会議メンバーへのメッセージ―」 
日本パグウォッシュ会議メンバー 小沼通二 202年4月27日

<このメッセージは、英文サイトに掲載された原文の翻訳です。もともとパグウォッシュ会議事務総長への書簡に添付され、パグウォッシュ会議の電子掲示板 Pugwash Forum に掲載されました。>

新型コロナウイルス感染症COVID-19(Corona Virus Disease 2019)が世界を覆っている。
14世紀には黒死病といわれたペストがヨーロッパで荒れ狂った。
20世紀にはスペイン風邪が世界中で蔓延した。
今世紀に入ってからも人類はSARS(重症急性呼吸器症候群Severe Acute Respiratory Syndrome)やMERS(中東呼吸器症候群Middle East Respiratory Syndrome)を経験した。
これ等の病気に対して、軍備は国民を守ることができなかった。
軍拡競争は、人類の英知によって、軍備管理、軍縮に転換されるだろう。
別の緊急課題である気候危機は、人類の協力によって、克服されるだろう。
しかしその一方で、新たに変種となったウイルスによるパンデミックは確実に繰り返して人類社会に戻ってくる。
軍事費は、現在と将来のパンデミックにおける医療と世界経済を含む社会活動の崩壊を避けるための費用に振り向けるべきである。
世界のパグウォッシ会議はこの新しい思考のためあらゆる努力を行うべきである。
これこそ「ほかのことは全てわきにおき、人間性を忘れるな」と述べたラッセル・アインシュタイン宣言の精神と一致するものである。

今月のことばNo.50

2020年4月22日

借金の前に防衛予算も含めた節減と繰り延べの財源による経費捻出を

小沼通二

韓国の中央日報の日本語版の記事を知人が教えてくれた。題は「韓国政府、借金せずに7兆ウォンの災害支援金どこから引っ張ってきたか」(2020年4月19日)となっている。全文が次のサイトに公開されている。

韓国政府、借金せずに7兆ウォンの災害支援金どこから引っ張ってきたか(中央日報)

韓国政府の「国の財政がぎりぎりなので借金をこれ以上増やさない」という当初の方針の下で、緊急災害支援金支給を政府(82%)と自治体(18%)が分担し、政府分担の7兆6000億ウォン(約6711億円)をどのように調達したかが説明されている。
韓国政府は、公務員の経費削減、鉄道投資事業の削減や先送りなどとともに、国防予算を9000億ウォン削減するというのである。対象には、F-35Aステルス戦闘機、海上作戦ヘリコプター、広開土3イージス艦事業などが含まれた。F-35購入費などの執行の先送りもある。戦力低下の懸念が出ているが、国防部は「海外導入事業予算が削減されても兵器戦力化スケジュールに支障はない」と説明したと書かれている。
私たち、世界平和アピール七人委員会は、4月13日に「ウイルス禍とのグローバルな闘いを通じて平和を」を発表した。そこに「軍事力拡充の野心を放棄すれば、軍事費をウイルスとの闘いや気候危機の克服に振り向けることができる」と書いたのは、防衛予算を年々増やしてきた政府とそれを認めてきた国会、さらにそれを支持してきた国民に、経費が不足すれば国債発行でという方針を根本的に考え直してもらいたいと考えたからだった。意見を言うことのできない将来世代からの借金である国債が既に異常な多額になっている日本である。削減、延期できる項目は全て新型コロナウイルス感染症対策に速やかに回して、全力を挙げて収束させるのでなければ、将来の国力、経済力への打撃も大きくなる。 小出しの遅れる対策の繰り返しは、収束を遅らせるだけである。
世界的な感染症の広がりであるパンデミックは、すぐに頭に浮かぶだけでも、黒死病といわれた14世紀のペスト、スペイン風邪といわれた米国起源の100年前のインフルエンザ、2002~03年のSARS(重症急性呼吸器症候群、severe acute respiratory syndrome)、2012年にロンドンで発見され、中東で猛威を振るい、2015年には韓国で感染・死亡が広がったMERS(中東呼吸器症候群 、Middle East respiratory syndrome )など、繰り返されてきた。
変種を繰り返すウイルスにはヒトの体内で増殖するものがあるので、人類はウイルス感染症と付き合い続けなければならない運命にある。七人委員会のアピールで触れた気候危機も人類全体として対処していなければならない。これらに比べて戦争は人が起こすものである。それならば、外交力を強化して、軍事費を削減することができるはずである。これがアピールの元になる考えだったのだが、実際に行動に移す国が既に出ているのだから、日本も世界の進展から遅れてはならない。
(2020年4月22日記)

今月のことばNo.49

2020年4月22日

コロナウイルス禍の趨勢

池内 了

(執筆日:2020年4月20日)

2020年3月15日の記事から約1カ月経った時点での、感染の広がり・現在の趨勢・今後の予測についてまとめておきたい。

(累積感染者数)
第1図が「国別累積感染者数」で、縦軸が対数、横軸が日付である(以下、グラフは飽本一裕帝京大名誉教授作成のものを本人の許可を得て掲載する)。当然ながら、3月15日付の図と比べて大きく変化している。
(1)イタリア・フランス・ドイツ・スペインとイランは似たような傾きになって、以前と比べて増加率は明らかに減少しているが、韓国がほぼ完全に一定である期間が1ヵ月ほど続いていることに比べて、まだ有意に増加傾向であり、終息とは言えない(対数であるため、傾きは小さくても感染者増加の絶対数は多いことに注意を!)。
イタリアのコンテ首相は封鎖の解除を急ごうとしているのに対し、ドイツのメルケル首相は非常に慎重である。
(2)前回に予想した通り、アメリカは大きな増加率で、あっという間に世界のトップに躍り出て感染者は70万人を超える状況になっている。確かに一時よりは増加は緩やかになっているが、(1)の諸国と比べても傾きは大きいから、まだ終息の兆しは見えていない。しかし、トランプ大統領は早く終息宣言を出そうと焦って、共和党知事の州で緊急事態措置を緩めさせようとしている。そんなことをすると、かえって長引かせることになるのではないか。
(3)日本は、まさに独自路線で、この対数グラフ上で一貫して直線的に増加しており、ついに韓国の感染者数を上回った。このまま同じ状態が続くと、いずれ(1ヵ月程度か?)ヨーロッパ諸国の10万人レベルに追いつくか(小沼さんの予想と同じ)、どこかで感染爆発を起こして急速に感染増加率が増大する(傾きが急になる)だろう。日本全体の累積感染者の増加がほぼ東京のそれと平行になっているということは、東京が例外的に多いのではなく、日本全体がほとんど同じ割合の増加率となっていることを意味する。

図1:国別累積感染者数

(致死率)
気になるのは致死率(死者/累積感染者)である。世界の傾向は
(1)10%以上:イタリア、スペイン、フランス、イギリス、英国、ベルギー、
オランダ
(2)5~10%:米国、中国、イラン、ブラジル、スウェーデン
(3)1~5%:ドイツ、韓国、日本、トルコ、スイス、ポルトガル、オーストリア、
アイルランド
(4)1%以下:ロシア、イスラエル
と大別できる。ウイルスの種類が3通りあるとか、BCG接種国は少ないとか、の意見はあるが、精査が必要で結論を急ぐべきではない。さらに国家ごとに、統計の精度、医療崩壊の程度、医療非受診率(医療機関でウイルス感染死と認定されず、普通の肺炎とされている割合、病院での死亡はカウントされるが介護施設での死亡はカウントされない割合)等の差異があって単純比較できない。終息後に点検すべき課題であろう。
第2図に日本・韓国・ドイツ(及びイタリア)の致死率の変化を示している。3月30日頃には、日本が約3・0%、韓国が約1・5%、ドイツが1・0%であったのが、4月15日を過ぎると逆転して、ドイツ約3・1%、韓国約2・5%、日本約1・7%となっていることが注目される。韓国は3月20日頃から患者数の増加はほぼ完全に頭打ちになっているから、致死率の増加は、何とか持ちこたえていた重症患者が死を迎えているのだと思われる。他方、イタリア・フランス・スペインなど致死率が10%以上の国は医療崩壊が起こって致死率が10%を超えているのに対し、同じヨーロッパにあるドイツでは、医療崩壊をなんとか食い止めてきた医療体制が、疲労困憊となったため死者の数が増加しているのではないかと懸念される。何しろ、ドイツの患者数は14万人を超えているのである。
もう少し詳しく日本の致死率変化を見てみよう。3月23日頃まで日本ではかなり高い(約3・5%)致死率であったが、それ以後下がり続けていることだ。その理由を考えると、以下のようになるだろうか。この時点まではPCR検査数は1日1500件以下と厳しく抑制していたため検査を受けられず、感染者と認定されたときには既に非常に重症になっており(つまり重症化率が高い)、そのため致死率が高かったと思われる。しかし、3月24日頃から検査数が1日2000件、4月1日頃から5000件、4月7日頃には7000件と急増しており、それに応じて感染者数が増えたので、致死率が下がったのだと思われる(オリ/パラの延期が宣言されたのは3月24日)。
しかし4月14日頃から、日本の致死率は再び増加に転じているようで、この先の推移がどうなるか注目したいと思う。検査数の増加によって感染者が多く同定されるようになって感染者中の重症化率は下がったはずなのに、致死率が増えるようなら医療崩壊が始まっているとも考えられるからだ。

図2:コロナ感染者の致死率の推移。

(検査数と新規患者数)
先に検査数と新規患者数について述べたが、実際のデータは以下の3A図、3B図に示している。

3A図:新規検査数。日曜日ごとに極小を繰り返し、3月24日頃か上昇に転じた。

実は、新規検査数(PCR検査)は厚生労働省発表のデータを使っているが、毎日新聞や日経新聞が掲載しているデータとの食い違いがある。厚労省は各都道府県からの報告数を集計して発表しているのだが、実は、日経新聞によれば、後日に都道府県から報告内容を訂正して検査人数を減らしても厚生省は修正しないらしい(その修正をした日経新聞のグラフでは検査数がマイナスの日があったりする)。もっとも、だいぶ時間が経ってから厚労省のデータが変えられることもあると聞くから、統計に信頼がおけないこと夥しい。
とはいえ、検査数が上昇していることは確かで、今ではようやく1日1万件に達しつつある。しかし、ドイツでは1日5万件、韓国では1日1・6万件と言われており、日本の体制がいかの貧弱であるか(あったか)がよくわかる。累積検査数で言えば、ドイツとは100倍以上、韓国とは30倍以上の差が生じてしまったのである。このことが、隠れ感染者を増やし、感染経路を追えない感染者が60%を占める事態をもたらしたのは確かである。
PCR検査は、体内にコロナウイルスが潜んでいるかどうかを調べる検査であって、感染の有無を直接チェックしているが、結果が出るまでに時間がかかる。これに対し「抗体検査」と呼ぶ、体内にウイルス感染によって抗体ができているかどうかを調べる検査があり、これは短時間で結果が得られるので推奨されている。感染してもごく軽くて気づかない(無症状のまま)とか、軽症ですぐに治ってしまった、という場合に抗体検査は有効である。今後は、この検査も実施されるべきだろう。

3B図 国内新規患者数(感染者数)と東京の新規感染者数。

新規感染者の数が増加し始めたのは3月24日頃からで、3B図に見るように、指数関数的に増加している。累積感染者のカーブをクローズアップしてみれば、少し凸凹があるのに反映している。新規感染者数で言えば、東京の増加率は全国の増加率よりも少なめのようである。緊急事態宣言が出されたのは4月7日で、外出の自粛や三密(密閉、密集、密接)を控えるよう要請されたのだが、新規感染者数の増加傾向から見ると、あまり効果は出ていないように見えるがいかがだろうか。
大雑把に見積もれば、新規感染者数は、3月24日を50人とすると、10日後の4月2日でほぼ3倍の150人、20日後の4月12日でほぼ10倍の500人となり、30日後の4月22日でほぼ30倍の1500人という計算になる。