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2012 107J 原子力基本法の基本方針に「安全保障に資する」と加える改正案の撤回を求める

2012年6月19日
アピール WP7 No.107J
2012年6月19日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 池田香代子 小沼通二 池内了 辻井喬

 衆議院本会議は、先週の6月15日に「原子力規制委員会設置法案」を可決した。この法案は、政府が国会に提出していた「原子力規制庁設置関連法案」に対立して自民・公明両党が提出していたものであり、この日に政府案が取り下げられて、自民・公明両党に民主党も参加した3党案として、衆議院に提出され、即日可決され、直ちに参議院に送られて、この日のうちに趣旨説明が行われたと報じられている。新聞報道によれば、265ページに及ぶこの法案を、みんなの党が受け取ったのは、この日の午前10時であり、質問を考える時間も与えられなかったといわれている。

 世界平和アピール七人委員会は、この法案の中に、説明なく「我が国の安全保障に資する」という文言が加えられたことについて、ここに緊急アピールを発表する。
 国会議事録はまだ公開されていないが、自民党の資料によれば、「原子力規制委員会設置法案」の第1条には、「この法律は、・・・原子力規制委員会を設置し、・・・国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的とする。」と書かれている。
 我が国の原子力関連の個別の法律は、すべて日本国憲法のもとにある原子力基本法の枠の中で作られている。周知のとおり、原子力基本法の基本方針(第2条)は「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。」となっていて、歴代政府は、日本国憲法に抵触しない原子力の軍事利用ができないのは、この法律に抵触するからだとしてきた。
 しかし、「我が国の安全保障に資する」という文言は、わが国の独立に脅威が及ばぬように、軍事を含む手段を講じて安全な状態を保障することに貢献すると読む以外ない。このことに気が付いたためと思われるが、今回衆議院を通過した「原子力規制委員会設置法案」の附則第11条は、原子力基本法の一部改正にあてられている。
 それによると、原子力基本法の基本方針に、第2条2を追加し、「2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする」と改定するというのである。「我が国の安全保障に資することを目的として、安全の確保を行う」という文言は何を意味するのであろうか。具体的になにを行おうとするのか全く理解できない。

 国内外からのたびかさなる批判に耳を傾けることなく、使用済み核燃料から、採算が取れないプルトニウムを大量に製造・保有し、ウラン濃縮技術を保持し、高度なロケット技術を持つ日本の政治家と官僚の中に、核兵器製造能力を維持することを公然と唱えるものがいること、核兵器廃絶への世界の潮流に反して、日本政府が米国に対して拡大抑止(核兵器の傘)の維持を求め続けていることを思い浮かべれば、原子力基本法第2条の基本方針の第1項と第2項の間に、矛盾を持ち込んで実質的な軍事利用に道を開くという可能性を否定できない。
 国会決議によって、平和利用に限り、公開・民主・自主の下で進められてきた日本の宇宙研究・開発・利用が、宇宙基本法の目的に、「わが国の安全保障に資すること」を含めることによって、軍事利用の道を開いたことを忘れることもできない。

 さらに、「基本法」は憲法と個別法の間にあって、個別法より優先した位置づけがされていることを考えれば、個別法の附則によって基本法の基本方針を、討議せずに変更することはゆるされない。

 世界平和アピール七人委員会は、原子力基本法と原子力規制委員会設置法に、何らの説明なく「我が国の安全保障に資する」という表現を含めようとする計画は、国内外から批判を受け、国益を損ない、禍根を残すものと考え、可決にむけて審議中の参議院において直ちに中止することを求める。

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2012 106J イスラエルとイランの市民と政府に呼びかける

2012年4月10日
アピール WP7 No.106J
2012年4月10日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 池田香代子 小沼通二 池内了 辻井喬

 私たち世界平和アピール七人委員会は、1955年以来、世界の平和を願って国内・国外にくり返しアピールを発表してきました。

 現在、イランの原子力施設に対してイスラエルが武力攻撃を加える可能性が公然と語られています。ホルムズ海峡における米国とイランの海空軍の対峙も、不測の事態を引き起こす恐れを生み出しています。

 私たちは、イスラエルが1981年にイラクの、2007年にシリアの原子炉を、国際法を無視して爆撃したことを思うとき、イランの原子力施設への攻撃もまたありえないことではないと危惧します。その場合、大規模な戦争に拡大する危険性も杞憂とは言えません。

 国際社会は、遺憾ながらイスラエルもイランも原子力研究・開発・利用に関して情報を充分に開示しているとは見ていません。もしも核兵器関連の研究・開発・製造・貯蔵をしている、あるいはしようとしているのであれば、直ちに放棄すること、そして国際社会に対し核関連情報を完全に開示することを求めます。それは、私たちも含めて世界の多くの人びとがかねてから要望している中東の非核兵器地帯を実現する、大きな一歩になります。

 現在国際社会は、一方のイランだけに経済制裁を科しています。これは問題の安定した解決につながるものでなく、公平の原則に反しており、私たちは支持できません。

 また、イスラエルと近隣諸国の間に外交関係がないことは、中東の安定化への重大な障害になっています。この異常事態は、双方の誠実な努力によってただちに解消すべきです。対立の過去にこだわるのでなく、望ましい未来の中東を見据え、協力して平和への道を一歩ずつ進んでいくことを強く求めます。そこには、イスラエルとパレスチナの関係改善も含めるべきです。これは、米ソを中心とした東西の冷戦の終結、欧州連合の発足などに見られるように、夢などではない、むしろ現実主義に根ざした歴史の必然的方向であり、発展です。

 このアピールは、「全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ、平和の裡に生存する権利を有することを確認」し、「いずれの国も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的」だとした日本国憲法の理念に従うものであり、国連憲章の目指すところと一致すると考えます。

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世界平和アピール七人委員会 2011年篠山講演会 資料

2011年11月17日

「講演会&シンポジウム in 篠山」(11月12日、13日開催)で使用した資料を公開します。

1 11月12日 講演会「篠山で考える日本と世界」

1.1 下中美都:下中弥三郎の魅力

パワーポイントファイル(1-1.ppt)

1.2 小沼通二:下中弥三郎と七人委員会(1) 七人委員会の誕生

パワーポイントファイル(1-2.pptx)

1.3 武者小路公秀:地域主権と世界連邦

パワーポイントファイル(1-3.pptx)

1.4池内了:いなかが本番になる

パワーポイントファイル(1-4.ppt)

2 11月13日 シンポジウム「地域力を強めるーこれからの日本ー」

2.1 小沼通二:下中弥三郎と七人委員会(2) 七人委員会の活動

パワーポイントファイル(2-1.pptx)

2.2 小沼通二:自然エネルギー研究・開発の伸び

パワーポイントファイル(2-2.pptx)

3 11月11日 講演会「立杭から世界に羽ばたいた下中弥三郎」

3.1 下中美都:下中弥三郎の魅力 (今田小・中学校生徒に)

パワーポイントファイル(3-1.ppt)

3.2 小沼通二:下中弥三郎と湯川秀樹

パワーポイントファイル(3-2.ppt)

2011 105J 名護市辺野古への米軍普天間飛行場の移設計画は直ちに取りやめなければならない

2011年10月25日
アピール WP7 No.105J
2011年10月25日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 池田香代子 小沼通二 池内了 辻井喬

 1996年、日米両国政府は普天間飛行場返還に合意した。その後曲折を経ながらも、いまだに両政府は、米海兵隊基地は沖縄県名護市辺野古に移設することが現実的な解決策だと主張し続けている。しかし、沖縄県知事、県内41市町村の全首長、県議会、県民は辺野古移設への反対を明確にし、「危険性の除去」、「少なくとも県外移設」を繰り返し求めている。

 これに対し、野田政権は発足からの短期間に、沖縄担当大臣、防衛大臣、外務大臣を相次いで沖縄に派遣しているが、誰一人沖縄のおかれている現状に目を向けることも、 沖縄の声に耳を傾けることもなく、県民の意志とは全く無関係にアメリカ政府の要求の伝達を繰り返しているとしか思えない。

 しかも、米軍基地の必要性を説明するのではなく、振興策と称して多額の交付金を投入して民意を変えようとするのは、民主主義に反する。沖縄県民が望んでいるのは、民意を尊重した解決であり、我々が望むのも同じである。

 1945年3月26日の沖縄戦開始以来、戦争終結によっても、1972年の施政権返還を迎えても、冷戦が終わっても、沖縄の米軍基地の根本的軽減は行われず、今日においても、在日米軍施設の74%が国土の0.6%に過ぎない沖縄県に集中している。

 私たちは、日本国憲法も国連憲章も仮想敵国を作ることを想定していないと考えるが、もし仮想敵国に対する国の安全保障上、米軍基地は減らせないのであれば、沖縄県以外の、99.4%の面積を占める都道府県に移転先を求めるべきである。他都道府県に移転先が見つからなければ、日本国外に移転するほかない。沖縄県のみに負担を押し付けるのは、差別以外のなにものでもない。市民の意思を踏みにじる都道府県の政策決定、都道府県民の意思を踏みにじる国の政策決定は、憲法第95条に定められた民主主義的地域主義の精神に反する。

 対立する一方の国が、自衛権の下に軍備の質的、量的増強を図れば、相手国も軍備を増強し、軍拡の連鎖が戦争を引き起こし、双方を疲弊させることは、歴史が繰り返し示してきたところである。この連鎖を逆転させることこそ、政治、外交の目標でなければならない。政府が特使を送って説得しなければならない相手は、沖縄県ではなく米国政府である。

 施政権返還以来、沖縄の米軍基地は幾度も不安定性を示してきたが、その根源的な原因は民意の無視にあった。この度またしても民意を無視して米海兵隊基地の辺野古移転を強行するなら、基地の円滑な運営など望むべくもなく、ひいては東北アジアにおける軍事バランスにアメリカそのものが望まないような不安定性を増大することは、火を見るより明らかである。私たち世界平和アピール七人委員会は、このことを日本政府が直視し、沖縄の民意を重い委託と受け止め、アメリカ政府と真摯に向き合うことこそが重要と考える。

 PDFアピール文→ 105j.pdf

世界平和アピール七人委員会が、「原発のない世界」を求めてアピール

2011年9月7日

7月11日、外国特派員協会で発表  日、英、仏、独語で
世界平和アピール七人委員会は、東日本大震災から4カ月となる7月11日、日本外国特派員協会(東京・有楽町)で記者会見し、「原発に未来はない 原発のない世界を考え、IAEAの役割強化を訴える」と題するアピールを発表した。アピールは日、英、仏、独語で、日本と世界の市民、リーダーに呼びかけている。会見には池田香代子、池内了、小沼通二、武者小路公秀、辻井喬の5委員が出席し、記者たちの質問に答えた。

発表されたアピールでは、「私たちは、全世界の原子力発電所すべての廃止を決定すべきだと考える」と呼びかけている。特に日本においては、活断層上の原発の即時停止、複数の原子炉を持つ発電所の規模縮小などを求めた。さらにエネルギー政策の「小型化、分散化、多様化」への転換を提起し、自然エネルギー開発や省エネルギーの推進を促した。IAEAと加盟国に対しては、原子力の軍事転用に限らず大型施設の情報把握を強め、原発事故発生時には国際専門家チームを組織して主体的に収束に努めるよう希望した。

講演会&シンポジウム in 篠山

2011年9月7日

講演会&シンポジウムin篠山 世界平和アピール七人委員会の2011年講演会は、委員会創立者であり、世界連邦の提唱者でもあった下中弥三郎(元平凡社社長)の没後50年を記念して、下中弥三郎の生まれ故郷、兵庫県篠山市で開かれることになりました。
主催は七人委員会と下中記念財団、篠山市の実行委員会、市や市教育委員会も共催します。
講演会は、「篠山で考える日本と世界」と題して、11月12日(土)午後1時30分~5時、篠山市民センター・多目的ホール(篠山市黒岡191)で。また、「地域力を強める ―これからの日本― 」と題するシンポジ ウム が、翌13日(日)午前9時30分~12時、篠山市立丹南健康福祉センター(篠山市網掛301)で行われます。
これらの企画参加者は、事前申し込みが必要です。篠山市のホームページをご覧ください。
篠山市のホームページ(世界平和アピール七人委員会講演会&シンポジウムin篠山)

下中弥三郎は幼くして父を失い、独学で学んで教師となり、平凡社を創業しました。篠山は瀬戸、常滑、信楽、備前、越前などと並ぶ「日本六古窯」の一つ「丹波焼」の里。

講演会の前日11日には、篠山市教育委員会主催の学校行事として、地元、今田小学校5年生から中学校3年生までの児童・生徒全員を対象とする池田香代子委員と小沼通二委員、弥三郎の孫の下中美都による講演会が開かれます。保護者や一般市民の参加も可能です。13日午前には、地元・今田の「やさが塚」での記念植樹、また、11月上旬からは、立杭陶磁器協同組合主催で立杭の「陶の郷」で下中弥三郎作の陶芸品などの展示、10月中旬から下中記念財団主催で下中弥三郎の出版と教育助を紹介する篠山市立中央図書館での展示などの関連記念行事が計画されています。

講演会
2011年11月12日(土)午後1時30分~5時
篠山市民センター・多目的ホール

シンポジウム
2011年11月13日(日)午前9時30分~12時
篠山市立丹南健康福祉センター

ちらし(20111112.pdf)

2011 104J 原発に未来はない;原発のない世界を考え、IAEA の役割強化を訴える

2011年7月11日
アピール WP7 No.104J
2011年7月11日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 池田香代子 小沼通二 池内了 辻井喬
2011年3月11日に発生した東日本大震災の地震と津波、東京電力福島第一原子力発電所事故に際して、国内・国外の市民や各国政府から多大の援助、特に福島原発事故の対策については不可欠の技術協力、をいただいている。原発の過酷な事故現場では多数の人たちが日夜対応に当っている。これらすべてのひとたちに対して、心から感謝の意を表したい。

 世界平和アピール七人委員会は、天災のなかでおこった人災としての東京電力福島原子力発電所事故について、われわれ日本人と全世界の人々がともに考え、ともに対策を練るべき問題が山積していると考える。日本と世界諸国の市民、学界、言論界そして政府関係者、特に原発はやめられないのではないかと考えている人たち、が真剣な検討を進めてくれることを切望する

1. 東京電力福島第一原子力発電所事故
 巨大な地震と津波が襲いかかった東京電力福島第一原子力発電所(以下福島原発と略す)では、人的なまずさが重なり、すべての電源が失われ、6基の原子炉中、運転中の3基でメルトダウンが起こり、停止中の3基の中の1基も含めて4基で水素爆発が起こって、大きく損傷し、空中、地中、海中の環境に多大な放射性物質が放出されるという、起こしてはならない事態を生じ、廃炉にせざるを得なくなった。日本の太平洋岸の原子炉20基と六ヶ所村のウラン再処理工場は、定期点検で停止していた原子炉も含めて、事故発生後すべて運転を停止している。
 事故発生から4か月経過した現在でも、発熱を続ける核燃料の安定した制御には至らず、短時間に状況が大きく変わる可能性は低減したとはいえ、新たな水素爆発発生の危険性はなくなっていない。また冷却に使った大量の高濃度汚染水の処理はできないままであり、発電所外への放射性物資の放出も収束できず、事故終息宣言が出せないでいる。何が起きたのかの全貌は、まだわかっていない。
 東京電力と経済産業省の原子力安全保安院は、科学と技術のもつ基本的性格と可能性を軽視し、安易に原発利用を進めてきたため、事故発生後適切な対応を速やかに取れず、被害が拡大したといわざるを得ない。
 避難を強いられた人たちは、土地と家と、家族のまとまり、コミュニティ内の絆、いつくしんできた動植物、仕事、精神的安心などを突然失うことを強いられ、被曝者を出し、今日でも、今後の見通しをたてられずに不安定な毎日を送らされている。

2.恐怖と欠乏を免れた平和な生活を
 日本の市民は、第二次大戦までの日本に対して反省をおこない、日本国憲法前文に世界諸国民が「恐怖と欠乏を免れて平和に生存する権利」を持つことを確認した。
 世界平和アピール七人委員会は、1955年の発足以来、不偏不党の立場に立って、世界の平和と繁栄を願って活動を続けてきた。七人委員会が、すべての核兵器と戦争に無条件で反対し、国際協調の下で国連を強化して、新しい世界秩序を打ち立てることを願ってきたのはこのためであった。2009年には「いのちを大切にする世界をめざして」アピールを発表して、「人間の地質圏・生命圏に及ぼす破壊力の自覚の必要性」と「知識開発・権力行使・市場活動の規制の必要性」を強調した。
 しかるに日本の現行の危機管理政策は、経済効果とのバランスを優先し、災害被災地の住民、とくに脆弱な立場の市民の平和的生存権を侵害している事実について十分配慮していない。
 現在、避難を強制された人たち、その周辺で不安に打ちひしがれながら懸命に生きている人たち、さらに距離が離れているにもかかわらず、外で遊ぶことが出来なくなった子供たち、妊娠中・育児中の女性たち、放射性物質が飛来してきて生産物が売れなくなった人たちなどのことを考えると、彼らの基本的人権が侵されていると考えざるを得ない。
 私たちは、“可能な限り”などという安易な言葉は使わず、いつまでも東京電力福島第一原発の被災者との連帯の意識を最優先に考えて、行動していきたい。
 七人委員会は、日本列島の地質圏の不安全性を前にして、日本の政府と財界に対して、エネルギー政策の選択において、事故が起きてからの対策以前に、予防原則にのっとった事前の慎重な政策を採用することを訴えたい。
 日本列島に住む市民は、自然との棲み分けによる共生をめざすべきである。

3. 安心と安全を破壊する原子力発電所の廃止の具体的提案
 原子力発電は、原子炉の中で核分裂によって大量の放射性物質を作り出し、その時の発熱を利用して発電する装置である。運転停止後も、年単位で続く発熱を冷却し続けなければならず、作られた放射性物質は一万年以上管理を続けなければならない。この管理に失敗すれば、理由のいかんを問わず人体を含む環境を汚染する。
 実際に、1986年のチェルノブイリ原発事故と今回の福島原発事故によって、大量の放射性物質が環境に放出され、多数の被災者が発生したことを考えると、今後も、天災あるいは人災による過酷な事故が起こりうると考えなければならない。さらに使用済核燃料中の放射性物質の確実で安全な処理・管理方法が見つかっていないこと、核燃料が限りある資源であること、事故が起きた時の経済性を併せて考えれば、原発は将来の安定した安全なエネルギー源と位置付けることはできない。
 従って我々は、スイス・ドイツ・イタリヤだけにとどまることなく、全世界の原子力発電所すべての廃止を決定すべきだと考える。
 日本における廃止の順序と期限についての具体的提案を以下で述べる。
 日本の原子力発電は、1966年に最初の原子力発電所が茨城県東海村で稼働して以来、拡大の一途をたどり31年後の1997年に53基に達した。翌年、最初の原発を廃炉にしてからも新設と廃炉による増減が続き、福島原発が事故を起こした時点で54基だった。規模の拡大は1997年で止まったのだった。現在発電用原子炉数は米・仏に続き世界第3位の規模である。現在建設中・計画中の発電用原子炉が11基あるが、これらがすべて実現したとしても、初期に建設した原発の廃炉が続くことになるので、原子力発電の規模は減少せざるを得ない。これに対して、当初耐用年限を30年、40年としていた原子炉をこの期限を超えて運転継続するという方針が出されている。これらはすべて、従来の安全審査基準に基づいて審査されたものであって、福島原発事故後、政府自身が、基準が不十分だったことを認め、安全審査基準の見直しを進めることにしていることに留意すれば、極めて危険な選択であるといわざるを得ない。
 これらを考慮すれば
(1)当初の耐用年数に達した老朽化原子炉は、故障の確率が増加するので、寿命を延ばすことなく廃炉にすべきである。
(2)建設中・計画中の発電用原子炉は、不十分な安全審査基準によって認可されたものなので、直ちに凍結・廃止すべきである。
(3)4つのプレートが集まっていて、数しれぬ活断層が地下にある日本では、地震・津波は避けることができない。活断層の上など危険性が高い原子炉は即時停止すべきである。
(4)福島原発事故が終結できない一つの理由は、一つの敷地に6基の大型原発を設置している過密によるものであった。日本の原子力発電所はほとんどすべて複数の原子炉を持っている。複数原子炉は、削減の順序を決め速やかに規模を縮小すべきである。
(5)これらの基準によって廃止されることにならない原子炉があれば、再び大事故が起こりうると覚悟ができた場合に限り、安全対策について万全の策を講じ、国内・国外の第三者の検証をもとめて承認を得たうえで、設置する地元自治体だけでなく、危害が及びうる範囲の市民の同意を条件として、最短期間運転を続ける。これらの条件をすべて満たすことが出来ないならば、これらの原発の廃止に踏み切る以外ない。
 この方式を採用すれば、一番遅い場合でも日本は最新の原発が耐用年数を迎える年までに原発のない国になる。

4. 原発廃止は可能である
 福島原発事故直後から、今後も原子力発電所が不可欠だと発言している人たちがいる。彼らは、「安全性を確保したうえで」というが、これは50年以上言い続けてきた裏付けのない言葉にすぎなかった。1950年代から原子力発電を推進してきた経済産業省(と前身の通商産業省)、その外局である原子力安全保安院は、安全確保のために身をひきしめなければならないのに、福島原発事故の全貌が見えていない段階であり、確認された汚染地域が広がりつつある中で、定期検査のために停止中の原子力発電所について、安全対策が確認できたと主張して再稼働実現を目指して地元への圧力を強めている。
 日本で初めて原子力発電所を建設しようという問題が起きた1950年代後半に、日本学術会議は学術的視点に立って、耐震性を含む安全性、廃棄物処理、採算性などの検討を進め、問題点を指摘した。政府がこれらの提言を誠実に受け止めれば今日の事故は起こらないで済んだ可能性が大きい。
 世界をみれば、再生可能な自然エネルギーの研究・開発・利用は着々と拡大している。過去2年を見れば中国は世界最大の投資を続けているし、原子力大国である米・仏を見ても10位以内の地位を占めている。その中で、日本の状況は微々たるものであって、諸外国との差が大きく広がっている。
 これまでの日本のエネルギー政策は、原子力発電を推進してきた人たちの主導権の下できめられてきた。電力会社は発電から送電、電力販売までを扱う地域独占であり、発電に必要な経費は、すべて自動的に電気料金に上乗せされるシステムになっている。日本のエネルギー関連研究開発経費はほとんどが原子力分野につぎ込まれてきた。外部からの再生可能な自然エネルギーの参入は種々の規制によって大部分が阻まれてきた。日本の遅れの原因は制度上のものだったのである。
 このたびの原発事故に対して苦悩の中で対応している福島県民が、二度と原発による被災者を出さないために、すべての原発に別れを告げ、再生可能な自然エネルギーの、日本における最先端県を目指す歩みを始めたことを、七人委員会は高く評価し、全面的に支持したい。
 しかしこれは福島県民だけの問題ではない。20世紀型の自然支配をめざした大量生産、大量消費、大量廃棄社会を維持し続けるか、自然の脅威を恐れつつ、その恩恵に感謝してこれを利用する21世紀、22世紀を目指すかの、日本全体の、そして世界的選択の問題である。
 われわれ世界平和アピール七人委員会は、将来に向けたエネルギー政策を速やかに進めるために必要な手順を提言したい。
(1) 再生可能な自然エネルギーの研究・開発・利用の速やかな拡大を優先して進める。大型化・集中化・一様化から、小型化・分散化・多様化への転換をはかり、これを支えるための種々の規制の撤廃を進める。
(2) 日本では、市民と企業の間に省エネルギー意識が急速に浸透しつつある。電力使用量の一層の削減、省エネルギー機器の採用・普及によるエネルギー効率の向上、電力使用時間の分散化の徹底、自家発電の推進によって電力使用のピークを大きく減少させる。
(3) 前2項の拡大とともに、残存原子力発電所の運転期間を短縮が可能になるし、させなければならない。
 日本での電力不足は、一年のなかで、夏の短期間の午後の数時間の電力使用ピークの問題なのである。エネルギーはほしいだけ作るという経済論理でなく、利用できる範囲で生活すると考え、市民の平和的生存権を優先させることが大事である。
 歴代の自民党政権は、日本は核兵器製造の能力を持つが、その政権が続く間は造らないといい続けてきた。そのうえで、原子力発電を拡大し、大量のプルトニウムを保有し、ウラン濃縮技術も手に入れた。この政策は、核兵器の有用性に裏付けられた核の傘への依存とともに、海外から日本の意図について長年の間、疑惑の目で見られてきた。原子力発電からの離脱に向け舵を切れば、この疑惑を払拭することも可能になる。

5. 原子力発電所へのIAEAの関与の一層の強化を
 国連の専門機関として1957年に発足した国際原子力機関(IAEA)は、原子力平和利用に貢献し、軍事利用への転用の防止を確保するために活動してきた。1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原発の事故では、放射性物質の放出は事故の10日後に収束でき、4か月後の8月25日から29日までIAEAが主催してウィーンで専門家会議を開催し事故を分析した。
 われわれは、福島原発事故発生に際し、意見の違いを乗り越えて、速やかな収束にむけて国内・国外の全面的な協力が進められることを希望し、批判を控えてきた。しかし事故発生後4か月経過した今日になっても、遺憾ながら事故の実態を分析できる段階になっていない。
 東京電力と原子力安全保安院の事故に対するこれまでの対応を見ると、見通しのない、その場しのぎの極めて歯痒いびぼう策の繰り返しが多く、最も楽観的な期待を事実であるかのように述べ、次々に予測が外れ、後手に回り、起こしてはいけない被害を拡大させた。
 日本では原子力基本法に公開の原則が決められている。それにもかかわらず、東京電力と原子力安全保安院の透明度は極めて低く、実態がなかなかみえず、刻々と変わる状況に対し市民が適切な判断をすることは非常に困難だった。東京電力と政府は、市民を信頼して、不明なことは不明とし、危険は危険として、事故の状況と将来への見通しを速やかに公開しなければならない。
 原子力発電所の事故の影響は、国境を越え、領海内にとどまらず波及することを考えれば、対策は本来当事者に任せるだけでなく、国内・国外の英知を結集して当たるべきである。
 IAEAは、平常時から、安全性について科学技術的側面と社会的側面についての国際的基準を作成し、軍事転用の可能性についての現地査察にとどまらず、各国の原子力平和利用の大型施設の情報把握を一層強化していくべきである。さらに万一原発事故が起きた場合には、要請を受けてから助言をし、協力し、情報を収集して加盟国に報告することにとどまらず、主体的に国際専門家チームを組織し、事故の完全収束にむけて、全面的な処置の中心になる体制を整えていくようIAEA ならびに加盟各国に希望する。
 なお我々七人委員会は、現在日本を含めた各国で進められている原子力発電所輸出の動きは、輸出先国に原発事故による過酷な被害の可能性を輸出することになるので、行うべきではないと考える。また持続可能な自然エネルギー研究・開発・利用の国際協力こそ積極的に強化すべきだと訴える。

6. 結び
 日本は3.11東日本大震災における東京電力福島第一原発爆発の人災を経験することで、広島・長崎・ビキニにおける核の軍事利用の被災国であることに加え、平和利用の原発の被災国となった。
世界平和アピール七人委員会は、日本の多くの市民と思いを共有して、核の軍事利用の廃絶とともに原子力発電所を全廃する世界に向かう道を歩むことを、日本および全世界の良識ある市民とリーダーとに求めるものである。

以上

 PDFアピール文→ 104j.pdf

2010年講演会「武力によらない平和を」に350人 井上さんの「思い」引き継ぎ、辻井喬さんも初参加

2011年3月10日

世界平和アピール七人委員会の2010年の講演会が、2010年11月12日、東京・お茶の水の明治大学リバティタワーで開かれた。総合タイトルは、「武力によらない平和を 日米安保・沖縄・核」。
明治大学軍縮平和研究所が共同主催し、準備や当日の進行を同研究所の院生ら若い力が支え、参加者は、約350人。4月に亡くなった井上ひさし委員の思いを次代へ引き継ぐ願いも込めた講演会で、新しく加わった詩人で作家の辻井喬委員も、「東アジアの平和構築」をテーマに講演した。(詳細はこちらで)
講演会後には、神保町のレストラン「アミ」で懇親会を開き、約50人が参加、夜遅くまで講演会の盛会を祝った。

→ 2010年講演会

2010年講演会「武力によらない平和を」に350人

2011年3月6日

 井上さんの「思い」引き継ぎ、辻井喬さんも初参加

「九条は世界の宝」(辻井さん)
「沖縄 命どぅ宝」(大石さん)

講演会は、まず、小沼通二委員・事務局長が開会のあいさつ。
続いて、詩人・作家の辻井喬さんが、「軍事力を行使しないと宣言した唯一つの経済大国である日本。九条は世界の宝であり、われわれは堂々と世界にこの宝を広めよう。アメリカの核の傘の下で、被爆国日本の安全保障を求める精神はおかしい」と、日本の平和への役割を語った。

続いて登壇したのは、大石芳野委員。「沖縄 命どぅ宝」(ぬちどぅたから)」と題して、自らが長年にわたって撮影した写真をスクリーンに映しながら解説。「集団自決」などで戦争の傷を負い、今も戦争のための米軍基地と向き合わざるをえない、一人ひとりの人間について話した。

 
「日本を分断させるな」(武者小路さん)
「政策介入に問題」(土山さん)
「言論状況に問題あり」(池田さん)

武者小路公秀委員は「日米同盟と沖縄」と題し、大石委員の話を受けつつ、沖縄の現状と国際状況のつながりに言及。本土と沖縄の温度差に触れて、「本土と沖縄とに、日本が『分断』されてよいのか」と問題提起し、会場の人々に強い印象を与えた。
土山秀夫委員は「日米安保と九条」をテーマにことの本質に迫り、安保条約の成り立ちや「思いやり予算」の拡大、アーミテージ米元国務副長官らによる日本の政策決定への介入などを指摘。安保より、憲法9条の理念を活かす道を提起した。
池田香代子委員は、広島、長崎以来、人類が膨大な核兵器を蓄積してきたことを物語る橋本公氏の作品「オーバーキルド」の上映も入れて、「核はいらない、過去も未来も」と訴えた。尖閣問題をめぐる日本の言論状況への危惧も語った。

休憩時間をはさみ、後半に移ったが、休憩時間にも大石芳野委員が撮影したカラー・スライド写真「沖縄の情景」の映写を行った。後半は委員全員が登壇して、討議と質疑応答に入った。


「時間の地平線」(池内さん)
「独立国」か「植民地」か、「九条」か「安保」か 全員が討論
まず司会役の池内了委員が、「辻井さんは日本は独立国でなければならない、と語り、武者小路さんも日本は米国の半植民地だ、とした。そのうえで土山委員が、日米安保か憲法9条かという問いを出した」と、前半の講演の流れをまとめた。
それに対し、池内氏自身の意見として、軍事基地のある所こそが最初に狙われるのであって、芸術の香ぐわしさに満ちた国をどこが攻めようかと、平和主義の「強み」を強調。「思いやり予算でピカソの絵を買えば、どれほど買えるか」とも述べた。また「時間の地平線」という言葉を紹介し、どれだけ将来までを見通して、一歩ずつ状況を変えていくことが出来るかが、大切なことだと語った。
 討議に入り、各委員が補足発言やお互いのやりとりをした。
辻井委員は、「日本は独立国になっていないと述べたが、独立国になれる環境は整いつつある。冷戦が終わり、さらに米国一極集中も崩れ始めている。世界経済が今の長いトンネルを抜けた時、世界はもっと多様化しているかもしれない。その中で日本は経済の一極になるのではなく、平和憲法を持つ唯一の国として、平和的役割を果たす国になるべきだ」と語った。
「沖縄の優しさ」、憲法の「反植民地主義」も議論
大石委員は、沖縄の優しさの理由を問われ、「たしかに沖縄の人たちは『人を傷つけたら自分が辛いでしょう』と語る優しさを持っている。その沖縄の人が、他県の人に同じ苦しみを味あわせたくないと従来言わなかった「基地の県外移設」を、ここ数年、口にし始めた」と話した。
「本土で花と言えば『花は桜木、人は武士』。しかし沖縄で花と言えば、大小さまざまな花を思い浮かべる。そういうことが、沖縄の優しさの原因ではないだろうか」と武者小路委員は話した。
「沖縄の海兵隊は南北朝鮮有事のためにおり、台湾海峡の時には第七艦隊が出るというのが軍事専門家の一致した見方だ。そうであれば、韓国が受けるかどうかの問題があるが、海兵隊を韓国に移すという議論の試みも一度あってよいのかもしれないと思う」と土山委員は述べた。
会場からの質問は多数に上った。各委員が、そのうちのいくつかに対して答えた。
「日本が独立するために必要なことは?」という質問に、辻井委員は「第一に、優秀な人が政治家になれるような環境をつくること。第二に、日本のメディアが、米国の特定の研究者の言い分だけを聞くような今の姿勢を改めることだ」と語った。
「沖縄差別の根源は?」という問いに対しては、大石委員が「やはり歴史が大きいのだろう」とし、差別をなくすには「その身になって考えること」と言った。
植民地に関する質問もあった。武者小路委員は、「日本国憲法前文の平和的生存権、『恐怖と欠乏から免れ』という文言は、日本がアジア諸国に恐怖と欠乏を押し付け、生存を脅かしたことへの反省にほかならない。日清戦争後の下関条約のとき、欧米列強は『日本が清国と儒教的に解決してしまうのではないだろうか』と恐れた。しかし、日本は帝国主義的に、台湾割譲や賠償金を清に要求したため、安堵したという。反植民地主義の側に立つ選択肢も、歴史的に日本にはあったのだ」。
「テポドンを射ってきたら、との疑問に対してどう答えたらよいのか」という質問もあった。土山委員は、こう答えた。「米国の専門家によれば、テポドンを射てば、米国のネオコンが、えたりやおうとピョンヤンを壊滅させるだろう。だから北朝鮮は米国と話し合いたいのだ」
「日本は中国になめられている」という声もあるが、との意見に、池田委員は「一番なめられているのは、アメリカにではないかと私は答えている。すると相手は『そりゃアメリカには戦争で負けたからさ』と言う。でも中国にも負けたのだと思うのだが。なかなか話が通じない」。

「武力の依らない平和」は空想ではない
最後に、「武力によらない平和」がどうやったら可能なのか?という疑問に対して、全体の司会を務めた小沼委員が立ってこう語った。  「長い歴史で考えてみよう。日本国内でも、戦国時代には隣人同士で互いに戦っていた。今は、そのようなことは全くなくなったではないか。ヨーロッパにおける独仏の関係も、繰り返し戦った長い歴史は過去のものになり、友好関係に変わった。厳しい冷戦の象徴であったベルリンの壁の崩壊は、直前まで誰にも予想しえなかった。しかしチャンスが来たときにそれを捉えることができるためには、常に考え、準備を続けていく必要がある。そうすれば、いつ来るのかは分からなくても、チャンスが来た時に、それを捉えて変化させることができる。アジアだって真に一つになれるだろうし、ならなければならない。武力によらない平和は空想ではなく、可能だ。私たちは楽観主義でありたい」
おわりに福田邦夫・明治大学軍縮平和研究所長が閉会の言葉を述べ、午後6時の開会から3時間を超えた講演会を締めくくった。
(了)