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今月のことばNo.3

2014年12月6日

七人委員会の誕生
―七人委員会の歴史から 1―

小沼通二

平凡社の創設者下中弥三郎は、1948年創設の世界連邦建設同盟に1952年に参加し、1954年に理事長に選ばれたが、天衣無縫な運営に批判があった。そこで平和を脅かす問題に対し、組織の手続きにとらわれず、機を失せずに「日本の良識の声」を自由に発表したいと思い始め、賛同者候補の人選を進めた。候補者への参加要請は、下中の意を受けた日高一輝(日本バートランド・ラッセル協会常任理事)が当たった。

1955年9月に、湯川秀樹(京都大学基礎物理学研究所長)、茅誠司(日本学術会議会長)、上代たの(日本婦人平和協会会長)、平塚らいてう(日本婦人団体連合会会長)の順(上代と平塚の順序は逆という記録もある)に交渉し、賛同を得た。続いて、植村環(日本YWCA会長)、前田多門(ユネスコ日本委員会理事長)の参加が決まり、この七人で発言していくことにした。日高は事務局長に就任した。

この年は国連発足10周年で、4月にはバンドンでアジア・アフリカ会議が開催され、7月には、前年のビキニ水爆実験による第五福竜丸などの被曝事件を受けて、湯川も参加したラッセル・アインシュタイン宣言が発表された。

11月11日に世界平和アピール七人委員会が発足した。この日に発表した「国連第十回総会に向けてのアピール」は、日本国憲法の前文を踏まえ、ラッセル・アインシュタイン宣言が述べた核兵器による人類絶滅の危険性と戦争絶滅の必要性を訴え、国連にすべての未加盟国を加盟させて世界連邦に発展させ、1957年に国連総会と併行して世界人民会議の招集を求めるものだった。

このアピールは翌12日に国連事務総長と国連総会議長に送付され、コピーが世界81カ国の元首か首相と平和団体に送られ、国内では首相と衆参両院議長に届けられた。コピーが箱根のパール・下中記念館に残されている。

(『世界に平和アピールを発し続けて―七人委員会46年の歩み』(平凡社、2002)、『下中弥三郎事典』(平凡社、1965)、平塚らいてう『続 原始女性は太陽であった―自伝(戦後編)』(大月書店、1972)、当時の新聞を参考にした。第1回アピールはhttps://worldpeace7.jp/modules/pico/index.php?content_id=116、ラッセル・アインシュタイン宣言はhttp://www.pugwashjapan.jp/r_e.htmlなどにある。)(2014年11月1日)

七人委員会初代委員のサイン

第1回アピールへの七人の署名(パール・下中記念館(箱根)所蔵)

アピール「日本の岐路と日本国憲法の重み」を発表

2014年12月5日

世界平和アピール七人委員会は、2014年12月5日、「日本の岐路と日本国憲法の重み」と題するアピールを発表しました。
委員会は、日本国憲法の危機に当たって、ずっと議論を続けてきましたが、衆院総選挙をひかえ、急ぎ発表することになりました。

アピール「日本の岐路と日本国憲法の重み」

2014 114J 日本の岐路と日本国憲法の重み

2014年12月5日
アピール WP7 No. 114J
2014年12月5日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫

 今年の日本は、安倍政権が、集団的自衛権の行使容認、特定秘密保護法、原発再稼働への動きなど国民の批判が強い問題につき、説明を尽くして国民の支持を得ようとするのでなく、強権的に既成事実作りに走り続けるという、前例のない年であった。しかも政府与党は、年末の衆議院選挙によって、小選挙区制の下での多数の野党の存在という状況の中で、相対多数を占めることができればすべての政策に白紙委任状を手に入れたとすり替えて新年を迎えることが予想される。

 ひるがえって日本国憲法を見れば、前文の最初の文章は、「日本国民は、・・・主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」となっている。第11条は、「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。」とされ、第99条に、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」と書かれている。
 これは、この憲法が施行される前の大日本帝国憲法が、明治天皇(朕)によって現在及び将来の臣民に対し「不磨ノ大典」として宣布され、「現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ」と書かれていることと全く逆である。
 ここで自由民主党の日本国憲法改正草案(2012年4月27日)を見ると、最初の文章が「日本国は・・・」から始まり、「国民主権」と言いながら、「国は・・・」を繰り返し、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」(第102条)としている。これは、世界の民主主義国家の憲法と違い「国」が国民に与える憲法の草案になっており、大日本帝国憲法の復活を画していると言えよう。

 安倍首相が、最高責任者の自分が日本の理想や国の在り方、未来への針路を決めると高言して、国会を軽視し、選挙期間を除き国民を無視するのは、国務大臣として、国会議員として、尊重し擁護しなければならない現行の日本国憲法に明らかに違反している。

 日本は、現在重大な岐路に立っている。日本国憲法の前文と第9条を素直に読めば、日本が向かうべき道は安倍政権と与党が進もうとしている道でなく、全世界の諸国と友好関係を維持する非武装永世中立国だということになる。抵抗があり、回り道があってもこれは国連の基本精神とも合致する方向である。世界中の人々が戦争の惨禍を避け安心して安全に生きていくために、実現を目指して共に一歩一歩進むべき道であると確信する。

PDFアピール文→ 114j.pdf

「今月のことば」欄新設

2014年11月12日

七人委員会委員が交代で、ホームページのこの欄「今月のことば」にエッセイを掲載していくことにしました。最初の2点をご覧ください。来月から半月ごとに1点ずつ追加していく予定です。感想やご意見があればお聞かせください。

今月のことば

今月のことばNo.2

2014年11月12日

重大な岐路に立つ沖縄

大石芳野(写真家)

先日、「重大な岐路に立つ日本」というテーマで七人委員会の講演会を行った。時間切れで発言できなかったためこのリレーエッセイの場を借りて提起したい。それは沖縄の米軍基地についてだ。11月16日、沖縄は知事選の投票日。福島の知事選では原発が争点の中心にならなかったが、沖縄では辺野古埋め立ての是非が明確な争点になっている。4人の候補のうち賛成は1人、反対は2人、1人は住民投票だ。まさに沖縄のターニングポイントである。

新たな辺野古埋め立てに関しての世論調査では住民の80%が反対を表明していると言う。しかも、米軍基地であり続けるよりも返還地に観光地など住民が参加できる施設を造った方が経済的な効果が上がるという試算も具体的に出ている。

米軍治世27年間を経て日本に復帰してから42年が過ぎたが、米軍基地を巡って、住民の尊厳を蔑(ないがしろ)にする歳月が続いてきた。日本全体でみれば米軍基地は減少しているのに、沖縄の基地を利用し続けようとする日米政府の政策によって、面積が日本全体の0.6%に過ぎない沖縄県に全国の<米軍専用>米軍基地の74%が集中するという異常事態になっている。

歴代政府の政策は、沖縄の住民は無視しても構わないという意味合いに繋がる。これまで多額の資金を注ぎ込んだではないかとの主張もあるが、なかば押し付けられた投資によって住民は平穏な生活権を奪われた。人権の侵害だともいえる。端的に言えば棄民として扱われてきたということではないか。

米軍基地は沖縄だけで解決できるものではない。住民が反対しても日本政府がアメリカと交渉しない限り、動くのは難しい。まさか、アメリカから「住民の反対で引き揚げる」との申し出を待っているわけではないだろう。いずれにしてもこの問題は、沖縄の住民に米軍基地を押し付けてきた私たち全体の怠慢だ。

沖縄の米軍基地、とりわけ辺野古の埋め立てをめぐるアメリカの「日本への要求」は、共和党の勢力拡大によって沖縄県知事選の結果いかんにかかわらず集団的自衛権を背景に強まるだろう。基地の強化によって中国や朝鮮半島の動きと取り組もうというきな臭さは、外交努力を積み重ねることで解消させていかなくてはならない。沖縄は差し迫った日本の重大な岐路となる象徴的なテーマだと思う。
(2014年11月8日、修正9日)

今月のことばNo.1

2014年9月20日

大西洋のアフリカ沖の「日本国憲法第九条の碑」を訪問して

武者小路公秀

2014年夏、ピースボートにひと月足らず乗船して一番思い出に残ったのは、8月26日スペイン領カナリア諸島のグラン・カナリア島のテルデ市で訪れた「日本国憲法第九条の碑」でした。ロータリーの一隅にしつらえた小公園「広島・長崎広場」の、スペイン特有の建物を背にして掲げられた碑から予想しなかったショックをうけたのです。純白のタイルに青々と焼き付けられた文字がスペイン語に翻訳された「日本国憲法第九条」でした。

この高く掲げられた碑と、そのそばにスペイン語と英語と日本語で刻まれた「平和」の文字は、日本国憲法とその背景となった広島・長崎の被爆体験に捧げられた市民の深い平和に対する信念を力強く表していたのです。スペインが1982年にNATO(北大西洋条約機構)に加盟したとき、スペイン全土で加盟反対の運動が盛り上がり、テルデ市は当時の市長、議会が反対を表明して非核都市を宣言しました。1996年に日本国憲法を知った市長が言い出して、この碑を小公園に建てて、「広島・長崎」広場と命名したのでした。軍事活動を一切拒否する憲法第9条の真の意味を、私自身よりもはるかに正しく理解しているこのアフリカ沖の亜熱帯の市民への尊敬を、私は深く感じました。

日本国憲法制定後、前文の平和主義と、戦争を放棄し一切の戦力をもたないとした第九条の解釈を曖昧にして次々に変え、自衛隊から集団自衛権まで認めてしまった日本。その平和主義者の一人としてこの碑を建立したテルデ市民たちの真っ直ぐな日本国憲法の解釈に出会ったことは、大げさにきこえるかもしれませんが、かなり衝撃的でした。私は、この碑をおとずれたことで、これまで日本が憲法第九条の解釈改変を重ねてきたことへの恥ずかしい気持ちを日本に持ち帰って来ました。初心に帰れずにここまで来た自分を恥ずかしく思うようになっていることを、みなさまにご報告いたします。(2014年10月31日)

ラスパルマス テルデ市 九条の碑2014

テルデ市広島・長崎広場の筆者(右)と勝俣誠氏(明治学院大学)。右上に九条の碑。

九条の碑

スペイン語の日本国憲法第九条

2014 113J 原発再稼働の条件は整っていない

2014年7月18日
アピール WP7 No. 113J
2014年7月18日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎

原子力規制委員会は、審査を進めてきた九州電力川内原子力発電所1・2号炉について「新規制基準を満たしている」とする審査書案を7月16日に了承し、ただちに科学的・技術的意見の公募を開始した。8月中にも正式な審査書として決定すると伝えられており、政府と九州電力は、これを受けて速やかに再稼働させるとしている。
しかし原子力規制委員会の審査は、過酷事故の防止と発生した場合の拡大を防止する技術的方策について、東電福島第一原発の事故の実態が不明のまま1年前に決めた新規制基準への適合性を調べただけのものである。安全対策設備の中には、審査の終盤に新たに設置がきまったものもあり、九州電力は7月末までの完成を目指して工事を進めていると報じられている。事故時の対策の拠点となる「オフサイトセンター」の改修完了は2015年3月と言われている。これが事実なら、工事完成の確認をしないまま審査終了の結論をだした原子力規制委員会は、責任を持って審査をしなければならない権限を放棄していることになる。
さらに、これらの基準を満たしたからといって、原発再稼働にともなって必要になるその他の事項
①事故が発生した場合に、影響が及ぶことが予想される範囲の住民の安全な避難計画、
②発生する放射性廃棄物、特に高濃度廃棄物の処理方法、
③使用済核燃料の処理と管理、
④廃炉後の解体処理、特に過酷事故を起こした原子炉の処理
などは、原子力規制委員会の権限外として何らの検討も行われていないことを指摘したい。
これら未解決の課題は、1950年代に日本の原発計画が開始され1960年代に運転が始まった時に問題にされたにもかかわらず、事故は起こらないと根拠なく主張して、技術発展を期待して先送りにされてきたものであり、責任の所在をあいまいにしたまま、これ以上積み残しにして先に進むことは許されない。
この審査によって原子力発電所の安全が保証されたものではないことは原子力規制委員会自身も認めており、原発再稼働の条件が整ったかのようにすり替えて喧伝する政府、電力会社、財界などの姿勢は完全な誤りである。
東電福島原発事故から3年を経過したのに、この事故の実態は解明されるに至らず、放射能によって汚染された大量の水や瓦礫などの処理の見通しは立たず、事故収束にはほど遠いままであって、被災者は生活再建の目途すら持てないでいることを忘れてはならない。
2011年以来、事実上原発を稼働せずに今日まで来ることができた日本は、二度と過酷事故が起こることはないだろうという根拠のない願望に頼って、原発の必要性についての合理的説明を欠いたまま原子力社会に戻るのか、原子力に依存しないエネルギー戦略を追求する世界の潮流に沿って進むのかの重大な岐路に立っている。私たちは、国民一人ひとりがこの事態を真剣に考え、未来の世代に対して責任の負える判断と行動を行うよう要望する。

PDFアピール文→ 113j.pdf

2014 112J 民主主義を破壊する閣議決定を行わせないために、国民は発言を

2014年6月12日
アピール WP7 No. 112J
2014年6月12日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了

安倍晋三首相は、「国の交戦権は認めない」と明記している日本国憲法の根幹に反する集団的自衛権の武力行使容認をめざし、憲法を改正しないまま、あいまいな形で速やかに最終的閣議決定を行い、実施を強行しようとしています。私たちはこの動きに強く反対します。
首相は、米国との絆を絶対視し、日本国内の米軍基地と無関係に日本周辺の米国海軍が攻撃されるとか、米国本土が攻撃されるなどの現実的でない事例を示して限定するかのように見せかけています。ところが、武力行使は対立する一方の考える通りに進むものではないので、空想的な限定は意味を持ちません。最前線だけで戦闘行為が行われる時代ではなく、攻撃と防御は一体化しています。したがって武力行使の範囲が限りなく拡大することを可能にする議論になっています。
一連の動きに対して、自衛隊員も含めて人を殺すことはいけないという規範の下で生きてきた国民の支持は得られていません。専門家集団である憲法学者は一致して反対しています。それなのに、国会での審議も最短時間に留め、異なる意見には一切耳を傾けようとしていません。与党間協議でさえ十分な検討の時間を割くことなく駆け抜けようとしています。
国連憲章には確かに集団的自衛権が認められています。しかしこれは安全保障理事会が必要な措置を取るまでの間の臨時的な権利です。権利は義務ではありません。行使しなくても、行使できなくても問題ありません。日本は、1956年の国連加盟以来この点での支障は一度も起きていないのです。国連憲章の本来の原則は、紛争の平和的解決であり、平和に対する脅威、平和の破壊に対する非軍事的措置が優先されています。紛争解決へは、非難の応酬でなく、外交手段と民間交流の推進による信頼醸成の強化、軍備増強でなく軍縮への努力こそ進めなければならないのです。これは日本国憲法の基本的精神に沿う途です。
首相の言動は、国民主権の下での三権分立に基づく法治国家としての日本を破壊し、日本が攻めてくることはないと信じてきた周辺諸国をはじめとする世界における日本の評価をおとしめ、近隣諸国の軍備増強に口実を与え、日本の危険を増大させるという取り返しのつかない汚点を歴史に残すことになります。
黙っているわけにはいきません。今こそ主権者である日本の国民は、自らの考えを発言し、政府に誤りない日本の針路を選ばせるべきときです。

PDFアピール文→ 112j.pdf