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2016 120J 「フクシマ」の教訓を忘れたのか!

2016年3月1日
アピール WP7 No.120J
2016年3月1日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫

 東京電力福島第一原発の爆発から5年になるが、融け落ちた炉心の核燃料の状況を含めて事故の全貌は未だ把握できず、高レベルの放射能汚染も手がつけられない状態が続いている。巨額の税金を投じている除染の効果も、350億円の税金を投じた地下水処理の凍土遮水壁の有効性の見通しもあいまいである。高濃度の汚染水貯蔵タンクは1106基(2016年2月現在)あり、さらに増え続ける。2号機からの放射能漏れや、甲状腺ガンの疑いなども相次いでいる。原発関連死は2000人を超えて直接死を上回り、毎年多くの自殺者が相次いでいる。福島第一原発の処理は日本の原発が抱える最優先課題だが、問題は山積していて、毎日7000人が作業しているにもかかわらず、事故の収束にはほど遠い。
 福島第二原発については、運転の可能性が全くないにもかかわらず、廃炉すら決定していない。
 東京電力は、炉心溶融と直ちに判定できる基準があったことを、外部からの求めに応じて調査するまでの5年間、気が付かなかったと公表した。これは、隠ぺいしてきたのか、それとも無能で無責任な集団だったのか、どちらにせよ原発のような重大な潜在的危険性のある施設を運転する能力と資格に欠けていることを示している。

 このような状況の下で、原子力規制委員会は、停止状態にある各地の原発の再稼働に向けて、限定された技術的項目についての審査を進め、次々と合格サインを出している。特に、運転期間40年の原則を超えて60年間運転を継続しようとする関西電力高浜1、2号機について、2月24日に規制基準を満たすとする審査書案を了承し公開した。しかしこの審査書案では、経年劣化が進む老朽原発を60年間運転できると判断した技術的根拠が示されていない。またすでに3、4号機の再稼働が行われているなかで、合計4基の稼働を事実上了承したことは、福島第1原発で過密であったために事故が拡大した教訓を全く学んでいないことを示している。安倍晋三首相は、規制委員会の審査項目以外にも重要な問題点が多々あるにもかかわらず、再稼働に対して十分な判断を得たと強弁して、原発推進を続けている。さらに同様の説明の下で、海外への原発輸出も積極化させている。これでは、政府と電力会社が3・11以前の無責任な安全神話思考に完全に戻っていることになる。

 福島では、10万もの人びとがふるさとを追われたまま5年後の今も避難生活を強いられている。ウクライナ政府が、チェルノブイリ事故後、年間被曝量1mSv(ミリシーベルト)以上の地域は移住権利ゾーンであり、0.5 mSv以上の地域は放射能管理強化ゾーンだと法律で決めたのに、日本政府は「年間20 mSv」という高い「基準」に緩めて、健康に問題がないから帰還せよという。住民はこの数字を俄かには信じられず、不安が募る。地域の復興がなければ戻っても孤独を強いられるだけだ。首都圏や他府県からの差別といった苦渋の日々もある。福島県民が使用しているのは東北電力だから、使っていない東京電力による放射能汚染は理不尽の一言に尽きる。まるで戦争に巻き込まれて、戦闘は終わっても戦争の被害は終わらない事態が続いているのと酷似している。
 「生業を戻してほしい。」どの職種の人であっても、避難者たちの思いはこの点で一致している。とりわけ農業は土と生きるから深刻である。放射能汚染にまみれた田畑の表土を剥す除染が随所で行われている。だが表土こそいのちの農業にとって、これは人生を否定されたことに等しい。
 こうした事態のなかでの再稼働推進を、被災者たちは「私たちを切り捨てるのと同じだ」と語気を強めて反発する。5年前の震災以降すべての原発が停止し、世界的に石油価格の高騰が続いた中でも、電力は足りて余裕があった。原発再稼働は目先の経済優先が目的であって、電力供給においては不要なことが明らかだ。放射能の恐怖と凄まじい混乱を経験し、見聞した日本は、再稼働を進める状況にはない。
 再生可能な自然エネルギーは、放射能と無関係で、脱炭素社会にも貢献する。自然エネルギー先進諸外国(とくにドイツ、中国、米国)の動向を見れば、経済性の改善も進み、利用が広がっている。日本でも、破たんが明らかな原子力優先をやめて、自然エネルギー研究開発利用を促進しないと、格差は広がる一方で、これからのエネルギー問題で世界に伍していくことはできない。
 何が本当で何が嘘だったかは、歴史が明らかにするだろう。「フクシマ」の教訓を風化させ、政府と企業の暴走を許すのであれば、日本中の私たち皆にも責任があることになる。

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2016 119J 朝鮮民主主義人民共和国の核兵器実験と衛星打ち上げに際し、緊張緩和へのすべての関係者の努力を求める

2016年2月10日
アピール WP7 No.119J
2016年2月10日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、1月6日に第4回核爆発実験を行い、2月7日に地球観測衛星「光明星(クァンミョンソン)4号」を地球周回軌道に打ち上げたと発表した。
 私たち世界平和アピール七人委員会は、10年前に北朝鮮が行った最初の核兵器実験に際し、2006年10月11日にアピールを発表し、いかなる核兵器実験も行うべきでないと北朝鮮に求めた。それとともに、核兵器保有国と、依存国の根本的政策転換と、速やかな核廃絶を実現させるためのあらゆる努力を要望した。今日この考えにいささかの変更もない。
 北朝鮮の核兵器開発をやめさせようとするこれまでの国際的努力は、ことごとく成功しておらず、その間に核兵器能力が強化されてきた。単に非難決議を繰り返すだけでは、今後も同様の失敗が続くだろう。現在、国際社会においては核兵器の非人道性の認識がますます広がっており、2015年の国連総会で設置が決まった「核軍縮に関する国連作業部会」は今月中にジュネーブで開幕される。設置決議に棄権した日本政府も、最近参加を決めた。日本が自ら核の傘への依存から抜け出す具体的な方策を示すことができれば、国際社会における発言力が格段に増大し、北朝鮮に核兵器を放棄させ、核兵器廃絶に努力する国の一員として核兵器禁止条約に向けてともに歩むよう呼びかける説得力が増すことになる。
 一方人工衛星は、国際宇宙ステーションへの物資運搬と宇宙飛行士の派遣や核弾道ミサイルと同じ技術のロケットによって大気圏外に打ち上げられるものである。逆に国際宇宙ステーションからの帰還と核弾道ミサイルは、同じ大気圏への再突入技術によって実現される。多段式ロケットは、燃料タンクを使用し終われば分離して計画的に落下させるものであり、落下に際して船舶や航空機に被害を与えないよう、「国際海事機関」(IMO)、「国際民間航空機関」(ICAO)などに打ち上げの事前通告することも常時行われている。平和目的の衛星打ち上げはいかなる国も保有する権利である。しかし、たとえ平和目的であっても宇宙の研究・開発・利用は、技術的にみれば軍事利用能力のレベルを示すものであることも事実なのだから、いかなる国も国際理解と協調の下で進めるべきなのである。
 日本では北朝鮮の「衛星」を弾道ミサイルと呼び、防衛大臣が「破壊措置命令」を出し、安倍首相は「容認できない」、「独自の制裁措置をとる」と発表し、官房長官も非難・抗議した。ほとんどのメディアも、一方で恐怖をあおり、その一方で能力を過小評価している。しかし、対立のなかでの過剰反応では、北朝鮮の軍事能力の強化を止めることはできない。また、日本が防衛能力の強化で対抗することも、技術的困難さがあるだけでなく、相手の攻撃能力の増大を引き起こし、ひいては武力衝突の危険性を高めるだけである。国連加盟国、特に日本を含む周辺国は、北朝鮮を孤立させる方向でなく、紛争はすべて話し合いによって解決するという国連の本来の精神に基づいて北朝鮮との対話によって緊張緩和への努力を重ねるべきである。日本は、日本国憲法の戦争放棄の基本理念を堅持するだけでなく、世界に広げ、戦争をしない国を増加させることに貢献すべきなのである。

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アピール「朝鮮民主主義人民共和国の核兵器実験と衛星打ち上げに際し、緊張緩和へのすべての関係者の努力を求める」を発表

2016年2月10日

世界平和アピール七人委員会は、2016年2月10日、「朝鮮民主主義人民共和国の核兵器実験と衛星打ち上げに際し、緊張緩和へのすべての関係者の努力を求める」と題するアピールを発表しました。

アピール「朝鮮民主主義人民共和国の核兵器実験と衛星打ち上げに際し、緊張緩和へのすべての関係者の努力を求める」

今月のことばNo.22

2016年2月9日

自然の怒り

池辺 晋一郎

 あまりに大きな災害や事件があると、それまで沸騰していた話題が消滅してしまうことがある。あの「3・11」で立ち消えになってしまった報道があった。立ち消えになったことに気がつかなかった人もいるかもしれない。
 「3・11」の1カ月半前、2011年1月27日、霧島連峰の新燃岳が52年ぶりに噴火。かなり騒がれた。が、東日本大震災が起きたとたん全く報道されなくなり、ずいぶん経って思い出したときには、もう噴火はおさまっていたようだった。
 新燃岳はおさまった…。しかしあちこちで次々と火山が噴火しているではないか。休火山と考えられ、よもや火を噴くなどと思いもしなかった山でも起きている。2014年9月27日午前11時52分の御嶽山噴火にびっくりした人は多いだろう。直前まで噴火予報など全くなかったから、たくさんの登山者がいた。いきなりの噴石飛散を防ぐ術(すべ)はない。岩の陰に避難しても、噴石はウシロから飛んでくるかもしれない。死者58名、負傷者69名、行方不明5名(2015年8月現在)という犠牲者の数は甚大。火山噴火による死者数としては戦後最大になった。
 2013年11月の小笠原諸島西之島の噴火もすごい。島がどんどん大きくなっている。14年6月の鹿児島県口永良部島の新岳も大噴火で、翌年5月には全島民が今を離れなければならなかった。
 日本では、この2年ほどだけでも、噴火警報で終わった例も含めれば、草津白根山、九州の阿蘇山、山形・福島県境の吾妻山、スキーのメッカ・蔵王山、浅間山、箱根山、北海道・雌阿寒岳、鹿児島の桜島、霧島連山の硫黄山…。全国各地ではないか。
 もっと前だが、九州は雲仙・普賢岳の90年11月17日の噴火が記憶に鮮明。198年ぶりの噴火だった。翌年2月に再噴火。6月には土石流、つづいて火砕流が発生し、多くの人が亡くなった。ずっとあと「ながさき音楽祭」の仕事でしばしば同地を訪れた僕は、火山灰に埋もれた家々や焼けただれた学校跡を目にし、噴火の威力をまざまざと見せつけられた。
 海外まで眺めれば、20世紀最大の噴火だった91年フィリピンのピナトゥボ、2010年アイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル、同年インドネシアのシナブン、15年チリのカルブコなど、枚挙に暇がない。アメリカの有名な国立公園イエローストーンの地下にはスーパーボルケーノという超巨大火山がある由。もし大噴火を起こしたら、人類滅亡の危機とまで言われている。
 今、「地球の歴史から見て短いサイクル」すなわち約1万年以内の噴火形跡のあるものはすべて活火山と呼ぶ。この結果、日本の活火山は70年には77だったが、現在110。休火山、死火山という分類はなくなった。遠く巨大な視座からは、人類の争いはコップの中の嵐に見えるだろう。争いに明け暮れていると、自然の怒りが巨大化するかもしれないぞ。
(「うたごえ新聞」2016年1月25日付、2454号、「空を見てますか」994回から転載)

       ×       ×       ×

 これは、週刊の連載エッセイの転載で、火山の話に絞っていますが、究極では原発に関わるものと考えています。地球上のどんな地点でも地震の可能性があると思いますから、原発をやめることはすべての国において肝要なことではないでしょうか。

今月のことばNo.21

2016年1月1日

「母と暮せば」と長崎医科大学

小沼 通二

 山田洋次監督の「母と暮せば」の上映が昨年末の2015年12月に始まった。この映画のもととなった「父と暮せば」の井上ひさしさんは、わたくしたち七人委員会の仲間だった。またこの映画作成に協力したとして、長崎市、長崎大学、長崎原爆資料館に続いて、16人の個人名が挙げられているのだが、その筆頭は七人委員会の土山秀夫さんであり、かねてから親しい朝長(ともなが)万左男さん(日本赤十字社長崎原爆病院名誉院長)、調漸(しらべ・すすむ)さん(長崎大学副学長)の名前もある。3人とも医学者である。
 ところでわたくしは、一昨年11月から昨年11月までの間に長崎に3回行く用事があった。長崎にはそれ以前に何度も行ったことがあるのだが、昨年8月から11月にかけて、被爆直後の医師たちの詳細な記録をいくつも読み、土山さんからも被爆後のご経験を改めて詳しくお聞きし、きわめて困難な中での献身的な救護活動の実情を思い起こしながら、爆心地の周囲の丘を歩くという機会を得た。
 長崎に投下されたプルトニウム爆弾は盆地の上空500mでさく裂したので、周囲の丘は遮るものなく直撃された。平和公園にある平和祈念像は北北東の丘、長崎原爆資料館と国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館は南南東すぐの丘にある。わたくしは、昨年10月、爆心地から西500mの丘の上にある市立城山小学校の遺構として保存されている被爆校舎を訪ねた。この小学校の児童は1400人が死亡し、翌年の卒業式に参加できた卒業生は14人だけだったという。東に戻り、爆心地を通って東北東の丘にある浦上天主堂を再訪してから、東南東500mの長崎大学医学部のキャンパスに行った。ここが被爆当時の長崎医科大学であり、ほとんどが木造校舎だったため全壊全焼、授業中の1,2年生は全滅、学生・教職員890名ほどが死亡した。「母と暮せば」は、母と2人で暮らす長崎医大学生の息子の8月9日朝の変わりのない登校と、授業が始まった階段教室、それが瞬時にして消滅するところから始まる。
 わたくしが、長崎医科大学の跡をぜひ訪ねたいと思ったのは、すでに述べたように、被爆直後の医師たちの献身的な活動を知ったからだった。9月までに読んだのは、① 調來助・吉沢康雄『医師の証言 長崎原爆体験』(東京大学出版会、1982年)、② 『長崎医大原子爆弾救護報告』(朝日新聞社、1070年)、③ 『原子爆弾災害調査報告書 総括編』(日本学術振興会、1951年)、④ 『原子爆弾災害調査報告集』第一分冊(日本学術振興会、1953年)などである。①は長崎医大付属病院で被爆し、被爆死した病院長の後任となって救護と大学再建に多大の努力をした調來助教授(調漸さんの祖父)からの聞き書きであって、付録に詳細な被爆者調査結果がついている。②は長崎医大物理的療養科の永井隆助教授のグループの救護活動報告、③、④は日本中の学界の人たちがそれぞれ分析した結果をまとめたものであり、1945年11月と1946年2月の報告会の速記録もついている。①の付録は、医師数人と学生50人を組織して10月下旬から11月上旬という短期間に、印刷させた調査票に記入していく形で5000人の被爆者の調査を実施し、調教授が後遺症に苦しみながら一人で約1年かけて統計的分析を行った貴重な医学報告書である。土山さんもこの調査に協力した一員だった。
 11月には、長崎大学医学部構内にある原爆医学展示室を案内してもらい、原爆後障害医療研究所に丁寧に整理して保存されている1945年の記入済調査票の原本まで見せていただき、粛然とした思いだった。この時に⑤ 泰山弘道『完全版 長崎原爆の記録』(東京図書出版会、2007年)の存在を知った。この著者も大村海軍病院長として被爆者の治療に尽力し、壊滅した長崎医大再建を目指した医師であって、本書によってわたくしの視野をさらに広げることができた。
 井上さんは、「父と暮せば」のあと、沖縄戦についての戯曲「木の上の軍隊」を、2010年7月上演を目指して準備していたのに、4月に亡くなった。これは、蓬来竜太氏が脚本を完成させて、2013年4月に公演された。長崎を舞台に「母と暮せば」を作りたいと考えていた井上さんの遺志を聞いた山田監督が実現させたのが、今回の映画だった。これは間違いなく山田監督の不滅の映画なのだが、それと同時に、井上さんが目指した3部作の画竜点睛にもなっている。

2015 118J 武力によらない平和の実現を目指して
―世界平和アピール七人委員会創立60年に際して―

2015年12月20日
アピール WP7 No. 118J
2015年12月20日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫

 世界平和アピール七人委員会は、下中弥三郎 植村環 茅誠司 上代たの 平塚らいてう 前田多門 湯川秀樹の7名によって60年前の1955年11月11日に結成され、この日に「国連第10回総会に向けてのアピール」を発表し、国連と各国首脳に送付した。これは、その4か月前の7月9日に湯川も参加して発表されたラッセル・アインシュタイン宣言を受け止め、国家を単位とする国連を超えた世界秩序の実現に向けて国連改革・発展を呼びかけるものであった。
 それ以来、委員を務めた者は31名を数え、人道主義と平和主義に基づき不偏不党の立場から、世界の一人ひとりが恐怖と欠乏なく平和に生存できる社会の実現を目指して発表してきた国内外へのアピールは118件に及び、2004年以降は毎年国内各地で講演会を開催してきた。私たちのこれまでの主張には、今日でも繰り返したい内容が積み上げられている。

 今日、世界は安定を欠き、中東では、ヨーロッパ諸国による植民地支配の残渣が解消されることなく、長年の被圧迫者の不満が噴出し、関係者の利害が錯綜している。その中で大国による紛争地域への利己的な武器供与を含む行動が続き、国家と非国家によるもつれあいの破壊活動が相次いで、世界各地に恐怖と憎悪が広がっている。報復の連鎖は、恐怖と無関係に生きることができる安全・平和な世界につながる道ではない。一方、東アジアでは、日本の戦争責任について、いまなお共通の歴史認識をもつに至らず、冷戦の終結は遅れたままで、国家間の真摯な対話が成り立っていない。
 しかし、世界は時代と共に次々に変革を重ねてきたのであって、現在の不安定な状況が、いつまでも継続することはありえないと考える。変化の兆しを見逃すことなくとらえるためには、歴史を踏まえて、未来を見通していかなければならない。

 第二次世界大戦から70年経過した今日、日本では、国民に誠実に説明して納得を求めることなく、日本国憲法も国会も無視し、主権者の国民の意向と無関係に、まず外国への約束を重ねて既成事実をつくる政治が強行されるという異常事態が続いている。
 世界の中で、日本と日本人は、日本国憲法、そして国連憲章の基本理念である“国際紛争を平和的手段によって解決する”姿勢を堅持すべきであって、特定国への過度の依存と癒着を解消し、自立することが必要である。日本は“武力による威嚇または武力行使”を放棄し、交戦権を認めていないのだから、全世界から信頼される道を歩み、恐怖のない安全な世界の樹立に向けて主導的に貢献するために有利な立場に立っているはずである。そのためにも日本は、人口激減が進行する中で本来実現不可能な軍備増強、外交軽視路線を続けることを速やかに転換すべきである。
 日本は、近隣諸国との間で、科学技術、教育、文化、スポーツ、経済などの協力・交流を強め、相互理解を増進することを積極的に進めて、政治の世界における不信関係、敵対関係を速やかに解消させるために貢献することが必要である。国民の多数が自ら考え続け、発言し、行動していけば、アジアの平和は実現できると私たちは信じている。

 戦争は最大の環境破壊であり、いかなる戦争も非人道的である。安心して平和の中で生きていける世界は現実の目標であるが、願望だけでは実現できない。私たち一人ひとりが具体的に一歩ずつ歩みを進め、できるところから基盤を拡大していくべきである。
 我々七人委員会は、創立60年の機会に、武力に依存しない平和な世界の実現を目指してこれからも努力を続けていくことをあらためて宣言する。

PDFアピール文→ 118j.pdf