お知らせ

池田香代子委員の退任について

2014年4月24日

世界平和アピール七人委員会は、1955年の発足以来 一貫して意見の異なる人たちとも 対話を求め続けてきました。
このたび池田香代子委員が、ツイッターでこの基本的方針に反する記述を表明したことを知り 個人の発言であったにしても不適当だったと直ちに判断しました。池田委員からも「このたびの私の軽率な言動は、委員会の方針にもとるものでした」として辞任の意向表明があり、全員で討議した結果、委員退任を決定しました。
七人委員会は初心を大切にし、世界と日本の一人一人が安心して安全に生きていける社会を目指して、これからも人道的立場から努力を続ける所存です。

「事務局通信」 No.3 2009/11/12

2014年1月15日

◎対話集会、講演会への反響続々

名古屋での対話集会、講演会と一連の個別講演が無事終了しました。

講演会に参加してくださった方々から、感想などが寄せられています。その中のひとつ、環境運動をされている曽我部行子さんから寄せられたメッセージを紹介します。講演会の内容詳報は、中日新聞(2009年11月11日付)に掲載されています。

一方、委員会では、13日のオバマ大統領の来日に向けて、以前から討議が続いていた「オバマ大統領へのアピール」について、メールなどで討議が続いています。

◎決意伝わった講演会

武者小路さま、みなさま  昨夜は、世界平和アピール七人委員会 講演会を聴くことができ幸いでした。七人委員会が、実のところ、どういう活動をされているかなど知らずに参加し、これまでの数々の講演会というものへの失望から多くを期待していませんでした。しかしながら、聴いた後でたいへん強い感慨を持ちました。

それは、日本にも自らの所信に従い、言うべきことを周辺の空気を見ながらでなく述べる知識人がいらっしゃるのだということでした。核について述べるのに、奥歯に物を挟んだまま話せば意味がわからなくなるということもありましょうが、何より、今だからこそ世論を動かさないといけないのだという決意と思いがしっかり伝わってきました。

▼衝撃的だった土山委員の講演

冒頭での、土山秀夫さんの話は、とりわけ衝撃的でした。

世界で唯一の被爆国である日本なのに、核が好きだと海外に示す勢力がいるという事実です。アンケートをとると90%以上の国民が核は不要と答えるのに、政府がまったく違った方向を向いているというのは、異常というしかありません。なぜこんなに捩れてしまうのでしょうか。そして、未だにその捩れは直せないままです。

民主党政権とオバマ大統領在任の間になせねばならいことの筆頭が、核廃絶への布石なのだということ理解できました。

武者小路さんから、非核宣言都市をすることで核を持ち込ませないことができることを教えていただき、ときどき唐突に役所の前に立っている看板が、決してただの看板でないことがわかりました。さらに、「無防備地域(非武装)宣言」というものがあり、池田香代子さんはその活動を薦めているとおっしゃいました。沖縄にそれができないことは、残念です。

池内了さんの物理学の講義(!)は、壮大な宇宙の銀河からかろうじて残った100億分の1の物質がわたしたちの身体と生命となったことを示して、生物多様性の根源が宇宙から始まった歴史であると知りました。わたしたちは、銀河の始まりを背負っているのですね。

▼「核の傘」は恥ずべきこと

大石芳野さんは、明日といわず、今日今からできる核廃絶の道として「考えること。深く考えて流されないこと。」と。まったく同感です。

大石さんの撮られた枯葉剤被害の障害者のベトナムの人たちの写真を見た若い人から「支援は届いていますか」の質問がありました。彼女にとって、それはいたたまれない衝撃だったのでしょう。アメリカの科学者が未だに枯葉剤の被害を認めず、「風土病」だといい続けていることに驚きました。ベトナム帰還兵には補償をしても、ベトナム政府の補償請求には一切応じていないこともさらなる驚きです。

核の傘で守られようとする発想は、人としてそれほど恥ずべき愚かな格好の悪いことはない、と断言できます。

平和憲法が作られたすぐ後から、戦争をしたい勢力が今も日本にいることを嫌でも認めるしかありません。わたしたちは、世界の核廃絶を言う前に、日本の核容認勢力と闘わなければならないのです。そのことが、何より気の重いことです。

生物多様性(生命の多様性!)に対して真っ向から逆行する核に対して、どういうふるまいをしていくべきかを考えざるを得ません。

今後は、七人委員会が核の平和利用=原発についても意見を言うべきかも知れない、ということに期待をしております。

七人の委員の方全員に、日本の良心を代表する方たちとしてお礼を述べたいと思い、代わりに感想を寄せさせていただきました。

ありがとうございました。

(曽我部行子)

「核抑止」で長崎講演会

2013年12月12日

長崎大学核兵器廃絶研究センターなどと共同

世界平和アピール七人委員会は、2013年度の講演会を11月30日(土)、長崎市の長崎原爆資料館ホールで開かれた。
テーマは、共催の長崎大学核兵器廃絶研究センター、核兵器廃絶長崎連絡協議会との協議で決まった「核抑止論と世界」で、講演とシンポジウムが行われた。
「核抑止論」は、相手に耐えがたい報復力の脅しや警告を示すことで恐怖心を起こさせることで、攻撃を思いとどまらせ、自国の安全を図ろうという考え方。米、ロ、英、仏、中の5核大国のほか、核保有国のイスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮や、米国の「核の傘」の下で平和と安全を保っている、とする日本なども、この考え方に立っている。
今回の講演会では、この核抑止論に切り込もうと、長崎大学核兵器廃絶研究センター、核兵器廃絶長崎連絡協議会との共同主催で、委員のほか、長崎大学核兵器廃絶研究センターの梅林宏道センター長も講演、パネルディスカッションにも加わった。
会の冒頭では11月25日に亡くなった委員の辻井さんの追悼が述べられた。

▼核の傘は狭まっている・・・

最初の講演は土山秀夫委員。.土山さんは「日本は核廃絶をいいながら、米国の『核の傘』の下にある。米国はこの『拡大核抑止』を提供してきたとしており、この核抑止論の打破なくして、核廃絶はない。1969年の秘密文書では『当面の間、日本の核武装はないが、今後、核兵器製造についての技術的、経済的ポテンシャルを確保する』とし、この方針は引き継がれている。その後、日本政府は核の傘について米国に要請をしたりして、事実上、自分が頼み込んで核の傘をいっているというのが現実だ」と強調した。
そしてさらに、「いま国民の70-80%が核の傘は必要だといっている。不安解消のためには『北東アジア非核兵器地帯構想』がある。核の傘から脱却するために、寄付を募って国民に構想を広く知らせる新聞の全面広告などを考えたらどうだろうか」と提案した。
つづいて、梅林宏道氏が「進行中の国際交渉に見る抑止論」と題して講演した。梅林さんは米国での核抑止論と同盟国での拡大抑止論の歴史をたどりながら、「米国の核政策はオバマ政権の下で変化している」と説明、「オバマ政権は今年6月、初の核政策指針を発表、現在の核の脅威は最も差し迫った極限的危険は核テロリズムだとし、主たる脅威には核兵器は無用、有害だと考えている。ジュネーブの『多国間核軍縮交渉を前進させるための国連作業部会』(OEWG)は非核兵器地帯設立に向けて適切な行為をとるべきだとする勧告文書を出した」と報告、「拡大核抑止論への包囲網は狭まっている」と強調した。 講演の最後に武者小路公秀委員が「核廃絶はなぜまだできないのか」と題して講演した。武者小路さんは、1648年のウエストファリア条約以来の「防衛」体制について、歴史をたどり、覇権国によっての抑止の誤算を説明しながら、「私たちは、これから、人民の『安全』を中心に発想転換しなければならない。科学と技術を混同してはならない。原爆と原発の全廃は人類の倫理的な決断で、『核廃絶』は人類の知恵の選択だ」と強調した。

▼「科学と技術」にも課題

講演の後、講演した3人に、池内了、池田香代子、大石芳野の3委員が加わって、小沼通二委員の司会でパネルディスカッションした。
池内さんは「核廃絶問題もいまの課題と結びつけた上で、いまの政権の姿勢に問題提起していかなければ、と思っている。武者小路さんが、科学と技術の分離が必要だといわれたが、科学に属しているものも『便利』を追求するものではない。世界平和と科学と技術の分離を突き詰めて考えてみたい。秘密保護法の問題など日本は遅れている」と指摘した。 また、池田さんは、「講演を聴いて思うのは、核抑止の考え方では核廃絶は難しい、ということだ。核抑止論は『やったらやり返す世界』だからだ」と話した。
大石さんも「話を聞いて改めて日本は遅れている、と思った。日本の場合、広島、長崎のほかに沖縄を見逃せない。ケネディ新大使へのフィーバーにも違和感を持っている。秘密保護法など、実に問題だ」と話した。
こうした中で、梅林さんは「科学と技術の分離は必要だ。科学にもっと懐疑的になって、社会的に考えなければならない。大変な費用がかかる最先端科学の問題もある」、武者小路さんは、「米国にもオバマの米国もCIAの米国もある。議会もコントロールしたり論文も市場化されていたりする。全部まとめて考え、人間らしい世界にしなければ…」、土山さんも「核の問題は、安保にもなく、ガイドラインの中に一行あるだけで、北東アジア非核化構想と切り離すことは可能だ。外務省と話すと、必ず出てくるが難しいという。これを突破しなければならない」などと議論が闘わされた。
最後に司会の小沼さんが「いま大切なのは、やっぱり広島、長崎の実相を世界に広めることではないか。いま、最初は物理学者が8割を占めていたパグウオッシュ会議も、世代交代して社会科学者が増え、マジョリティになっている。先日開かれた年次大会で、2015年の年次大会は長崎でということが決まった。『難しい。ネックがある』と言っている限り前には進まない。一人一人できることは何か考えていかなければならない」と締めくくった。
最後に「核廃絶長崎連絡協議会」の調漸(しらべ・すすむ)会長が「難しい問題は語らない、という傾向が強いが、そうではいけない、ということが言われた。学生諸君も行動的になってきた。これからもいろいろ取り組んでいきたい」と閉会の辞を述べた。
×       ×
なお、長崎新聞12月1日付は、この集会を「北東アジア非核で勧告文 軍縮諮問委 国連事務総長に」の見出し、カラー写真入りで梅林センター長が述べた「国連の軍縮諮問委員会は、国連事務総長に対し、北東アジア非核兵器地帯設立に向けて、適切な行動をとるべきだ、とする勧告文書を出した」とニュースにした。

(了)

資料「追悼 七人委員会と辻井喬さん」(20131130tujii.pdf)

秘密保護法に反対のアピール 改憲の動きにも警鐘

2013年12月12日

世界平和ピール七人委員会は、11月25日、国会で審議中の特定秘密保護法案について、「『特定秘密保護法案』の廃案を求める」とのアピールを発表した。そこでは、「『特定秘密保護法案』は、その内容も審議の進め方も、民主主義と日本国憲法にとっての脅威であると危惧し、本法案を廃案とする」ことを求めている。
 七人委員会は、安倍政権の「改憲路線」に危機感を抱いており、6月28日には、「日本国憲法の基本的理念を否定する改定の動きに反対する」とのアピールを出している。

辻井喬さん死去

2013年12月3日

世界平和アピール七人委員会の委員、辻井喬さんは11月25日午前2時、肝不全のため死去されました。86歳でした。
辻井さんの父は、西武鉄道創始者の堤康次郎氏。セゾングループや西武百貨店を育て上げた経営者・堤清二氏として知られる一方、辻井喬のペンネームで、詩人、作家として活躍した。2010年9月6日から、亡くなるまで世界平和アピール七人委員会の委員を務めた。委員としての辻井さんは、2010年11月10日の明治大学での講演会で「東アジアの平和構築」と題して講演して以来、世界平和のために積極的発言を続けた。
七人委員会は、2011年7月にアピール「原発に未来はない」を発表、東京・有楽町の外国人特派員協会での記者会見に出席、積極的に発言した。昨年11月10日の福島・南相馬市での講演会では「中央集権の時代から地方自治の重視へ」と題して講演した。最近も、入院中にも病院から小沼事務局長に電話されたりした。最近の「『特定秘密保護法案』の廃案を求める」のアピールにも賛同の意思を表明した。
世界平和アピール七人委員会は、11月30日、長崎市で講演会を開いたが、席上、小沼通二委員・事務局長が、七人委員会での辻井さんの活動を報告、故人を偲んだ。

「特定秘密保護法案」の廃案を求めるアピールを発表

2013年11月25日

 世界平和アピール七人委員会は、国会で審議中の特定秘密保護法案について、25日、廃案を求めるアピールを発表しました。
 世界平和アピール七人委員会は1955年、世界連邦建設同盟理事長、下中弥三郎(平凡社社長)の提唱で、植村環(日本YWCA会長)、平塚らいてう(日本婦人団体連合会会長)、湯川秀樹(ノーベル賞受賞者、京都大学教授)らによって結成されました。
 その後、メンバーは入れ替わりましたが、日本の知識人として、人道主義と平和主義に立って、不偏不党の立場から、核兵器の廃絶、平和憲法の精神など世界の平和のための発言を続けてきました。
 現在のメンバーは、武者小路公秀(大阪国際平和センター会長)、土山秀夫(長崎大学名誉教授)、大石芳野(写真家)、池田香代子(翻訳家・作家)、小沼通二(慶応大学、武蔵工業大学名誉教授)、池内了(総合研究大学院大学教授)、辻井喬(詩人、作家)の七人。
 今回のアピールは、発足から、110回目のアピールにあたります。

 世界平和アピール七人委員会事務局
 なお、問い合わせ、連絡先は、小沼事務局長まで。
 FAX:045-891-8386 メール:mkonuma254@m4.dion.ne.jp

2012年講演会「福島の人びとと共に」のお知らせ

2012年10月29日

日時:2012年11月10日(土)15時~18時(開場14時30分)
会場:福島県南相馬市 サンライフ南相馬 集会室

入場無料

プログラム
・辻井喬「中央集権の時代から地方自治の重視へ」他
・大石芳野「福島の人びとを撮りつづけて、思う」
・小沼通二「原発と核兵器の時代を超えて」
・パネル討論「あらためて原発を考える」

世界平和アピール七人委員会が、「原発のない世界」を求めてアピール

2011年9月7日

7月11日、外国特派員協会で発表  日、英、仏、独語で
世界平和アピール七人委員会は、東日本大震災から4カ月となる7月11日、日本外国特派員協会(東京・有楽町)で記者会見し、「原発に未来はない 原発のない世界を考え、IAEAの役割強化を訴える」と題するアピールを発表した。アピールは日、英、仏、独語で、日本と世界の市民、リーダーに呼びかけている。会見には池田香代子、池内了、小沼通二、武者小路公秀、辻井喬の5委員が出席し、記者たちの質問に答えた。

発表されたアピールでは、「私たちは、全世界の原子力発電所すべての廃止を決定すべきだと考える」と呼びかけている。特に日本においては、活断層上の原発の即時停止、複数の原子炉を持つ発電所の規模縮小などを求めた。さらにエネルギー政策の「小型化、分散化、多様化」への転換を提起し、自然エネルギー開発や省エネルギーの推進を促した。IAEAと加盟国に対しては、原子力の軍事転用に限らず大型施設の情報把握を強め、原発事故発生時には国際専門家チームを組織して主体的に収束に努めるよう希望した。