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今月のことばNo.5

2015年1月1日

“長崎方式”の平和宣言

土山秀夫

毎年8月9日、長崎市長は原爆犠牲者への追悼平和祈念式典で、長崎平和宣言を国の内外に向けて発信する。「あの平和宣言文はどうやって作成されているのか」との質問をしばしば受ける。“長崎方式”と呼ばれる宣言文の起草委員会は、市民各層の意見を広く集約できるよう、被爆者、学識経験者、報道関係者、家庭の主婦、最近では学生も含む約20名内外の委員から成る。

原則として委員会は3回開かれる。第1回の前に、各委員に今年の宣言にぜひ入れるべきと思われるテーマ(3点以上)を書き出してもらい、予めその理由を市側に知らせて置く。第1回の委員会では回答集に基づいて、委員が1人ずつ自分の考えを説明し、同時に全体的な討論を行う。第2回の委員会では市事務局が第1回目の意見を集約し、文章化した叩き台を配布する。各委員はそれらについての改正すべき点や、限られた字数内にどれだけインパクトが与えられるかについて具体的に議論を深める。

最後の第3回目では座長である市長も自分の見解を述べ、宣言はまとめの段階に入る。スンナリと大方の意見が一致するときは、それでよしとする場合もある。しかしテーマによって委員たちの見解が真っ二つに分かれたり、また市長と多数の委員との意見がどうしても折り合わないことがある。例えば1996年の国際司法裁判所による勧告的意見に対する評価、2011年の東京電力福島第一原発事故に関連して今後の原発の在るべき姿をめぐる見解、2014年の集団的自衛権の行使容認の閣議決定に対する厳しい批判などがあげられよう。

この種の対立点を解きほぐすため、後日、市長と約3名の委員より成る小委員会を持ち、更に議論を詰めて最終案へと導くのがふつうである。 朗読時間としては7〜8分の宣言に過ぎないが、そこにはできるだけ市民の多様な意見を反映させようとする、各委員なりの信念のぶっつかり合いがあることを知っていただければ幸いである。

長崎の平和宣言をここに取り上げたのは、もう1つ別の理由がある。それは私たち世界平和アピール七人委員会の発するアピールと、或る面では共通した性格を持つ点だ。社会により良いものを生み出すための提言として、民主的な意見の交換と取りまとめを通じ、知力と情熱を注ぐ意味において両者に差異はない。

今月のことばNo.4

2014年12月15日

ハンマーを持つ人

池辺晋一郎

先日、アメリカのジャーナリストにして映画監督ジャン・ユンカーマン氏の発言に、新聞紙上で接した。
1952年ミルウォーキー生まれ。生後まもなく、1年間くらいらしいが神奈川県葉山に住み、のちに慶応義塾志木高校で学んだという人である。
その後スタンフォード大学、ウィスコンシン大学に学んだ。ベトナム戦争時代に学生生活を送り、反戦や徴兵制反対運動に身を投じた。
長じて、まず88年に映画「劫火」(ごうか)を撮る。
90年には「老人と海」、92年「夢窓──庭との語らい」でエミー賞を受ける。
そして「映画・日本国憲法」を撮ったのは2005年。

そのユンカーマン氏の発言──集団的自衛権は、すなわち交戦権である。
平和憲法を持つ日本は世界の尊敬を集める立場だったのに、これを捨ててアメリカに従うとは…。
安倍首相は日本を、戦争ができる「普通」の国にしようとしている。
朝鮮半島、ベトナム、アフガニスタン、イラク…どこも戦争の後遺症に苦しんでいる。武力では何も解決できないことは、歴史が証明している。
そして、アメリカの格言を紹介している──ハンマーを持つ人にはすべてが釘に見える。
このことを初めて紹介したときは、政府の閣議決定が間近に迫っているときだった。
しかし政府は、反対の声の高まりにもかかわらず、あっさりと、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈変更を決めてしまった。

自民党内にも、これに反対するハト派がいたはずなのに、ここに至ってこのハトは全く啼かない。
さらに呆れるのは公明党だ。「平和の党」を標榜していたのに、その理念を捨てて、連立政権の椅子に固執したわけ。
公明党は安倍政権のブレーキ役だと見做していたが、何ともだらしない、見苦しい変節だ。
「必要最小限」「歯止めがある」「容認は限定的」などということばは、すべて苦し紛れ。弁解にしか聞こえない。
いったい、現行憲法をどう読めば、そんな解釈が可能になるのか…。中学や高校の国語の文章解釈試験で答えたら、バツがつきます。
毅然・明解な憲法条文に比して、前記の弁解は曖昧。不明確。
「必要最小限」か「やや小」なのか、誰が決める?
為政者が「歯止め」と言えばそうなるのか?
「限定」の範囲を越えるか越えないかを判断するのは、誰?
厳格に設けられている堰を、いっぺん切ったらどういうことになるか。流れ出す水を、都合よく再び堰き止めるなんてこと、できる?
今、日本の政府は、厳格な堰を切ろうとしているのだ。

僕は、憲法前文の中の「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という一節に、いつも感動する。
「名誉ある地位」という言いかたのすばらしさ!
その名誉を捨てようというのだ。ユンカーマン監督の言うとおりである。
ハンマーを持つ人になってしまう日本…情けない限り。

(「うたごえ新聞」2385号、2014年7月14日付掲載、「空を見てますか」925回を修正、転載しました。ユンカーマン氏の発言は、朝日新聞2014年6月24日に掲載されています。)

今月のことばNo.3

2014年12月6日

七人委員会の誕生
―七人委員会の歴史から 1―

小沼通二

平凡社の創設者下中弥三郎は、1948年創設の世界連邦建設同盟に1952年に参加し、1954年に理事長に選ばれたが、天衣無縫な運営に批判があった。そこで平和を脅かす問題に対し、組織の手続きにとらわれず、機を失せずに「日本の良識の声」を自由に発表したいと思い始め、賛同者候補の人選を進めた。候補者への参加要請は、下中の意を受けた日高一輝(日本バートランド・ラッセル協会常任理事)が当たった。

1955年9月に、湯川秀樹(京都大学基礎物理学研究所長)、茅誠司(日本学術会議会長)、上代たの(日本婦人平和協会会長)、平塚らいてう(日本婦人団体連合会会長)の順(上代と平塚の順序は逆という記録もある)に交渉し、賛同を得た。続いて、植村環(日本YWCA会長)、前田多門(ユネスコ日本委員会理事長)の参加が決まり、この七人で発言していくことにした。日高は事務局長に就任した。

この年は国連発足10周年で、4月にはバンドンでアジア・アフリカ会議が開催され、7月には、前年のビキニ水爆実験による第五福竜丸などの被曝事件を受けて、湯川も参加したラッセル・アインシュタイン宣言が発表された。

11月11日に世界平和アピール七人委員会が発足した。この日に発表した「国連第十回総会に向けてのアピール」は、日本国憲法の前文を踏まえ、ラッセル・アインシュタイン宣言が述べた核兵器による人類絶滅の危険性と戦争絶滅の必要性を訴え、国連にすべての未加盟国を加盟させて世界連邦に発展させ、1957年に国連総会と併行して世界人民会議の招集を求めるものだった。

このアピールは翌12日に国連事務総長と国連総会議長に送付され、コピーが世界81カ国の元首か首相と平和団体に送られ、国内では首相と衆参両院議長に届けられた。コピーが箱根のパール・下中記念館に残されている。

(『世界に平和アピールを発し続けて―七人委員会46年の歩み』(平凡社、2002)、『下中弥三郎事典』(平凡社、1965)、平塚らいてう『続 原始女性は太陽であった―自伝(戦後編)』(大月書店、1972)、当時の新聞を参考にした。第1回アピールはhttps://worldpeace7.jp/modules/pico/index.php?content_id=116、ラッセル・アインシュタイン宣言はhttp://www.pugwashjapan.jp/r_e.htmlなどにある。)(2014年11月1日)

七人委員会初代委員のサイン

第1回アピールへの七人の署名(パール・下中記念館(箱根)所蔵)

アピール「日本の岐路と日本国憲法の重み」を発表

2014年12月5日

世界平和アピール七人委員会は、2014年12月5日、「日本の岐路と日本国憲法の重み」と題するアピールを発表しました。
委員会は、日本国憲法の危機に当たって、ずっと議論を続けてきましたが、衆院総選挙をひかえ、急ぎ発表することになりました。

アピール「日本の岐路と日本国憲法の重み」

2014 114J 日本の岐路と日本国憲法の重み

2014年12月5日
アピール WP7 No. 114J
2014年12月5日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫

 今年の日本は、安倍政権が、集団的自衛権の行使容認、特定秘密保護法、原発再稼働への動きなど国民の批判が強い問題につき、説明を尽くして国民の支持を得ようとするのでなく、強権的に既成事実作りに走り続けるという、前例のない年であった。しかも政府与党は、年末の衆議院選挙によって、小選挙区制の下での多数の野党の存在という状況の中で、相対多数を占めることができればすべての政策に白紙委任状を手に入れたとすり替えて新年を迎えることが予想される。

 ひるがえって日本国憲法を見れば、前文の最初の文章は、「日本国民は、・・・主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」となっている。第11条は、「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。」とされ、第99条に、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」と書かれている。
 これは、この憲法が施行される前の大日本帝国憲法が、明治天皇(朕)によって現在及び将来の臣民に対し「不磨ノ大典」として宣布され、「現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ」と書かれていることと全く逆である。
 ここで自由民主党の日本国憲法改正草案(2012年4月27日)を見ると、最初の文章が「日本国は・・・」から始まり、「国民主権」と言いながら、「国は・・・」を繰り返し、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」(第102条)としている。これは、世界の民主主義国家の憲法と違い「国」が国民に与える憲法の草案になっており、大日本帝国憲法の復活を画していると言えよう。

 安倍首相が、最高責任者の自分が日本の理想や国の在り方、未来への針路を決めると高言して、国会を軽視し、選挙期間を除き国民を無視するのは、国務大臣として、国会議員として、尊重し擁護しなければならない現行の日本国憲法に明らかに違反している。

 日本は、現在重大な岐路に立っている。日本国憲法の前文と第9条を素直に読めば、日本が向かうべき道は安倍政権と与党が進もうとしている道でなく、全世界の諸国と友好関係を維持する非武装永世中立国だということになる。抵抗があり、回り道があってもこれは国連の基本精神とも合致する方向である。世界中の人々が戦争の惨禍を避け安心して安全に生きていくために、実現を目指して共に一歩一歩進むべき道であると確信する。

PDFアピール文→ 114j.pdf

「今月のことば」欄新設

2014年11月12日

七人委員会委員が交代で、ホームページのこの欄「今月のことば」にエッセイを掲載していくことにしました。最初の2点をご覧ください。来月から半月ごとに1点ずつ追加していく予定です。感想やご意見があればお聞かせください。

今月のことば