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アピール「武力によらない平和の実現を目指して ―世界平和アピール七人委員会創立60年に際して―」を発表

2015年12月20日

世界平和アピール七人委員会は、2015年12月20日、「武力によらない平和の実現を目指して ―世界平和アピール七人委員会創立60年に際して―」と題するアピールを発表しました。

アピール「武力によらない平和の実現を目指して ―世界平和アピール七人委員会創立60年に際して―」

今月のことばNo.20

2015年12月19日

今、メディアに求めたいこと

土山 秀夫

 2015年9月19日未明の国会において、集団的自衛権行使容認を含む安全保障関連法が成立した。毎日新聞によるその後の世論調査(10月7,8日に実施)では、「安保関連法を評価しない」とする人は57%にも上り、それ以前の批判的な世論傾向は少しも変わっていない。
 にもかかわらず、安保関連法成立後のメディアの世界では、奇妙に共通した現象が見られるようになった。政府の御用新聞かと疑われる産経、読売の両紙にあっては、希望が達成できたのだから当然だったに違いない。だがそれ以外の各紙、中でも筆法鋭く法案の危険性を指摘し、問題点を追及してきた毎日、朝日、東京を始め、多くの地方紙までもがパタリと安保関連法に関する記事を掲載しなくなったことだ。
 関連法が成立してしまったのだからあれこれ言っても仕方がない、或いは民意の試金石と見なされる来年夏の参議院選挙前にキャンペーンを張ればいい、あまりいつまでも批判を続ければ、読者がうんざりして購読者数に響きはしないか、などといった思惑が社の幹部に働いた結果ではないかと考えられる。そうした点は筆者としても分からないではない。
 しかし、である。今だからこそ、安保関連法が日本の今後の命運を決定的に歪め、先の大戦で得たはずの教訓を台無しにしかねないことを、メディアは警鐘を鳴らし続ける使命を担っているのではないだろうか。そう思わせるほど、国会論議を通じて知り得た憲法無視の政府の無責任さ、法案の具体例に見られる辻褄(つじつま)の合わない釈明の数々、米国の補完勢力として、自衛隊員のリスクを口にしない後方支援の実態等々、国民にとっては説明の積み残しはまだまだ残されたままだ。これらの疑問点に対して、メディアはキチンと検証し、総括して読者に提供して欲しいとの声は決して少なくない。
 筆者がこうしたことにこだわるのには理由がある。満州事変から日中戦争、さらには太平洋戦争に至る間、民意の推移を肌で感じた筆者は、一般の民意というものがいかに移ろいやすいかを知っているつもりだからである。かつての日本は議会政治の弱体化と反比例して軍部の台頭を招き、経済的行き詰まりを打開する手段として、”満蒙開拓”という名の侵略へとつながる路線を選んだ。そして日本によるかいらい政権の「満州国」に対する国際連盟の勧告を拒み、次第に国際的孤立へと追い込まれた。 ところが国際連盟からの脱退は国民の「快哉(かいさい)」の声によって迎えられ、熱狂的な軍国主義下で育てられた多くの国民は、「もっとやれ、もっとやれ」とばかり、冷静な平和的手段や非戦の声をかきけして行ったのだ。
 ラジオ、雑誌を含むメディア全般への言論統制、自社の生き残りを図るための自主規制、思想犯を主たる対象とした特別高等警察(特高)の新設などが相次いだ。治安維持法は当初こそ国家転覆を目論(もくろ)む犯罪者の取り締まりを目的としたものの、その後の改正で共産主義者、社会主義者、新興宗教指導者、戦争末期には自由主義者、民主主義者、さらには政府批判を行った者まで対象とするに至り、目ぼしい人物に対しては、”予防拘束”という信じ難い手段によって言論を封じたのが70年前までの実態であったことを忘れてはならない。
 来年からは選挙権が18歳年齢まで引き下げられる。専らインターネット情報に頼りやすい人たちの中には、一刀両断的な過激なナショナリズムに染まる可能性も十分に考えられる。これら若い人たちへの啓蒙もためにも、また、今は安保法制への根強い危機感によって廃案を目指している国民の意識を風化させないためにも、空白期間をメディアの継続的報道(たとえ狭いスペースであったとしても)によって、ぜひ活用して欲しいものである。

(「NPO法人ピースデポ」発行「核兵器・核実験モニター」第484号(2015年11月15日)から許可を受けて転載)

今月のことばNo.19

2015年11月24日

パリ同時テロと日本の立ち位置

髙村 薫

 この夏、内戦の続くシリアからの難民がヨーロッパに押し寄せる光景に、十字軍の時代からヨーロッパ諸国が武力によってイスラム世界に介入し続けてきた歴史の逆流を見る思いがしたのも束の間、IS(イスラム国)による11月のパリ同時テロのニュースは、逆流どころかまったく新しい世界の出現を予感させるものとなった。
 第二次世界大戦以降、アジアや中東や中南米、さらにはアフリカの各地で続いた内戦や戦争に大量の武器を供給し続けた欧米の大国たちが、世界じゅうに溢れかえる武器によって自国民の生命を脅かされている事態は、日本人の眼から見ればまさにしっぺ返しというものだが、フランスはこれを戦争と定めて直ちに空爆を強化し、欧米各国ももろ手を挙げて支援を表明する。有史以来、戦争をくりかえして成り立ってきたヨーロッパの、これが正統な正義のありようなのだろう。
 もっとも、イスラム過激派による無差別テロの脅威がアジアを含めた世界じゅうにも拡散している点で、世界はまったく新しい歴史を刻み始めているのだが、東アジアの一隅で私たち日本人が直面するのは、いまひとつヨーロッパ的な正義の論理が理解できない困惑と、かといって必ずしも日本独自の論理で中東各国と相対してきたわけでもない中途半端さと、イスラム世界で搾取や殺戮をしたわけでもない日本がテロの標的になることの不条理である。
 もちろん、ISにしてみれば自らの勢力を誇示するためには手段を選ばないだけのことであり、「ISと戦う各国」への支援を世界に表明した日本の首相の不用意な軽口は、その恰好の口実を彼らに与えたのだが、私たち国民はそんな勇ましい心の準備をした覚えもない。いまとなっては、平和ボケはいくぶん事実ではあるが、その改善方法については、日本人なりの論理と方法を模索するのが先であって、アメリカの外交戦略に追随するだけが能ではない。それよりも、シリアの内戦については、さまざまな利害関係をもつゆえに事態を解決できない欧米各国に代わって、日本は仲介の労を取ることができるはずだ。アサド政権の退陣を促し、政権と反体制勢力の両者の利害を調整してとにかく内戦を終わらせ、経済と国民生活の立て直しを促すことができるはずだ。
 過激思想にもとづいたテロ集団が生まれる背景を考えるとき、世界が利害の対立を越えて内戦終結のために結束したという事実は、若者たちの過激思想の芽をつむ一つの契機になるだろう。また何より、内戦を終わらせなければどんな民生支援も活きることはない。日常が戻り、国民生活が再生されたところで初めて、さまざまな民生支援が活き、産業の振興を考えることも可能になる。テロに走る若者を救い、世界をテロの脅威から救うのは、空爆ではなく、若者たちの働く場なのである。
 私たちが大事に守るべきは、こんな当たり前の原則論に立つことができる心の余裕であり、それは衣食足りた暮らしのなかでしか生まれない。いまのところこの国がそうであることに感謝しつつ、ならば原則論を押し通すべし、と思う。

新しい戦前を作らないために ―戦後70年の世界と日本
 京都・立命館大学で60周年記念講演会

2015年11月17日

 世界平和ピール7人委員会は、1955年11月11日の創立から60年を迎えた翌日、11月12日(木)、京都・衣笠の立命館大学・以心館ホールで、記念講演会を開きました。総合テーマは「新しい戦前を作らないために―戦後70年の世界と日本」。講演会の共同主催は、同大学の国際平和ミュージアム。約250人の聴衆を前に、5人の委員とモンテ・カセム国際平和ミュージアム館長(同大学教授)が講演、土山秀夫委員のビデオメッセージが映し出され、池辺晋一郎委員のメッセージが読み上げられました。
 最初にカセム館長が挨拶、小沼通二委員・事務局長が7人委員会の歩みを紹介したあと、土山委員の「継続は力なり」と題する、運動の継続を訴えたビデオメッセージに続いて、池内了委員が「科学者の軍事動員が始まっている」、髙村薫委員が「野間宏に見る戦前の青春群像と平成のSEALDs」、大石芳野委員が、写真を見せながら「戦後70年:刻まれた傷」を話しました。
 休憩後、池辺委員の「時は前に進む」と題したメッセージを髙村委員が朗読、武者小路公秀委員が「テロ国家を和解させる非暴力国家・日本」、小沼委員が「戦争をしない世界への歩み」、カセム館長が流ちょうな日本語で、「ATOMS FOR PEACE REVISITED」(核の平和利用…再び)と題して講演しました。
 このあと、質疑、討論が予定されていましたが、時間が足りなくなって、各委員が質問に1つずつ答えるだけになりました。閉会後は、委員会の昨年の後援会を中心に編集した「岐路に立つ日本」(あけび書房)などの書籍のサイン会が行われ、1冊に5人の委員のサインを求める列もできました。

今月のことばNo.18

2015年11月7日

国家が個人を管理する?

池内 了

 今、街中のあらゆる場所で、「防犯カメラ」という名の「監視カメラ」が設置されている。コンビニやスーパーなどでは万引きを防ぐために店内を一望できるカメラを備え、いかにも防犯の用を果たしていると言いたげだが、果たしてどれだけ万引きが減ったのだろうか。
 犯罪防止の手を打っても、必ずその裏をかく人間がいるもので、カメラの盲点の位置を探し出して盗みを敢行しており、結局イタチごっこではないかと推測している。商店街や通路・交差点に設置されているカメラは不特定多数の人間を脈絡もなく撮影しており、それが役に立つのは、犯罪が起こった場合に警察の捜査情報となるときだから、まさしく「監視」としての機能である。
 実際に「防犯」のための抑止力になっているかどうかは定かではなく、カメラの効用で警察が犯人を上げやすくなったため犯罪が減ったことが証明されない限り、「防犯カメラ」と呼ぶべきではなく、あくまで「監視カメラ」と呼ぶ必要があると思う。後述するように、デジタル技術の発達によってこのカメラが個人を直接監視し管理する手段に転化する可能性があるからだ。
 10月から「マイナンバー制度」が動き始めることになった。いわゆる「国民総背番号制度」なのだが、既に実施されている「住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)」が地方自治体に丸投げされたこともあって、400億円もかけたのに5%くらいの国民しか利用せず失敗に終わった。その反省もあってか、マイナンバー制度では国が本腰を入れて2000億円もかけ、国民一人一人に12桁の番号を振り、住基ネットで利用できた住民票や印鑑登録証の発行だけでなく、税金や社会保障や災害対策に関して個人識別を行なって「公平を図る」ことを最初に掲げている。
 そして、これが定着すれば、さらにさまざまな行政サービスに広げ、預貯金などの個人情報のみならず病歴・学歴・職歴などまで把握することへ拡大する危険性がある。個人を丸裸にして国家が管理しようというわけだ。マイナンバーが個人監視のカメラ役を果たすのである。
 それだけでも恐ろしい事態なのだが、デジタル技術の発達によってさらに恐ろしい状況を連想してしまう。個人のマイナンバーをICチップとして体内に埋め込むことを強要し(それをしないと電車にも乗れず買い物もできず社会生活が営めないので拒否できないようにするのだ)、監視カメラにICスキャナーを搭載して個人の居所をチェックできるようにすれば、常時各人を監視するシステムが完成するということだ。そうなれば、誰であろうと、どこに居ようと、各人の居所挙動が当局によって完全に把握できるようになる。
 むろん、そう簡単に全体主義的監視社会が実現してしまうとは思えないが、さまざまなデジタル機器の導入によって、私たちは着実にプライバシーが剥ぎ取られつつあるのは事実である。
 ジョージ・オーウェルの『1984年』は悪夢ではないと誰が言えようか。

今月のことばNo.17

2015年10月5日

もうひとつの日本

武者小路公秀

 今回の安保関連法は、米国とイスラエルの「反テロ戦争」という国家テロ連合への協力を狙った軍事暴力正当化の違憲立法です。ISISは、法案強行採決のちょっと前、事態を正確に理解してー日本のメディアがそれを無視していることに苛立たしさを覚えます。これが本当になったら、安倍内閣は、情報管理の下で非常事態宣言を発動し、簡単に憲法完全無視の独裁体制に移行する可能性があります。
 筆者はピースボートの「第88回地球一周の旅」に参加して、太平洋からインド洋を横切る船の中で法案強行採決のニュースを聞きました。ここでは、そんな悲しい日本の未来ではなく、希望に輝く「もう一つの日本」への胎動を紹介したいと思います。

 この旅では、インド・南アフリカ・フィリピンの仲間と議論を重ねて「平和の海を、未来のために」というアピールを執筆しました。この経験を通して、私は「もう一つの日本」のかたちをはっきり心に焼き付けました。それは、ただ「戦争をしない国」という消極的な姿ではなく、「植民地支配に手を貸さない国」という、積極的な意味をもつ日本の姿・形がこのアピールの中に浮き彫りにされているからです。

 海から海をわたる航海では、「国境や国籍、民族、言語、宗教の壁を越えた、世界中の人々と土地、海、森のあいだの深いつながり」の中で、政治・軍事・金融の諸問題を相対化して視ることを可能にします。そういう視点で、日本は「平和と非暴力を支持する声をあげ、人類共通の課題を解決するために非軍事的な手段を地球上のすべての人々とともに追求する国」になることができることを、自信をもって主張しました。
 アピールでは、太平洋とインド洋にわたる平和地域をつくること、そのために、日本国憲法の「平和的生存権」と中印両国の1955年の平和5原則をもとにして、現在、日本をも巻き込んでいる軍拡競争を止めるために、海洋軍縮交渉を進め、国家の「反テロ戦争」を含む一切のテロリズムをやめ、移住者・難民の不寛容な取り扱いをなくし、新自由主義経済などの格差拡大・少数者排除に反対して、先住民族などの地域諸社会の知恵を生かす、共生の「もうひとつの世界」をつくることを提案しました。
 このアピールは、太平洋・インド洋だけでなく、現在地球全体で深刻化している南北問題を直視する提案です。この提案を支えるものとして、「もう一つの日本」をどうしても浮き彫りにせざるを得ないのです。実は、これは日本国憲法前文からそのまま導き出されることでもあります。

 「もう一つの日本」についてのそういう自信の根拠になっているのは、日本など枢軸ファシスト政権敗北から70年の歴史です。日本は軍事力を撤廃して、二度と植民地侵略をしないと世界に約束しました。そうすることで、植民地支配をした「ウェスト(西の諸国)」(今日「北」と呼ばれている先進工業諸国)と、植民地にされた「レスト」(今日「南」と呼ばれている、残りの国々)の間の和解への貢献の道が開かれたのです。今アジアからアフリカにかけての民衆は、人間としての安全が脅かされています。日本は、テロ戦争に加わるのではなく、「南北問題の解決に貢献ができる国」として、太平洋・インド洋における米国による中国封じ込め問題と西アジアにおけるテロ国家間の争いに対処すべきです。「もう一つの日本」は、ただ「戦争をしない国」であるだけでなく、「戦争をさせない世界」、「テロのない世界」を創るための努力をする国でなければなりません。

 今回の安保法制反対の広がりは、市民参加民主主義の動きそのものでした。また、沖縄の翁長知事が国連・人権委員会で問題提起したことは民族の自己決定権の主張です。沖縄県での辺野古反基地闘争、各地域での原発再稼働に反対する動き、若者の生活権をかけた動きなどをみても、「もう一つの日本」はすでに次第に形を浮き彫りにし始めています。
 ピースボートでわたくしが探し始めた「青い鳥」は、すでに日本列島各地で羽ばたき始めているのです。広い、美しい海の上で、私は改めてそのことを確認したのでした。

注:文中のアピールについては、
http://peaceboat.org/9328.html
http://peaceboat.org/9175.html