講演会 2010年

2010年講演会「武力によらない平和を」に350人
井上さんの「思い」引き継ぎ、辻井喬さんも初参加

「九条は世界の宝」(辻井さん)
「沖縄 命どぅ宝」(大石さん)

講演会は、まず、小沼通二委員・事務局長が開会のあいさつ。
続いて、詩人・作家の辻井喬さんが、「軍事力を行使しないと宣言した唯一つの経済大国である日本。九条は世界の宝であり、われわれは堂々と世界にこの宝を広めよう。アメリカの核の傘の下で、被爆国日本の安全保障を求める精神はおかしい」と、日本の平和への役割を語った。

続いて登壇したのは、大石芳野委員。「沖縄 命どぅ宝」(ぬちどぅたから)」と題して、自らが長年にわたって撮影した写真をスクリーンに映しながら解説。「集団自決」などで戦争の傷を負い、今も戦争のための米軍基地と向き合わざるをえない、一人ひとりの人間について話した。

「日本を分断させるな」(武者小路さん)
「政策介入に問題」(土山さん)
「言論状況に問題あり」(池田さん)

武者小路公秀委員は「日米同盟と沖縄」と題し、大石委員の話を受けつつ、沖縄の現状と国際状況のつながりに言及。本土と沖縄の温度差に触れて、「本土と沖縄とに、日本が『分断』されてよいのか」と問題提起し、会場の人々に強い印象を与えた。
土山秀夫委員は「日米安保と九条」をテーマにことの本質に迫り、安保条約の成り立ちや「思いやり予算」の拡大、アーミテージ米元国務副長官らによる日本の政策決定への介入などを指摘。安保より、憲法9条の理念を活かす道を提起した。
池田香代子委員は、広島、長崎以来、人類が膨大な核兵器を蓄積してきたことを物語る橋本公氏の作品「オーバーキルド」の上映も入れて、「核はいらない、過去も未来も」と訴えた。尖閣問題をめぐる日本の言論状況への危惧も語った。

休憩時間をはさみ、後半に移ったが、休憩時間にも大石芳野委員が撮影したカラー・スライド写真「沖縄の情景」の映写を行った。後半は委員全員が登壇して、討議と質疑応答に入った。


「時間の地平線」(池内さん)
「独立国」か「植民地」か、「九条」か「安保」か 全員が討論
まず司会役の池内了委員が、「辻井さんは日本は独立国でなければならない、と語り、武者小路さんも日本は米国の半植民地だ、とした。そのうえで土山委員が、日米安保か憲法9条かという問いを出した」と、前半の講演の流れをまとめた。
それに対し、池内氏自身の意見として、軍事基地のある所こそが最初に狙われるのであって、芸術の香ぐわしさに満ちた国をどこが攻めようかと、平和主義の「強み」を強調。「思いやり予算でピカソの絵を買えば、どれほど買えるか」とも述べた。また「時間の地平線」という言葉を紹介し、どれだけ将来までを見通して、一歩ずつ状況を変えていくことが出来るかが、大切なことだと語った。
 討議に入り、各委員が補足発言やお互いのやりとりをした。
辻井委員は、「日本は独立国になっていないと述べたが、独立国になれる環境は整いつつある。冷戦が終わり、さらに米国一極集中も崩れ始めている。世界経済が今の長いトンネルを抜けた時、世界はもっと多様化しているかもしれない。その中で日本は経済の一極になるのではなく、平和憲法を持つ唯一の国として、平和的役割を果たす国になるべきだ」と語った。
「沖縄の優しさ」、憲法の「反植民地主義」も議論
大石委員は、沖縄の優しさの理由を問われ、「たしかに沖縄の人たちは『人を傷つけたら自分が辛いでしょう』と語る優しさを持っている。その沖縄の人が、他県の人に同じ苦しみを味あわせたくないと従来言わなかった「基地の県外移設」を、ここ数年、口にし始めた」と話した。
「本土で花と言えば『花は桜木、人は武士』。しかし沖縄で花と言えば、大小さまざまな花を思い浮かべる。そういうことが、沖縄の優しさの原因ではないだろうか」と武者小路委員は話した。
「沖縄の海兵隊は南北朝鮮有事のためにおり、台湾海峡の時には第七艦隊が出るというのが軍事専門家の一致した見方だ。そうであれば、韓国が受けるかどうかの問題があるが、海兵隊を韓国に移すという議論の試みも一度あってよいのかもしれないと思う」と土山委員は述べた。
会場からの質問は多数に上った。各委員が、そのうちのいくつかに対して答えた。
「日本が独立するために必要なことは?」という質問に、辻井委員は「第一に、優秀な人が政治家になれるような環境をつくること。第二に、日本のメディアが、米国の特定の研究者の言い分だけを聞くような今の姿勢を改めることだ」と語った。
「沖縄差別の根源は?」という問いに対しては、大石委員が「やはり歴史が大きいのだろう」とし、差別をなくすには「その身になって考えること」と言った。
植民地に関する質問もあった。武者小路委員は、「日本国憲法前文の平和的生存権、『恐怖と欠乏から免れ』という文言は、日本がアジア諸国に恐怖と欠乏を押し付け、生存を脅かしたことへの反省にほかならない。日清戦争後の下関条約のとき、欧米列強は『日本が清国と儒教的に解決してしまうのではないだろうか』と恐れた。しかし、日本は帝国主義的に、台湾割譲や賠償金を清に要求したため、安堵したという。反植民地主義の側に立つ選択肢も、歴史的に日本にはあったのだ」。
「テポドンを射ってきたら、との疑問に対してどう答えたらよいのか」という質問もあった。土山委員は、こう答えた。「米国の専門家によれば、テポドンを射てば、米国のネオコンが、えたりやおうとピョンヤンを壊滅させるだろう。だから北朝鮮は米国と話し合いたいのだ」
「日本は中国になめられている」という声もあるが、との意見に、池田委員は「一番なめられているのは、アメリカにではないかと私は答えている。すると相手は『そりゃアメリカには戦争で負けたからさ』と言う。でも中国にも負けたのだと思うのだが。なかなか話が通じない」。

「武力の依らない平和」は空想ではない
最後に、「武力によらない平和」がどうやったら可能なのか?という疑問に対して、全体の司会を務めた小沼委員が立ってこう語った。  「長い歴史で考えてみよう。日本国内でも、戦国時代には隣人同士で互いに戦っていた。今は、そのようなことは全くなくなったではないか。ヨーロッパにおける独仏の関係も、繰り返し戦った長い歴史は過去のものになり、友好関係に変わった。厳しい冷戦の象徴であったベルリンの壁の崩壊は、直前まで誰にも予想しえなかった。しかしチャンスが来たときにそれを捉えることができるためには、常に考え、準備を続けていく必要がある。そうすれば、いつ来るのかは分からなくても、チャンスが来た時に、それを捉えて変化させることができる。アジアだって真に一つになれるだろうし、ならなければならない。武力によらない平和は空想ではなく、可能だ。私たちは楽観主義でありたい」
おわりに福田邦夫・明治大学軍縮平和研究所長が閉会の言葉を述べ、午後6時の開会から3時間を超えた講演会を締めくくった。
(了)