今月のことばNo.56

2022年10月11日

日本の原発回帰に思うこと

 ウクライナに侵攻したロシア軍が、南東部にある欧州最大級のザポリージャ原発を攻撃、占領したのは今年3月4日のことだった。稼働中の原発が砲撃されるという、誰も想像もしなかった事態が現実に起きた瞬間だった。国連安保理は5日、国際法違反(注)としてロシアを激しく非難したが、拒否権をもつロシアは耳を貸さず、このとき世界は差し迫った放射能汚染の脅威を前にして、国連安保理の無力というもう一つの恐ろしい現実を突きつけられることとなった。
 ロシア軍の占領下にあるザポリージャ原発は8月以降、ウクライナ軍とロシア軍のどちらのものともつかない砲撃が相次いでおり、送電網には電源喪失に至る深刻な被害も出ている。そのため9月にはIAEA国際原子力機関の調査員が現地に入ったが、戦火の下で国際機関による恒常的な監視はできないのが現状である。
 そして、プーチン大統領は9月30日、ウクライナ南東部のドネツク・ルガンスク・ザポリージャ・ヘルソンの4州を一方的にロシア領に併合したのに合わせて、10月6日にはザポリージャ原発を国有化する大統領令に署名したが、それはこれまで国際法違反をものともせず原発を盾にしてきたロシアの軍事作戦の帰結の一つであり、ロシアによる原発の要塞化の完成にほかならない。言い換えれば、プーチン大統領がザポリージャをグランドゼロにする日が来ないことを、世界はただ祈るほかないということである。
 ロシア軍のウクライナ侵攻は、当初の予想に反してロシア側の劣勢が明らかとなっているが、かといってウクライナがいますぐ勝利を収めるという予想も立たない。すなわち戦闘は泥沼化するということであり、プーチン大統領は春以降、たびたび演説で核を使用する可能性に言及してきた。そしてここへきて、それがいよいよ現実味を帯びてきたと世界の専門家の多くが指摘し始めているのである。8月6日の広島でのグテーレス国連事務総長の演説に続き、10月3日に中満泉国連軍縮担当上級代表が、すべての核保有国に対して核の先制不使用を約束するよう求めたのは、その一環である。
 ところで3月時点で10基の原発が稼働していた日本も、ロシアによる4日のザポリージャ原発攻撃の衝撃を共有したはずである。このとき日本原子力学会をはじめ、核セキュリティーの専門家たちは、原発が武力攻撃の対象になったことについて一様に想定外という認識を隠さなかったし、原発立地自治体からも強い不安の声が上がった。
 あれから8か月、ウクライナ危機に端を発したエネルギー価格高騰と脱炭素に対処するためとして、岸田首相は突如、原発推進へと舵を切った。ひとたび戦争が起きたなら、全国の原発は為すすべがないという不都合な真実自体はまったく変わらないにもかかわらず、原発が武力攻撃を受けることへの危機感は、この国ではあとかたもなく消えてしまったということである。台湾有事の脅威をあおり、敵基地攻撃能力をもつ長射程ミサイルの保有に踏み出す傍らで、日本全土の原発が逆にミサイル攻撃を受けることを想定しない政治家たちの脳みそは、もはや壊れていると言う以外にない。(2022年10月9日)

(注)ジュネーブ諸条約の国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書(1977)
第56条(危険な力を内蔵する工作物及び施設の保護)
危険な力を内蔵する工作物及び施設、すなわち、ダム、堤防及び原子力発電所は、これらの物が軍事目標である場合であっても、これらを攻撃することが危険な力の放出を引き起こし、その結果文民たる住民の間に重大な損失をもたらすときには、攻撃の対象としてはならない。これらの工作物又は施設の場所又は近傍に位置する他の軍事目標は、当該地の軍事目標に対する攻撃がこれらの工作物又は施設からの危険な力の放出を引き起こし、その結果文民たる住民の間に重大な損失をもたらす場合には、攻撃の対象にしてはならない。