今月のことばNo.38

2017年12月12日

チェルノブイリを訪ねて

大石芳野

 チェルノブイリを初めて訪れたのは1990年、4号炉の爆発事故から4年後だった。それから何度か訪れていたが、去年と今年は立て続けに訪ねた。事故から30年以上が過ぎたのだから土地も被曝者も改善されていると思っていたからだ。確かにそうした面もうかがえるが、医師や研究者に話を聴くと深刻な事態を30年間の歳月が解決してはいないようだった。
 ウクライナでは213万人以上が原発事故による被災者(被曝者)として登録された。そして事故当時の処理には旧ソ連全体から80万人以上の作業者が駆り出され、その大半が癌に罹患した。4号炉でその時働いていた労働者は60人だったが、30人が亡くなり、今も4号炉内に1人が眠っているという。
 高濃度の放射性物質は雨雲と風によって拡散し、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアそしてヨーロッパも瞬く間のうちに汚染され、生態系に多大な影響を与えた。中でも子どもたちが受けたダメージは大きい。特に甲状腺腫瘍の発症は89年~92年あたりから急増していったそうだから、私が訪れていた時期と重なる。研究者によって数字に多少の差はあるようだけれど、ウクライナではこれまでに12000人ほどが甲状腺腫瘍を発症しているという。そのうち約2割が癌だ。
 国立キエフ放射線医学研究センターの内分泌外科病棟を訪ねた。丁度、甲状腺腫瘍の摘出手術を受けている少女が手術台に横たわっていた。執刀医はやがて血に染まったゴム手袋の掌に摘出した大きな腫瘍を乗せて「今から検査に回す」と言った。この病棟では年間1000人以上の甲状腺の手術を行い、うち癌は6割ほどだという。
 部長のラーリン・オレクサンドル医師は「甲状腺は放射能に敏感でまず子どもが発症した。潜伏期間は約5年と予測されていたが30年のケースもあることが分かってきた。最近は大人の方が多い」と全国的な状況も踏まえながら説明した。
 病院はほぼ満床だ。病室にいた35歳と38歳の女性は、喉に白いガーゼを当てていかにも痛々しそうだ。「昨日、甲状腺癌の手術をした」という。二人とも現在はキエフに住んでいる。故郷は別々だけれどチェルノブイリ原発からそう遠くない村で生まれ育った。「村には重い癌患者も少なくない」と顔をしかめていた。
 ウクライナのある研究者は「大人の甲状腺癌が増えてきている。それなのに、居住制限が緩んだ。かつて、年間20ミリシーベルトは決して住んではならないレベルだったが、最近は可能になった。なぜか分かる? 日本のせいだ。福島は年間20ミリシーベルトだから。ウクライナはロシアと戦争中で経済的な苦境にあるから日本からの経済的な援助は有難い。そこに付随した“20ミリシーベルトは安全だ”・・・に、ウクライナは逆らえない現状がある」と話した後、「おお、政治的な話はまずい」と言って笑い、誤魔化された。一方で、研究者の中から「実際に安全だと言える」とか、「アメリカの原発労働者は年間被ばく量制限が50ミリシーベルトだから」などの声も聴いた。
 チェルノブイリから見えてくることは、「フクシマ」が置かれた現状だ。福島では甲状腺癌の疑いは193人、うち155人が摘出手術をした(17年10月23日現在)が、「悪性ないし悪性の疑い」という表現に収めている。原発の放射能やチェルノブイリとは無関係だというような発表だ。そこには被災者を苦しめたくない、不安に陥らせたくないとの配慮が働いているのかもしれないが、「隠蔽」に繋がりかねない。被災者は「本当のことを知る」ことによって、今後の対策や生き方を考えるのではないだろうか。後で、「もっと早くに知っていたら!」という嘆きを繰り返させてはならないのではないだろか。チェルノブイリを訪ねて改めてそう思わずにはいられない。